第4章  大乱闘舞踏会

第32話   会場での再会①

 くっそー、人だかりがすごくて、前に進めないよ。いくらリーさんの技術がすごいからって、僕の周りに人が集まりすぎだろ。押しのけて先に進むこともできるけど、そしたら非力なアイリスが僕についていけないし。


 さっき危うく、アイリスを置いてけぼりにするところだった。アイリスが大声で僕を呼ばなきゃ、僕は今頃、会場の真ん中で義母かあさんと伯爵に向かって抗議していたことだろう。


 今は小さなアイリスが、人混みにもみくちゃにされそうで、腕に抱えているだけで精一杯だ。小さい子が大人の集団にこんなに弱い存在だったなんて、僕の勉強不足だったよ。


 このまま妹を床に置いてしまっては、大勢のつま先やハイヒールに踏まれかねない。


「おにーちゃま、あちゅいぉ……」


 腕の中のアイリスが、不安そうに身をくっつける。


 うう、そう言えば、暑くなってきた。人混みって、こんなに暑いんだな。


「そうだね、廊下に出ようか」


 僕は周りに道を開けてもらうようお願いしながら、廊下に出られる扉に近づいた。つやつや光ってて綺麗な扉だ。


 僕は扉を片手で開けた。あ〜涼しい空気が入ってくる〜、ずっと開けておこうかな?


「あら、開けてくれてありがとう〜!」


 妖精が会場内に飛び込んできたから、僕はびっくりして扉を閉めてしまった。


「妖精!? どこ行ってたんだよ。待合室からフラッといなくなったから心配してたんだぞ」


「あらっ! その言葉そっくりお返しするわ。捜したんだから、二人ともー」


 う、言い返せない。げんに今、僕も待合室から移動しているし。


「妖精こそ、どこ行ってたんだよ。なんだよ、そのでっかいリボン」


「私もリーさんにお願いして、おめかししたのよ。さすがに妖精のドレスを作るのは間に合わないって言われちゃったから、スカートをちょっと短くたくし上げて、リボンと一緒に背中で留めてるの」


 妖精はふちに白のレースが揺れる黄色いリボンを、両手でつまんでひらひらさせた。もとから生えている白い蝶の羽と重なって、羽が増えたみたいに見える。


「ほら、あたしって基本的にクラウス王子にしか見えないけれど、たまにリーさんみたいな人にも出会っちゃうのよね。だから、こんなに華やかな場所で、手術着なんか着てちゃ恥ずか――あ、なんでもないわ、とにかくあたしもオシャレしたかったのでした、以上!」


「そ、そうなんだ。うん、似合ってるんじゃないかな、よくわからないけど」


「……もうちょい明るく言ってほしいわね。女性を褒めるときは、自信を持った声で!」


 うーわ、めんどくさいこと言ってきたぞ。女の人のこういう細かい暗黙のルールって、苦手だ。ちっちゃいアイリスの機嫌を取るのも大変なのに。


「そーそークラウス王子、勝手に会場に入っちゃって、どうしたわけ? 大方おおかた、伯爵かお義母かあさまでも見つけちゃったんでしょ?」


「……まあ、あの、うん。オスのクジャクみたいなドレスを着て歩いてゆく義母かあさんを見かけたんだよ。伯爵は義母さんの愛人に車椅子を押してもらってた」


 人間って不思議なもので、あまりにも悪目立ちするド派手な格好を目撃すると、圧倒されてしばらくぽかーんとするんだよ。それで、我に帰った僕は二人を追いかけたけど見失ってしまい、会場に入ったら、そこに二人ともいたってわけだ。


 妖精が伯爵を発見して、僕の顔の横に飛んできた。


「なにあれ、あの燕尾服えんびふく、すんごくもこもこしてるわ。なにか下に着てるのかしら」


「服装も妙だけど、あの人は本当は車椅子から立ち上がれるんだよ。階段と、くしゃくしゃの絨毯じゅうたんが敷かれた屋敷でも、生活できてるみたいだし、少なくとも普通には歩けるんだと思う」


 妖精と話していたら、つやつやした扉がゆっくりと開いた。僕は通行の邪魔にならないように、ちょっと移動した。


「クラウス、大丈夫?」


 扉から入ってきた女の人は、すぐに僕に声をかけてきた。なんだか、パーティドレスというより、花嫁さんみたいな格好してるけど、あ、そうか、彼女も仮装して参加しているんだな。よかった〜僕だけじゃなくて。


 頭に載せたレースも、ベルの形をした長いスカートも、輝くビーズに飾られて、まるで銀河みたいだった。


 でも、誰だろう、この人。すごく距離感の近い雰囲気で声をかけてきたけど、僕の知り合いかな?


