第43話   レニーとの結婚

 僕はベラドンナ家の執事だと名乗るご老人の案内のもと、レニー嬢が設計したという、でかいホテルを目指して歩いていた。


 お城の屋根よりは少し低いけど、高層ビルになっているその建物は、ビッグな来客用の宿泊施設であることを、その華美かつ頑丈そうな造りで堂々と主張していた。


 そのホテルへ近くなるにつれて、人が増えてきて、賑やかな演奏も聴こえてきて、僕は嫌な予感に、焦燥した。


「執事さん、あの、この先になにが待ってるのかな」


「ふふ。さあ、なんのことでしょうか」


「その顔、絶対に知ってるだろ……。まあ、いいよ、きみの主人が何を企んでたって、この落ちぶれ貴族の僕のもとに来るってだけで、充分かっこ悪いことになるからさ」


「自暴自棄になっているのですか? まだまだ、這い上がれる機会はたくさん落ちているものなんですよ」


 って、言われてもなー。どん底から見上げる月しか見えないよ。手が届く可能性を感じない〜……。


 げんなりしている僕と反比例するかのように、周りは明るかった。それはもう、明るい曲調に、降り注ぐ花びらに、次々と上がるのは祝福の言葉!


「お嬢様おめでとうございます!」


「ご結婚おめでとうございます!」


「どうかお幸せにお暮らしください」


「寂しくなりますわ〜。婆やも付いて行きたいです〜」


 わわわ! なんだこれ!

 なんで僕との契約結婚で、こんなに祝われてるんだ? 三ヶ月したら帰るんだろ?


 白いレースで、頭から顔までをおおったレニーが、大勢の一人一人と別れを惜しんでいた。


 レースだけでも、充分に花嫁に見えるのは、彼女が白のワンピースを着ているからだろう。白いハイヒールには、同色のリボンが付いていた。


「さあ、お嬢様、花婿がお迎えに参りましたよ」


 げ。婆やらしき人が、僕を指差して、そう言った。


 皆の注目の中、レニー嬢が白いレースを揺らして僕に振り向いた。


「クラウス!」


 どういうわけだか、心底嬉しそうに駆け寄ってくるものだから、僕はたじろいでしまった。


 今日の彼女は、目元バッチリの厚化粧ではなく、眉毛だけすっと描いただけ。口紅も薄いピンク色で、なんだか昨日の正装よりも、ずっと自然体で、幼く見えた。


 あと、こっちの化粧のほうが、その……似合ってると、思う。


 ……なんて思ってたら、彼女の腹パンをモロに食らってきこんだ。


「ほら、貴方も演技なさって。形だけでも嬉しそうなお顔しなさいな。仮にも、このわたくしの結婚式なのですよ」


「うぅ、ゲホゲホッ」


「馬車を手配してありますの。一緒に乗りましょうね」


「や・だ・よ! 一人で乗れよ!」


「あら、誰のお金でアイリスちゃんが変態のオモチャになるのを免れたのかしら。よく考えて口を利きなさいな」


 うう、ぐうの音も出ない!


 僕が口を開くに開けないでいると、ひづめが石畳を叩く音が聞こえてきた。艶出しを施された木製の馬車を引っ張る、真っ黒い馬が二頭、足並みそろえて僕らのそばで停止した。


 わあ、かっこいい〜。


 義母かあさんのピンクかぼちゃと比べて、シックかつ高級感漂う、大人な雰囲気だ。


 今から、これに乗るのかな?


 メイドたちが大きなキャリーケースをカタカタと鳴らして運んでくる。レニー嬢の荷物かな。たぶん、このケースも高いんだろうな……って、おいおいおい! キャリーケースが十個以上はあるぞ!


