第6章  意外性に満ちた新婚生活

第50話   朝からレニーと大喧嘩

「おはようございます、ダーリン」


 う……なんで僕は床で寝てるの。しかも、縄で縛られてるんだけど。


 イテテ、頭がズキズキする。昨日、何があったっけ。たしかウェルクライムが淹れたコーヒーを飲んだら、急に意識が、ふっと消えたような。


「さあ、シャワーを浴びて着替えてくださいな。今日中には貴方のお屋敷へ、到着する予定ですわ」


 寝台に座って足を組み、眉毛を描きながらレニーが言った。


「あのさ、ほどいてくれないと立ち上がれないんだけど」


「あら、非力」


「仕方ないだろ! ぐるぐる巻きにされて身動きが取れないんだから!」


 ジタバタもがくと、冷たい手のメイドが来て、ハサミで切ってくれた。僕は立ち上がって、ぎしぎしに痛む四肢を背伸びして伸ばした。


「あー! もう最悪だよ、なんで縛るんだよ! そして夫のコーヒーに薬を盛るな!」


「あらあら、とんだ初夜でしたわね」


「他人事だな!」


 げ、初夜で思い出しちゃったよ、今日の変な夢を。


 昨日のことがあったせいか、その、レニーが裸で寝台に座ってて、で、僕も服着てなくて、二人で、向き合って座ってて……そして寝台の周囲に、これまで出会ってきた人たちが蔑むようなジト目して立ってるんだ。レニーは平気そうなんだけど、僕は、微動だにできず、そのまま、目が覚めました、ハイ。


 こんな悪夢、見たことないよ。アイリスもカークもケイトリンさんもいたんだよ。友達と七歳児に見せていいものじゃない。


 いろんな意味で今日はレニーと気まずい。


 それにしても、あーあ、お腹減ったなぁ。まーた晩ご飯を食べ損ねたよ。ウェルクライムのやつ、僕がレニーに何かしないか牽制したな。もう、そんなに彼女が好きならお前が結婚しろっつーの。


 シャワー浴びてこよ……。レニーのやつ、うちの屋敷の浴室がおんぼろ過ぎて、悲鳴を上げないかな。以前は父さんの錬金術で造った、お湯が沸かせる器械があって、シャワーも出てたんだけど、ずいぶん前に故障して以来、今では薪で火をおこしてるんだ。


 昨日の浴室へ移動すると、ちょうど誰かが出るところだった。朝の挨拶を交わして、すれ違う。


 さっきの先客のおかげで、浴室はあったかかった。狭い湯船を尻目に、シャワーだけ浴びる。一晩中、冷たい床に冷やされた体が、あったまってゆく〜。


 イテテ、背中と肩も痛む。少し、体をひねって体操するか。あったかいシャワーのおかげで、ちょっとは体も柔らかくなっ……え? なんだこれ、なんで僕の腰に、こんなモノが。


 ま・さ・か!!


 ウガアアア!! あいつら許さないぞ!!


 濡れた体にバスタオルだけ巻き付けて、浴室から飛び出した。


「体ぐらい拭きなさいな。ナメクジじゃありませんのよ?」


 自前の髪の毛をメイドに編み込みヘアーにさせているレニーが、手鏡を片手に寝台に座っていた。僕はそれに飛びかかり、メイドも下敷きにレニーを寝台に押し倒した。


「ギャアアア!」


「ク、クラウス様、なにを! 痛いです!」


 文句が飛んできた気がするが、怒りでなんにも聞き取れないし、聞き取るつもりもない! 僕は彼女の前髪をぎゅううと引っ張りたい気持ちを、寸前で抑えた。行き場を失った片手で、思いきり寝台を叩く。


刺青いれずみなんかいつ彫ったんだよ!! いくら僕が憎いからって、あんまりじゃないか!」


 まるで熱湯をかけられたかのような絶叫を上げられて、我に帰った。僕の目の前には、いつの間にか小刀を首にあてて自決しようとしている涙目のレニーが。


 そのすごい気迫に、さすがに怒りが引いた。僕の濡れた髪からしたたった水で、彼女の顔と衣服が濡れていた。


「……ごめん」


 僕はレニーの上から、どいた。


 ……って、僕が謝るのおかしくない? 薬を盛られて眠っている間に、腰に変な刺青されたんですけど。


 どこの国の文字かもわからない、変な文字なんですけど。


「それはわたくしが彫ったんじゃありませんわ。最初から、貴方に在ったモノです」


 レニーが息も絶え絶えに、起き上がった。髪の毛がぐしゃぐしゃに絡まっている。


「そんなわけないだろ。僕は刺青をした覚えはないよ」


「エルフ文字はご存知ない?」


「はあ? いったいなんの話をしてるんだよ」


 う、鼻がむずむずする。


「へっくしゅ!」


「もう、タオルでしっかりと拭かないからですわ」


 レニーは何事もなかったように、腰に手を当てて僕を睨みつけている。


「わたくしは朝食を食べに行ってきます。ちゃんと着替えてくださいませね!」


「あ、うん……」


 肩を怒らせて、部屋を去ってゆくレニー。扉を開閉する音だけで部屋が揺れた気がした。


 かつて、気まずいという言葉が、これほどわかりやすく現れた一日があっただろうか。


 僕、ほんとに刺青なんて、入れた覚えないよ。彼女が犯人じゃなきゃ、いったい誰が。


 いつから、あったんだ?


「クラウス様……」


 あ、そう言えば、きみも居たね。真っ青な顔して立ってるや。


「どうか、お嬢様に暴力を振るうのは、今ので最後にしてくださいませ」


「あのね、誤解しないで聞いてほしいんだけど僕だって女の人に飛びかかったのは今日が初めてだよ!! ほんとに犯人はきみたちじゃないんだね!? こんな模様を体に刻まれたら誰だって激怒するし、もっと短気な人だったら刺してたかもしれないよ!!」


「わたくしたちではありません。ですが……」


 メイドの視線は泳ぎ、組んだ両手は震えていた。しかし次の瞬間には、意を決したように僕を見上げていた。


「お嬢様とウェルクライム様が、寝ているクラウス様をひっくり返して、腰の刺青をノートに書き写していらっしゃいました。その後ウェルクライム様は帰宅され、お嬢様は、神妙な面持ちで窓を眺めて、考え事を。クラウス様、お嬢様に隠し事をされているのは、貴方様のほうではないのですか!?」


「……」


 なんなんだよ。朝から、ほんっとに最悪だよ。こんなんで、あの裸バナナの命令が遂行できるのかな。いっときでも、可能かもしれないなんて期待していた自分が、バカみたいじゃないか。


「僕も着替えるよ。きみはレニーのもとへ行ってあげて」


「かしこまりました」


「あと、刺青の件は、きみたちの証言を、とりあえずは信じてみる。本当にきみたちじゃないんだね?」


「はい」


 メイドは小さく、失礼します、と言って部屋を後にした。


 僕は彼女に暴力を振るったことを、今更、後悔していた。小刀で僕を刺すのではなく、自分の首を切ろうとしていた彼女に、深い事情と、底知れぬ闇を感じた。


 彼女は、たぶん、男の人から暴力を振るわれるのが、死にたくなるほど嫌なんだ。


 あんな性格してるから、酷い仕返しに遭ったこともあるんだろう。自業自得の他人事だ……でも、そんな言葉では、気持ちの整理が、つけられなかった。


 やっぱり、ちゃんと謝ろう……そうしないと、僕が納得できない。


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