 あ、ケイトリンさんか!


「こんばんは、ケイトリンさん、そのドレスすごく似合ってるね! とってもキレイだよ!」


「あ、うん……ありがとう……」


 ん?


 僕、なにか大事なことを忘れているような……ああ! カークと待ち合わせしてたんだった!!


「ケイトリンさん、ごめん! ちょっと用事を思い出したから急ぐよ! カークと待ち合わせしてたんだった」


「あ、カークなら、急にお腹が痛くなって、宿に戻った。私は、それを、クラウスに伝えに来たんだ」


 え……腹痛? もしかして、ケルベロスたちとの別れのストレスが、お腹に来たのか。


 肝心なときに一人にされると、すごく心細い。けど、僕もずっと彼を振り回してしまったし、ここからは、なんとか自分の力でやり遂げないとな。そして良い結果を土産みやげに、カークの様子を見に行こう。


「そう言えばケイトリンさん、ちゃんとした自己紹介がまだだったね。僕はクラウス・シュミット。こっちは、妹のアイリスだよ。いつもカークにはお世話になってます」


「おにーちゃま、どうちて、はじめまちてにゃの? カークおにーちゃまだよ?」


「こらこらアイリス、失礼だよ。彼女はカークの親戚だから、雰囲気が似てるだけだよ」


 ドレスを着た女性を、おにーちゃん呼びするなんて。アイリスにはもう少し厳しいしつけが必要なんだろうか。でも、アイリスに号泣されると弱いんだよな〜。


 あ、ケイトリンさん怒ってないかな……?


「ふふ」


 あ、微笑んでくれてる。優しい人でよかった。


 ケイトリンさんは会場内をざっと一瞥いちべつし、緑色の目を細めた。


「伯爵様も、参加なさってるね」


「あ、うん、そうだね……ついでに、僕の義母かあさんもいるんだ。招待状が届いているなんて話、僕は一度も聞いてないのに」


 つい声に苛立ちが混じってしまい、僕はハッとした。ケイトリンさんが、レースの中で不安そうな顔をしている。


「クラウス、舞踏会の招待客は、全員が強制参加。お義母さんに招待状が届いたのなら、参加は不可欠」


「わかってるよ、ごめん。こんなおめでたい場所で、グチなんてこぼすんじゃなかった」


「ううん、気にしないで。クラウス、よかったら私のお願い、聞いてくれる?」


「え? なにかな?」


「私を、背中に隠してほしいの。舞踏会が終わるまで。無理のない範囲で構わないから」


 もじもじしながら、奇妙なことを言うケイトリン嬢。でも、せっかく目立つ仮装してきたのに、隠れたいって変じゃないか?


「そんなにステキなドレスを着ているのに、僕の後ろにいたら、みんなに見えないよ?」


 ケイトリン嬢は、ちょっと迷うように目が泳ぎ、そして周囲の視線を遮るように、僕に顔を近づけて、小声で話しだした。


「私は、伯爵様に火傷やけどを負わされてから、ずっと気まずい関係になってるの」


「え? 火傷?」


 彼女はうなずき、ゆっくりとレースの、顔左側をめくってみせた。長く伸ばした前髪が、顔の左側だけを隠していて、彼女はそれも手で持ち上げた。


 現れたのは、不自然に盛り上がった、赤紫色の肌。彼女が左目を失明しなかったことが奇跡だと思うほどに、それはそれは酷い傷跡だった。


 レースを戻して、僕から後ずさって離れ、はかなくうつむくケイトリン嬢。


「伯爵は、この傷のこと、すごく気に病んでるの。彼の頭がおかしくなったのは、たぶん、これのせい。私には、彼を責め立てるつもりなんて無いのに。気にしないでって、言ったのに。クラウス、どうかこの事件のことは、秘密に」


 言葉が出なくて、僕は、深くうなずいた。


 ……なんて健気けなげな、娘さんだろうか。自分の顔を半分も負傷させられたら、普通は恨み抜いてしまうだろうに。


 うぐぐ……この頼み、断れないな。


「わかったよ。僕のそばにいるといい」


「伯爵には、絶対に近づかないでね」


「それも、約束する」


「お義母さんにもね」


「え? う、うん、わかったよ……」


 なんだろう、さりげなく行動を制限されてしまったような気がするのは、僕の被害妄想だろうか。


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