 御者ぎょしゃさんがかわいそうだから、僕も荷物を積むのを手伝った。


 レニー嬢の執事のウェルクライム・ハイドは、どこに行ったんだよ。主人の荷物なんだから、積むのを手伝ってくれよ。


 あ、いた。大衆の一人に混じっていた。どことなく悲しそうにしている。


 まあ……その、主人がこんな形で結婚するなんて、普通は、喜べないよな。


「レニー、きみの執事が」


「あら……今朝からずっとああなんですのよ。わたくしと一緒に、貴方のもとへ行きたがっていましたの」


 やめてくれ。殺される。


「なにか、言ってやりなよ。お留守番よろしく、とか」


「そうですわね……」


 レニー嬢が、彼に歩み寄った。


 うつむいていたウェルクライムは、ハッとして顔を上げた。


「レニー……」


「そんな顔しなくても。わたくしなら、平気ですわ」


「なにかあったら、俺をべよ。絶対だからな!」


 ウェルクライムは白いシャツの首元に片手を入れてごそごそし、黒い筒が付いたネックレスをつまみ出すと、鎖を豪快にぶっちぎって、レニー嬢に渡した。


「貴方は昔から、変わりませんわね」


 困ったように微笑むレニー嬢。大事そうに両手で包むそれは、笛のようだった。


 ……あのー、けしかけておいてなんですが、いちおう僕が、旦那なんだけど。


 ピンときていなかったわけじゃなかったよ。レニー嬢と、あの執事は、お互いを想い合ってる。そんな二人の片割れを、妻に迎える僕の身にもなってくれよ。気まずいったらないよ、もう。


 積荷は、これで最後かな。無事にぜんぶ後ろに載せられたぞ。けど、これ、走るのかな、馬のほうも気の毒になってきた……。



 彼女は黒い笛を白いカーディガンの胸ポケットへ、大事そうにしまいながら、戻ってきた。


 ……僕だって、既婚者になるんだと知っていたら、何か贈り物を用意していた。今は自分と妹の荷物鞄で、両手も気持ちも、いっぱいいっぱいで……これも、馬車に詰めこんだ。


「恋人に別れの挨拶は済んだのか?」


 つい、棘のある言い方をしてしまい、すぐに後悔したが、遅かった。


 レニー嬢の金色の眉毛が、逆ハの字に吊り上がっている。


「どなたの事をおっしゃってますの? わたくしの愛人など山ほどおりましてよ」


「予想の斜め上の返答がきた! ねえ、僕にそれ言う!? 仮にも夫だよ!?」


「そうですけど、契約結婚ですわよね? 三ヶ月したら、貴方とは他人同士ですわ」


 さばさばし過ぎて、逆にどろどろした人だった! もう嫌だよ! 失望ばっかさせるなよ! 上流階級のやつらなんか、大っ嫌いだ!


 ……でも、これに乗らないと、徒歩かまた誰かの世話になってしまうし、大勢に祝われている手前もあるから、胸に渦巻く不満をこらえて乗せてもらうのだった……。


 僕とレニー嬢と、メイド二人が、同じ馬車に乗った。御者が合図し、馬がゆっくりと歩きだす。


 窓が大きくて、外の景色がよく見えた。手を振ってくれる人が、大勢見える。ほとんどが同じ制服を着ている人だったから、もしかしたら、あのホテルの従業員なのかもしれない。


 お城の屋根が、ここからでも見上げられた。三ヶ月も離れ離れになってしまう、アイリスのことを思った。


 ごめんな、アイリス……。僕は思ってた以上に、ダメな兄ちゃんだった。許してくれとは言わない。けど、また一緒に暮らせるように、兄ちゃん頑張るから、どうか待っててくれ……。


 ちょっと涙ぐんでしまい、誰にも気付かれないように、目を閉じた。


「アイリスちゃんには、最高の教育が受けられるように陛下と交渉してきましたの」


 僕はびっくりして目を開いた。ついでに涙も引っ込んだ。


「三ヶ月後には、きっと見違えるような淑女レディに仕上がっておりますわ」


「交渉? きみが? なんで、うちの妹のためにそこまで」


「あら、彼女はこのわたくしの義妹ぎまいとなるのですよ? お漏らしして泣きじゃくるような娘を、妹と認めるわけにはいきませんもの。全てわたくしの基準に合わせて頂きますわ」


 うわぁ、高水準な自己中だな。アイリスに勉強をさせられるのは、とても助かるんだけど、お城で怒られてばっかりとか、お仕置きに体罰ばっかりとか、そんなことされてないか、不安になってきた。


「妹は、七歳になったばかりなんだ。学べるのは大変ありがたい話だけど、厳しい教育だと、ついて行けないだろうから、辞めてあげてほしい」


「ご安心ください。スパルタですが、気の長い教師を雇いましたから」


「え? えっと……それは……ありがとう」


 スパルタで気が長いって、どういう意味か混乱するんだけど。怒りっぽい性格の先生よりはマシ、なのかな?


 よくわかんないや。僕も学校や家庭教師といったものには、縁遠かったからなぁ。父さんから学んだり、本を読んで勉強した程度なんだ。


 あれ? じゃあ僕、世間知らずな上に、学歴もないときた。きっとこれ、将来的に困ることになる、のかな?


 どう困るのか、わかんないけど。



 やがて窓の外には、まばらな通行人しか、見えなくなってきた。


 少しホッとしたのも束の間、カーク一家が道のはしで馬車を見上げる姿を捉えた僕は、椅子から立ち上がっていた。


「あら、恋人へのお別れはお済みではありませんの?」


 さっきの仕返しかよ。カークは友達だよ。


「済ませた、けど……」


 嘘だった。僕はもっと丁寧に、お別れするべきだったのに。レニー嬢からの呼び出しに慌てて、ここまで出てきてしまったのだ。


 カーク一家と、こんな形で別れてしまうだなんて。ほんっとに僕ってやつは、いつだって余裕のない、ダメなヤツだ。


「クラウス・シュミット、嘆きは時間の無駄と知りなさい」


「そんな言い方しなくても、いいだろ」


「いいえ、この世のことわりそのものですわ。今の貴方は何をせねばなりませんの? 御隠居した方々の仲間入りを果たすのは早すぎましてよ」


「なんだよ。僕だって、自分に課せられた仕事ぐらい覚えてるよ」


 人が感傷に浸る暇も与えないとは。カークの言う通りだ、これじゃ息が詰まってストレス死しそうだよ。


「彼ら一家が見たいのは、全てを解決した貴方の、すっきりとしたお顔ですわ。不安そうなお顔で窓に張り付くのは、およしなさいな」


 ……。


 悔しいけれど、その通りだ。


 僕が椅子に座ると、彼女の両隣りに座っているメイドが、怖がっているのに気がついた。


 僕が主人を怒らせないかを心配しているのか、それとも、突然現れた得体の知れない男と同じ馬車で、不安なのか、わからない。


「ごめん、怖がらせるつもりじゃなかったよ。おとなしく座ってるから」


 僕の謝罪に、メイド二人がホッとしたのが伝わってきた。


 ああ、この狭い馬車の中で、あまりにも気まずい空気が流れている。なにか話題とか、空気を変える方法はないかな。


「レニー」


「なんですの?」


「これでも、きみには感謝している」


「あら、お祝いするのは早いですわ。こちとら三ヶ月後には財産が奪われてしまいますのよ」


「そうだよね、なんとかしないと」


「わたくしに策がありますの。まずは貴方の義理のお母様を、取り調べますわ」


「ええ?」


 窓枠に引っかかっていた花びらが、僕らの足元に落ちてきた。


「義母さんの? なら、僕も全面協力するよ。秘密の交友関係がとても多くて、よくわからない人なんだ。以前から、怪しいとは思っていたんだよ」


「思っていただけで、対処はいたしませんでしたの?」


「妹が、あんな人を本当の母親だと思い込んじゃってるんだ。妹は本当の父さんと母さんのことを、覚えてなくてさ。それで、あの人を追い出すことが、どうしてもできなかった」


 あ、義母さんと言えば、思い出したことがある。あの変態伯爵の屋敷の近くに、練金ティーポットを隠してたんだった。妖精が言うには、絶対に役に立つから持って行くように、だそうだけど、伯爵の屋敷に寄れるかな?


 レニーに頼むと、庶民街のちょうど良い路肩に馬車を留めてくれた。僕は急いで伯爵の屋敷付近へ直行した。


「あ、昨日の小僧」


「あ、おはようございます」


 調理人のおじさんに会った。まだお金を返そうとしているのかと尋ねると、今朝ようやく伯爵に会えて、無事に返せたとのことだった。


「すっきりしたよ。これで心置きなく商売に打ち込める」


「よかったですね」


 僕は言いながら、民家の隙間に隠していた練金ティーポットを両腕に抱え上げた。


「なんだい、そりゃ」


「その、ちょっと今は事情を説明している暇がないので、失礼します」


 来た道を、そそくさと戻った。


「なんですの? それ」


「父さんの形見の、練金ティーポットだよ。いろんな料理が作れるんだ」


 僕はこれも、馬車に載せてもらった。


 ごめんよ、馬たち。いっそ僕だけ馬車から下りて歩こうかな。


 おそるおそる馬二頭の様子を確認してみると、元気に立ちあがろうとする二頭を、御者さんが必死で諫めていた。


「早く乗ってくだせえ! こいつら出発したくて、うずうずしてますぁ!」


「あ、はいっ! すみません!」


 馬もすごかった。


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