生き残りへの決意
7歳を迎えてから、俺はある程度の行動の自由が認められるようになった。その理由は俺に弟と妹が生まれたからだ。
この時代の平均寿命は「人生五十年」と言われるほど短いが、その主な要因は体力のない子供の時に流行り病などで死亡してしまうケースが多いためだ。史実でも大大名の嫡男が早逝して次男が後を継いだ事例は少なくない。
もちろん死亡率は栄養不足になりやすい貧農階級の子供が最も高く、逆に俺のように恵まれた上流の武士階級に生まれた子供は死亡率が低いのは自明の理だ。だが、それ以外にも生まれ持った身体の頑健さが大きく影響するため、必ずしも絶対ではない。
そのため、後継ぎ候補が俺一人では、万一のことがあった場合寺倉家の存続自体が危ぶまれてしまう。武家にとって御家存続は至上命題だ。そこで、母が亡くなってから4年後の俺が5歳の年に、父は後妻を迎えた。後妻の徳はふくよかな明るい性格で、痩せて静かな性格だった俺の母とは対照的で、先妻の子である俺にも優しい女性だった。
そして、昨年の正月に次男となる弟・近時丸が生まれ、俺が8歳になった今年の正月には長女となる妹・阿幸も生まれたのだ。俺にとっては腹違いの弟と妹となるが、腹違いなど全く関係ないほど、2人はとても愛らしかった。
生まれたばかりの阿幸はまだ赤ん坊だが、数え2歳になった弟の近時丸は兄の俺にとても懐いていて、よちよち歩きで懸命に俺の元に来ようとする近時丸は、前世では兄弟がいなかった俺にとって掛け替えのない無二の存在となった。
近時丸が生まれるまでは寺倉家の男児は俺1人だったため、嫡男として俺は大層大事に扱われた。屋敷の外に出る機会はほとんどなく、正直フラストレーションが溜まって仕方がなかった。こうして自由に行動できるようになったのも弟が生まれてくれたおかげなので、心の中で感謝をしたものである。
行動範囲が飛躍的に拡大したことで、この1年で周囲の状況をこの目で見て理解している。父と家臣が話していることに聞き耳を立てて、今の寺倉家の置かれる現状も大体は把握することができた。
まず今の年代についてだが、史実の戦国時代の年号は天文の後は弘治、永禄と続いたはずだ。さすがに天文や弘治が何年間続いたかまでは知らないが、前世で信長の名前を冠した歴史シミュレーションゲームを遊んだ記憶から、あの有名な「桶狭間の戦い」は永禄3年5月、西暦では1560年6月にあったのは覚えている。それから逆算すると、天文20年の今は、1540年代の後半か1550年代前半で間違いないだろう。
次に寺倉家と領地だが、寺倉家は近江国東部の犬上郡にある寺倉郷を治める小さな国人領主だ。寺倉郷は六角領の北部、八ツ尾山の東側に位置する板ヶ谷という狭小な地にある。四方を木々が鬱蒼と茂る山々が囲っており、道は非常に狭く、大軍が攻め込むには厳しい場所だ。その反面、谷間で平地が少ないため米の石高も数千石ほどで少ないらしい。
犬上郡一帯は北近江守護の京極家と熾烈な争いが行われていた地で、応仁の乱や長享・延徳の乱、明応の政変などで常に混乱の渦中にあった。
寺倉家がこの地を獲得した経緯には、応仁の乱で西軍に属していた当時の六角家当主・六角高頼が、東軍に属していた京極家当主・京極持清の嫡男である京極勝秀や、高頼の従兄であった六角政堯の軍によって観音寺城を攻められたことに端を発する。
当時京で京極持清と長い戦に明け暮れていた高頼は、これを知って領国に引き返す決断を下した。敵方についた従兄・六角政堯は、元々近江守護を務める六角家の正統な当主であったものの、守護代として六角家を支えていた伊庭家の嫡男を殺害するという愚行に出たことが時の将軍・足利義政の逆鱗に触れ、当主の座を追われるという過去があった。
これには近江国で一大勢力として台頭しつつあった伊庭家の伸張を封じる狙いがあったわけだが、この事件は、将軍によって守護代に任じられていた伊庭家の次期当主を弑するという、将軍を蔑ろにするような行為である。当主の座を剥奪されるのは当然の帰結であった。
その政堯と京極家との戦いで六角家は本拠地の観音寺城を失い、近江守護の地位を剥奪され京極持清が近江の覇権を握ることとなる。しかし京極家も、持清、勝秀父子の急死によって引き起こった京極騒乱によって凋落の一途を辿る。
高頼は京極家の御家騒動という混乱に乗じて頽勢を翻し、失った近江の主権を奪還するとともに、南近江の安定に尽力したのち諸国人を掌握することに成功した。そして拮抗していた犬上郡の戦況は、京極家の内訌に介入する形で六角家の一方的な優位になり、やがて一帯を完全に支配するまでに伸張を深めている。
