第47話 おはようアイリスちゃん
メルクリウス・ブラッド……? どうして彼女に、伯爵の名前が。
あたしの質問に、彼女は薄ら笑いを浮かべて、
「おやすみなさい、異世界からの転生者」
答えてくれなかった。
あたしの場合は転生って言葉が、ちょっと当てはまらないような気がするのよね。肉体はまだ日本の病院で昏睡状態だろうし、魂だけこの世界に来ている幽霊みたいな状態だから、生まれ変わっては、いないのよね。
メルクリウスは交代の時間だとかで、今は別のメイドさんがアイリスちゃんをパジャマに着替えさせてくれてる。この部屋、わざわざ子供用に飾り付けてくれたのかしら? 全体的にドリームカラーで、小さな家具類がとってもファンシーだわ。
アイリスちゃんは半分寝ていて、メイドが話す明日の予定も、生返事。これはもう、即、夢の中? ああ、言ってる間に、あたしが入ったウサギのぬいぐるみを小脇に抱えて、ベッドによじ登ると、淡い虹色に染まった毛布の中で、丸まってしまった。
小さな寝息が、聞こえだす……。
あたしは眠らなくても平気だから、ここらでアイリスちゃんを見守っておくとしますか。
アイリスちゃんの寝息を聞いてたら、今頃あたしの両親は、どうしてるのかなぁって、眠れてるのかなぁって、なんとなく心配になってきたわね。ほら、あたしって、がさつな性分じゃない? 変にしんみりした空気って、苦手っていうか、察すること事態が苦手でね……でも、きっと、眠れてないんだろうなってことは、わかるんだ。親子だしね。
あんなに大きな飛行機事故に遭って、あたしもよく生き残ってたわよ。両親は目覚めないあたしのことを、毎日看病してくれてるんでしょうね……でも、もう、あたしの体は、綺麗な状態には戻…………ああもう! 今は泣いてる場合じゃない!
絶対に伯爵に復讐してやる!!
あたしと一緒に事故に巻き込まれた同志たちよ、今しばらく待っててちょうだい。きっとあのメイド人形の中から、解放してあげるから。
そして絶対に絶対に! あの伯爵だけはブッ殺ーす!! あんな事故を引き起こして大勢を死なせておいて、自分だけ不死身に生まれ変わろうだなんて、虫が良すぎるわ!! 絶対に許さん!! 妨害したる!!
……って、固く決意はしてるんだけど、そのための情報が、まだまだ不足してるのよねー。伯爵と同じ名前のあのメイドさんのことも気になるし。個人的には、今すぐこの場を離れて、各エリアを調べたいところだけど、アイリスちゃんを一人にしとくのは、しのびないわね……。起きたらまたクラウス王子を捜して、泣いたりおねしょしたり大変そうだもの。ハァ、このまま一緒にいますか……。
可愛い子供部屋の扉が、けっこう強めにノックされた。
「おはようございます、アイリス・シュミット」
ガチャッと扉が開いて、薄暗い部屋に一筋の光の線が差し込む。照らされたのは、ベッドの上で毛布にくるまっているアイリスちゃん。
え? ああ、もう朝なの。ふーん……これは困ったわね、一人で無言のまま漂ってると、なんだか、すっごく気が滅入ったわ。当然っちゃあ当然なんだけどね。だってあたしは、望んでここにいるわけじゃないんだもの。
「おっはよう、メルクリウス〜」
「おはようございます、えっと……そう言えば、お名前をお尋ねしていませんでしたね」
「あたしは、妖精! クラウスたちも、あたしのことは妖精って呼ぶわ」
「なるほど。本当のお名前は秘密にされたいと」
ギクッ。この女の子、なかなか油断ならないわね。
「ま、まあ、そんな感じね。あなたもあたしの事を、他の人には黙っておいてくれると助かるわ」
「それはお約束できません。王が、貴女の存在に気づいておいでです。近々、お声がかかるかと」
「え……それは、光栄ね……」
王様ってバグのせいで攻略できなかったから、いったい何で喜ぶのか、ぜんぜんわからないわ。そもそも、今のあたしはゲームの主人公ですらないし、本当はこのゲームに妖精なんて登場すらしないのよね。
じゃあ、あたしって何かしら。幽霊? 本当によくわかんなくなってきたわ……。
「起きてください、アイリス・シュミット」
「う〜みゅみゅみゅ……」
あはは、寝言が可愛い! ぼさぼさの髪の毛で起き上がる姿も可愛い。メルクリウスの銀色の眉毛は、つり上がっちゃってるけど。
「昨日の貴女は、歯も顔も、そして体すら洗わずに眠ってしまいましたね。淑女がそのような状態で授業に出てはなりません。朝の
容赦なく、はぎ取られる毛布。まだまだ眠気眼のアイリスちゃんが、手を引っ張られて洗面所へと連れていかれる。
あたしは、どうしていようかしら。まだアイリスちゃんも寝ぼけてることだし、ウサギのぬいぐるみの中には、入ってなくてもいいかな。
とりあえずメルクリウスの頭上を飛んでいることにした。
「ねえメルクリウス」
「メルで構いませんよ」
「あ、じゃあ、メルって呼ぶわね。ねえメル、たくさん質問があるんだけど、いいかしら」
「ええ、なんなりと」
てきぱきと小さなパジャマをはぎ取ってゆくメル。自らも腕まくりして、シャワー室へとアイリスちゃんを連れてゆく。
シャワーの蛇口をひねる音、そして湯気がガラス張りの壁をくもらせて、目隠しになってゆく。
「わたくしも貴女には、お尋ねしたいことが多々あります」
「じゃあ、情報交換しましょうね。あたしが今、すっごくすっごく気になってることを二つ、訊くわ」
「どうぞ」
言ったわね〜。後悔しても遅いわよ!
