第49話   行方不明のケルベロスたち

 涙が出た。なぜだか、わからないけれど、クラウスが馬車に乗って行っちゃったのを見たとき、涙が出たんだ。


 クラウスの家の事情は、聞いてる。妹のために、時間がないことも、知ってる。だから、お金のある女性に声をかけようって言い出したのは、僕。


 でも、どうして彼女を選んだの? それが僕には、納得できない……。クラウスなら、なんでも話してくれるって信じてたから、急に彼女を相棒に選んだのが、どうしても受け入れられない。


 あ、そうか……だから、涙が出たんだ。僕は――私は、きっと、悔しかったんだな。


「カーク……」


 お母さんが、背中をさすってくれてる。もう十年くらい、両親の前で泣いたことなかった。



 道のはしに立ったまま、動けない。両親は、そんな僕の背中に手を回して、馴染みの喫茶店へ、連れていってくれた。


 お店の奥の四人席に、三人が座る。すぐにボーイが注文を取りに来て、僕は……とりあえず、好きなアイスを頼んだ。


「クラウスちゃん、大丈夫かしらね。いくら妹さんを助けたいとは言っても、あんな無茶をする子だとは思わなかったわ」


「クラウスくんだけの知恵ではないさ。追いつめられていたクラウスくんに、誰かが入れ知恵をしたに決まっている」


 お父さんとお母さんが、そろって僕の顔を、様子を、うかがう。


「元気出して、カーク。クラウスちゃんは、好きで彼女と結婚したわけじゃないわ」


「お母さん……僕、そんなに元気ないように見えるの?」


「ええ、馬車を見送った後、泣いてたじゃない。今も、とっても悲しんでるわ。アイスクリームも溶けちゃってるし」


 え……? あ、ほんとだ。注文したアイスが、お皿の上で広がっている。そんなに長い時間、ぼんやりしていたのか。


「ケイトリン」


 その名で呼ばれて、僕はお父さんを見た。お父さんは、困ってるふうだったけど、何かを決めたような、何かを絶対に僕に言おうとしているような、そんな顔をしていた。


「やはり、お前を男として扱い続けることは難しいよ。お前の進む道を応援はしたいが、今こうして傷ついている姿を、目にしてしまってはな」


「でも、この国の爵位は、男の子しか継げない。僕があきらめたら、爵位を失う。それはダメ」


 お父さんの爵位が下がるのが嫌だった。両親が恥を掻くのが、嫌だった。せっかく受け継いだビーストテイマーのスキルを、放棄するのが、嫌だった。


 跡を継げない自分の立場が、嫌で嫌で、しょうがなかった。


 だから運命を、変えるために、必死で考えた。たった一人でも、できる方法を。


「どうして、わかってくれないの」


「親思いな子を持って、私たちは幸せだよ。だが、パパとママのせいでお前が不幸になってしまっては、何も意味をなさないんだ。今からでも遅くない、お前にとって、無理のない性別で生きなさい」


「僕は、ビーストテイマーになる。王様に献上する動物も、昨日、納めた。もうすぐ、テイマーとして正式に認められる。そうすれば、家も少しは安泰になる」


「お前の幸せを犠牲にしてまで、欲しいものなんて無いんだよ」


 犠牲……? 僕の生き方は、そんなふうにしか、見られないの?


 僕は、これでいいのに……。


「少し、一人にして。いろいろ、考えたい」


「ケイトリン」


 席を立った僕に、お父さんがとっさに呼びかけたのは、女の子の名前だった。


 弱くて、なんにもできない……私の名前だった。



 あてもなく歩いてたら、いろんな人から声がかかった。友好的な人、違う人、お父さんに用事がある人、お父さんのやり方に異を唱える人。この街に来る人は、みんな積極的。


 今日は、話せる気分じゃないんです、そう言って歩き続けるしかなかった。クラウスはクラウスで、僕は僕。僕も人のことを手助けしている余裕は、ない……。


『ありがとう、カーク』


 どうして今、思い出すんだろう。へにゃっとした笑顔で言われた、あの言葉。


 素直に感謝したり、困ったり怒ったり、クラウスみたいな男の人、初めて見た。見栄を張ったり、強がったりを、あんまりしない人だった。いつも全力で困ってて、誰に対しても全力で向き合い、対等に口を利く。危なっかしくて、誰かが一緒にいないとダメな気がする、そんな男の人。


 なんで彼女を選んだんだろう……。お父さんの言うとおり、誰かがクラウスを説得したんだとしたら、何かの、罠かも……。


「やあ、捜したよ」


 う……この声は。


 聞こえなかったことにして歩いていたいけど、追いかけてきそう。しぶしぶ振り返った。貴族街でもあんまり人気のない道を選んで歩いてたのに、相変わらず女の人を何人も連れ歩いてるヘイワーズが、こっちへ歩いてくるのが見えた。


 どの女性も腕に大荷物を抱えてる。その荷物鞄から飛び出てるのは、木製の杖や、小動物の手足のミイラ、銀製の短剣セット、などなど、魔術に使う道具類。


 ヘイワーズだけ、手ぶら。


「こんにちは、ヘイワーズ」


「ヘイワードだよ! ふふ、僕の気を引きたくて毎回間違えちゃうところも可愛いね。誰もついていないようだけど、一人で散歩かな?」


「うん」


 いつもみたいに、顔の半分に派手な仮面を付けていて、体のあちこちにアクアマリンを飾っている。


 でも、露出の多いヘイワーズにしては、珍しい服を着てる。どこかへ旅に出るかのような、しっかりした生地の軽装備。色も灰色と黒で、いつもの派手さがない。


 それに今日のヘイワーズ、すごく香水くさい。自分で気づいていないのかな。


「僕に何か用事?」


「ああそうそう、今お城で大変な事が起きてるんだよ〜。きみが献上した動物たちが、逃げてしまったんだ」


「え?」


「僕もさんざん捜したんだけど、どこにもいないんだよ。昨日が献上の期限日だったのに、残念だったね」


 逃げた……? そんなはずはない。彼らはしっかり調教してあるから、よほど酷い目に遭わない限りは、人間に寄り添って生きていける。それに――


「ヘイワーズ、彼らが逃げ出したのなら、また僕のもとへ戻ってくるはず。でもここにいないから、逃げ出したんじゃない。彼らは今、どこかに捕まって、身動きが取れない状況に、さらされているんだ」


「そ、そうかなー? きみがそう言うのだったら、そうかもしれないな。しかし動物なんてモノは、餌をくれる人には誰にでも懐いてしまうもんだろう? もっと美味しい餌をくれる犯人のもとへ、行ってしまったんだよ」


「捜す。ケルベロスたちと、それから盗んだ犯人も見つけて、王様に突き出す!」


 ヘイワーズが一瞬だけ、ものすごく無表情になった。けど、すぐにいつもの笑顔になった。


「ハハ、応援するよ。僕と城の者が手を尽くしても、見つからなかったけどね」


 ヘイワーズがしゃべりながら、首の後ろをぱりぱり掻いた。長い髪の毛から垣間見えたそこは、真っ赤になってて、痒そう。


 ヘイワーズが僕の視線に気づいて、苦笑した。


「ああ、勘違いしないでくれ。シャワーは毎朝浴びてるんだよ? アレルギーでね、体中が痒くて痒くて」


 アレルギー? 初耳。


「ああ痒い。掻くのに忙しくて、手があかないんだ。今日の買い物は彼女たちに助けてもらってるんだよ」


「ああ、それで。てっきり恋人を利用してるのかと思ったよ」


「ひどいなぁ、僕は女性の味方だよ? こんな重い物を持たせてしまって、僕も心が痛いんだ。でも彼女たちが、どうしてもって言うからね。僕の力になりたいって、引かないのさ、ハハ」


 じゃあ、男の人を連れてこればいいのに……。あ、でも、ヘイワーズに男性の従者が付いているのって、見たことない。男友達がいるって話も、聞かない。自分以外の男の人を、そばに置かないのかも。


 ……こんなことを考えてる暇はない。大きなケルベロスたちをすぐに移動させるのは困難だから、まだ、この国にいるはず。


 ケルベロスたち、シュミット芋と、たくさんのお肉を食べるから、まずは肉屋を訪ねてみよう。大量に購入した怪しい人物がいないか、問い詰めなくちゃ。


「ああ、そうそう、言い忘れるところだったよ」


 ヘイワーズが、長い髪の毛を掻き上げた。


「寛大な陛下は、逃げ出した動物たちにも寛大なお方だ。今日から一週間以内に、きみが動物たちを見つけだせたら、許してくれるそうだよ」



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