板ヶ谷はその際に戦功のあった蒲生家が褒美として与えられたものだ。板ヶ谷をはじめとする山間の地は、蒲生家にとってなんの益もない地であった。本拠の日野から離れた場所で統治が充分に行き届かない場所だからだ。実際のところは曖昧だが、当時の六角家の意図として、独立性が強い武家の中でも、一際強い権勢を誇る蒲生家の力をなるべく分散させるために、このような仕置を下したのだと考えている。
そんな事情があり、蒲生家の支流から分かれた寺倉の宗家に下賜され、寺倉家にとっても飛び地であったことから、寺倉家の庶子が得て住み着いた。それからは庶流の寺倉家が代々この山間の地を治めている。
寺倉の宗家は蒲生郡の鳥居平城の城主だった。しかし俺が生まれる前に、蒲生家と鼎立する東近江の雄であった小倉家との抗争に敗れ、そのまま断絶しているそうだ。小倉家は蒲生家から養子を迎え半ば臣従していたものの、庶流の小倉西家や小倉東家とは頗る仲が悪かった。寺倉家は元々の本拠である佐久良城を、蒲生家の麾下に入った小倉宗家に譲り渡して近在の鳥居平城に入ることになる。
だがこれが拙かった。暫くは平穏な時が続くも、やがて小倉庶子家と宗家の小競り合いに巻き込まれる。鳥居平城は小倉庶子家の攻勢に屈し、一族郎党が討ち滅ぼされる憂き目を見た。
蒲生家はこれに援軍を送って鳥居平城を奪還するものの、庶流の板ヶ谷寺倉家に寺倉宗家の所領が下賜されることはなかった。結局蒲生家が直轄領を増やす形で得をしたわけだ。まあ庶流で力のない寺倉家に、石高も高く日野からもほど近い鳥居平をそのまま与えるほどお人好しでは戦国は生き抜けない。賢明な判断だと言えるだろう。
そのため、蒲生家の本拠である日野からは飛び地のままとなっている。とはいえ、戦国時代では飛び地はそう珍しいものではない。
蒲生家と言えば蒲生氏郷が有名だが、今はおそらく蒲生氏郷が生まれる前だろう。この時期の蒲生家は六角家に仕えており、その蒲生家に仕える寺倉家は六角家の陪臣であり、六角家中の立ち位置は下っ端の国人に過ぎない。
その六角家の現当主は六角定頼で、六角家の全盛期を築き上げた室町幕府の管領代でもある。六角家を足利将軍家の後ろ盾として中央政治に介入できるほどにまで成長させた傑物だ。
しかし、六角定頼はもう50代後半で最近は病に伏しており、先はあまり長くないという噂が流れているらしい。とはいえ一介の陪臣に過ぎない寺倉家には詳しい情報は伝わってこないため、噂の信憑性は判断できない。
だが史実どおりならば、六角定頼は数年の内にこの世を去り、六角家の家督は嫡男・六角義賢に引き継がれるはずだ。六角義賢には父ほどの才はなく、父の死後も第13代将軍・足利義輝や管領・細川晴元を助けて三好長慶と戦うが、優勢だったはずの三好家に敗れた結果、京を追われた足利義輝は西近江・高島郡の朽木家を頼って亡命することになる。
そして、六角家は六角義賢の嫡男・六角義治が宿老の後藤賢豊を惨殺するという「観音寺騒動」を引き起こすことにより一気に凋落した後、上洛途上の織田信長に滅ぼされるのだ。確か六角定頼の死から六角家の滅亡までわずか15、16年だった記憶がある。
一方、その織田信長だが、1560年の「桶狭間の戦い」の後、斎藤龍興を下して美濃を制圧するのが7年後、そして足利義輝の弟・足利義昭を奉じて上洛するのは翌年の1568年だったはずだ。逆算すれば、六角定頼が死んだ年は1552年か1553年ということになる。
いずれ近い内に六角定頼が逝去すれば、今の西暦年が判明するだろう。そこから15、16年後に織田信長が上洛する。このままでは、寺倉家は六角軍に動員されて織田軍と戦わされ、俺は無様に討死するか、降伏したとしても寺倉郷は召し上げられて御家断絶だ。
そうならないためには、信長に対抗する武力を蓄えるか、蒲生家のように信長に臣従しても領地を認められるくらいの勢力になる必要がある。もちろん俺は豊臣秀吉のような天下人になれるとは思ってもいないが、可愛い弟や妹、家臣や領民を戦禍に巻き込んで苦しめる訳にはいかない。
とは言え、この戦国の世が俺の知っている史実どおりに進むという保証はなく、何が起きてもおかしくはない。六角家が三好家に滅ぼされるかもしれないし、その逆が起こるかもしれないのだ。俺に残された時間は少ない。したがって、一歩一歩確実に足場固めすることを念頭に置きながら、時間を無駄にせずに計画的に行動しなければならない。
前世では主人公が織田信長に転生する歴史小説を読んだ記憶があるが、それに引き換え俺は弱小国人領主の息子である。それでも諦める訳にはいかない。必ずこの乱世を生き抜いて見せる。俺は固くそう誓った。
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