「あなたたちは、カークランド・モーリスをどの程度まで恐れているのかしら。彼は今、どこにいるの?」
「……。水音が激しくて、よく聞こえません。ご質問は全てが終わった後でお願いいたします」
「ハーイ」
嘘ね、本当は聞こえてるでしょ。その答えたくなさそうな声色から察して、だいたいの予想はついたわ。
あたしたちは今、一番恐ろしいルートで進んでいるのかもしれない。ベラドンナ・レニーのガメオベラッシュはストレスマッハでヤバいんだけど、このルートも別ベクトルでヤバいのよね。
下手するとモブ含めて全キャラ全滅エンドよ。それぐらいカークランド・モーリスはヤバいキャラなの。あたしも殺されちゃうかもしれない。それは勘弁よ。だって復讐は、あたしが直接したいんだから。
えー? なになに? 可愛いセーラーちゃん! 美少女に清潔感のあるマリンルックスタイルって超絶可愛い! あ〜どうしてアイリスちゃんもクラウス王子もモブなのよー。他の攻略キャラみたいに、贈り物ができて、着替えもできたら、絶対に人気出るのにー。もったいないったら。
「アイリス・シュミット、食堂まで、一緒にお散歩しましょう」
「ほえ?」
「貴女は親族以外の人間に、慣れる必要があります。ここは貴女のおうちと違って、常に多くの人材が往来しています。いちいち過敏になっていては、精神がもちませんよ。まずは慣れましょう」
「はぁい……」
ひたすら、お城のいろいろな場所を歩かされる授業が始まった。メルの横で、アイリスちゃんが無言でちょこちょこと歩いてゆく。
「アイリス・シュミット」
「はぁい」
「声が届きそうな距離にいる相手には、朝の挨拶をしましょう」
「……はぁい」
アイリスちゃん、昨日よりは落ち着いてるわね。よかった。また大泣きされちゃ、授業も進まないものね。
今回アイリスちゃんに課せられたのは、いろいろな人に、挨拶をすること。でも、これって、けっこう勇気がいるわよね。だってアイリスちゃんは今まで、お兄さんと義理のお母さんと、あとはモーリス一家ぐらいしか知らなかったんだから、見知らぬ大人に声をかけてまわるだなんて、けっこう過酷に思っちゃうのは過保護かしら。
「おにーちゃまに……」
「はい?」
「おにーちゃまには、いつ、あえりゅの……」
メイドさんとすれ違うたびに、がんばって挨拶をしていたアイリスちゃんが、メルにぼそっと尋ねた。
「では、今日の授業が全て終わったら、会わせてあげます」
「ほんちょ!?」
「午前に算数の授業があります。今日こそは十まで、数を覚えましょう」
「はぁい!」
おお! 昨日と違って、俄然やる気ね。がんばれアイリスちゃん!
あ、そうそう、メルの話だと、クラウス王子はまだお城のどこかにいるってことになるけど、あたしはアイリスちゃんが心配で、そばを離れられないから、クラウス王子がどこにいるのかまでは、調べられないのよね。
アイリスちゃんが寝てるときじゃないと、メルと会話もできないし、ハーア、きつい縛りプレイだこと。せっかくメルといろんな情報を交換しようと思ってたのに。
ああ、お空がまぶしいわ。でもまだ成仏するわけには、いかないの。宗教が違うから、この世界で成仏っていう概念があるのか知らないけど。
そうね、この世界だと、女神様のもとへ召されるっていうのが正しいかしら。女神様に、選ばれし聖女か……けっきょく、聖女って誰のことだったのかしら、ゲーム内の随所で名前だけは登場するんだけど、明確には語られてないのよねー。まとめサイトでは諸説上がってて、続編フラグだーっ! て、書き込みしてる人もいるけど、あたしは、このバグの多さからして、続編を出すのは難しいんじゃないかなーって悲観してるの。そこそこ話題性があったゲームなんだけどね。主人公の性別が選べるのと、世界観すらルート次第で変わっちゃうっていうのが、当時ではすごく斬新だったの。
「おはようごじゃいましゅ」
ん? なんで今、ウサギに向かって挨拶したの?
「おはようごじゃいましゅ、むししゃん」
あ、アハハ、おはよう、アイリスちゃん、優しいのね。いつから、あたしがウサギさんの中にいるって気づいてたのかしら。
この子もなかなか怖いわね……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます