第29話   全ては、手の平の上?

 このバスローブは、適度なコシがありつつ柔らかくて、良い生地きじですわね。試供で取り寄せて正解でしたわ。次からはこの会社の製品を使うことにしましょう。


 さて、シャワーも浴びましたし、次はお肌のお手入れをしっかりと、丁寧に終わらせませんと、陛下への失礼にあたりますわ。顔のパックが取れるまで、あと五分。砂時計が落ちる前に、デコルテラインにパールのパウダーが入った保湿クリームを塗っておきましょう。ハイライト効果があって、輝くような胸元を演出できますのよ。


 部屋には、予約しておいたメイクさんが、控えています。本日は、いいえわたくしの晴れ舞台であり、いろいろと多忙を極める勝負の日。


 きらめくシャンデリアが、鏡台の前に座るわたくしの頭上を飾っています。本日の主役も、このわたくし。誰にも譲るつもりはありませんわ!


 それにしても、このホテルは、我ながら最高のデザインですわね。何度泊まっても退屈というものを感じさせない……お客様からもそのような評価をいただいておりますわ。


 ふふん、まあ、当然と言えば、当然ですわね。世の女性が密かに抱える願望を、さりげなく引き出すこの視覚的作用が、しっかりと効果を発揮していますもの。


 女性なら誰もが一度は願う、白馬の王子様が迎えに来てくださる夢……それをイメージしまして、このホテルはパールホワイトとシャンパンゴールド、そして紳士的な優しさをモチーフにデザインいたしましたの。


 随所に仕込まれた上品なパールピンクと、不規則な虹色に反射する、貝がらの真珠層。甘ったるさを引き締めるために、あくまで控えめに。それでいて夢のような色合いとなる配合率で。


 この部屋に泊まっている間は、どんなに気丈夫な女性でも、心の中の理想の王子様とゆっくり語らえる、そんな時間を持てるのです。


 ここでは誰もがプリンセス。もちろん、自身の外見中身ともに磨き抜くことも忘れてはなりません。


「お嬢様」


 双眼鏡を片手にバルコニーから外を見張っていた執事ウェルクライムが、鋭い声。柵に片足をかけるなと何度注意しても、コレなんですから。


「どうかしまして? ウェルクライム」


「クラウス王子と、モーリス男爵家の娘ケイトリンが参りました。猛獣三頭、ちっちゃいガキもいます」


「あら、早めのご到着ですこと」


 わたくしも椅子から立ち上がり、オペラグラスを片手に、窓辺へと近づきました。


 あの豚革をまとった可哀想な娘は、ケイトリンですわね? 猛獣たちがのしのし歩く様は、目立つことこの上ありませんわ。


 それにしても、このオペラグラスは重たいですわねー。まだまだ軽量化の余地がありますわね。まあ、このわたくしが泊まる高層ホテルの三階からも確認できるのは、さすがの性能ですけれど。


 ……ん? クラウス王子はどこですの?


「……ウェルクライム、クラウス王子は、どちらに?」


「ガキの後ろを十歩ほど、遅れて歩いている男がそうです」


 ……ガキとは、アイリスちゃんのことを言ってますの? ほんっとに子供嫌いなんですから。


「貴方、その口の悪さを直しなさいと何度言ったら理解しますの。使用人の無作法で恥を掻くのは、主君であるこのわたくしなんですのよ」


「はっ、申し訳ありません」


 胸に片手を添えて、頭こそ下げてみせますけれど、他者への関心など皆無。敬語を使っていても、笑顔でいても、すべて上辺うわべだけなのですわ。


 それにしても、どこですのよ、クラウス王子はー。あの青二才で青臭いハンサムな好青年なんて、めったに転がってはおりませんのに……ん!?


「ちょ、ちょっと! なんですの、あのパーフェクトな殿方は!!」


「はい?」


 あの青臭い雰囲気のクラウス王子が、メイクであんなに影のある男前に……ノーズシャドウで顔の彫りを深く強調した影のある表情が、まるで三十路前にしてやり手の実業家の貫禄かんろく! 道行く人々が道をあけてますわ! 名無しの下級貴族ですのに!


 おまけに、あのオールバック且つ、さらさらのロングヘアーは、ウィッグ!? 本物の髪のように、さらっさらですわ。あんなに質の良いウィッグがあるなんて……抜かりましたわ! どこの製品かしら、行ってこの手で手触りを確認したい!


「お嬢様?」


 ハッ! わたくしとしたことが、すっかり魅入みいってしまうだなんて。こんなに取り乱したのは十年振りかしら。


 お、驚きのあまり、動悸が……なにかしら、この焦燥感は。出し抜かれたことへの敗北感!? それとも、名無しの下級貴族が上流階層に溶け込んでゆくことへの苛立ち!? 不快感!? このドキドキは、この感情は、なんですの!!?


「お嬢様、クラウス王子は発見できましたか?」


「も、もちろん。馬子にも衣装をそのまま体現したかのような姿ですわね」


 錯乱したときは、可愛いモノを見て、落ち着きを取り戻しましょう。ああ〜アイリスちゃん可愛いですわ〜。あんな珍獣集団と一緒にいたら、ダイヤモンドも輝きを失いかねません。


「アイリスちゃんは、うちで保護しますわ。あんな得体の知れない男に、まともな教育ができるとは思えませんもの」


「え〜!?」


「え〜、ではありません。ベラドンナ家の方針は随時、このわたくしが更新いたしましてよ。文句がおありなら、他を雇いますわ」


「チッ子供ッテ可愛イデスヨネー」


 今、至近距離での舌打ちが聞こえましたわね。それは貴方がわたくしに屈服くっぷくした証として覚えておきましょう。


 ウェルクライムはバルコニーから室内へ移動し、メイク担当者となにやら会話。これからの段取りを確認しているのですわ。アレでもスケジュール管理能力が抜群ですの。本人は自堕落なんですけど。


 わたくしもバスローブから着替えなくては。髪もまだ半乾きですし、このまま外にいては風邪をひいてしまいますわ。


 室内に戻ったわたくしは、鏡台の椅子に座ってメイクを始めてもらいました。鏡の向こうで、ウェルクライムが壁にもたれて待機しています。


「アイリスちゃんの保護の件は、じつは以前から計画しておりましたの。秘密にしていてごめんなさいね、ウェルクライム」


「チッ仰せのままに、従いましょう」


「不機嫌ついでに、もう少し話に付き合いなさいな。アイリスちゃんが着ている、あの可愛い水色の衣装には、ちゃんとした理由がありますの」


「へー」


「アイリスちゃんを保護する第一段階として、まずはあの衣装を着てもらう必要があったのです。舞踏会までに着替えていなかったら、こちらで控え室に連れてゆくつもりでしたの」


「あのガキに仕えるなんて嫌っすよ、俺」


「安心なさい、貴方には指一本触れさせませんわ」


「それは光栄です、お嬢様」


「詳しい作戦は、またあとで説明しますわね。貴方とだけは情報を共有しておかねばなりませんから」


「お嬢様は昔っから心配症ですもんね」


 なに嗤っていますのよ。貴方の予期せぬ暴走のほうがよっぽど心配ですわ。いったい何人の負傷者を出せば、気が済むのかしら。


 ケガ人と言えば、クラウス王子、わたくしの仕掛けたお遊びは楽しんでくださいましたかしら? 図書館に来た貴方への手厚い歓迎、ヘイワーズに命じて書庫を封鎖し、さらには司書全員に、貴方への手助けを一切禁止させたのは、他ならぬ、このわたくし。


 司書からの報告は、すべてこの耳に入っておりますわ。クラウス王子、貴方はまんまと罠にはまりましたわね。


 わたくしが貴方に出した条件を、覚えていなくて? 貴方が貴族である証拠を作ったら、わたくしと一曲踊るんでしたわよねえ?


 それで、その証拠とやらは図書館で作ってきましたの? うふふふ、大方わたくしからの招待状が、その証拠になるとでも思っているのでしょうね。


 可哀想に。


 招待状をよくご覧にならなかったのかしら。その招待状は、偽物ですわ。左端に押されるはずの、王家の印がありませんの。


 もちろん、お城の受付には話を通してあげますわ。、とね。


 そしてわたくしからのダンスの指名を受けた貴方が、大勢の前に出てきた瞬間、受付が声高らかに、こう叫びますの。


『この招待状は偽物だ!! クラウス王子はこの舞踏会に呼ばれていない!!』


 さあ、どうなさるおつもりかしら。


 赤っ恥を掻いたまま、衛兵に連行されてゆきなさいな! そして二度とこの地を踏めなくしてやりますわ!


『素晴らしい……完璧かんっぺきな悪役っぷりでございます、お嬢様』


 この作戦を思いついたとき、ウェルクライムにも相談しました。彼は二つ返事で、協力を申し出てくれましたわ。彼ほど理想的かつ行動力と野心に溢れた執事はいないでしょう。ほんの少し、下品で横暴で周囲が見えていないのが珠に傷ですけれど。


 あら、扉をノックする音が。どなたかしら、荷物が届いたのかしら?


「ウェルクライム、貴方に任せますわ」


 だってわたくし、まだお化粧が終わっていませんもの。


 しばらくして、木箱を片手にしたウェルクライムが戻ってきました。黒いリボンをほどいて、中身を確認し、ニヤリとしています。


「ケイトリンが注文していた衣装です。無事に手に入りました」


「そう。業者に手を回した甲斐かいがありましたわ」


 木箱の中には、男性用の礼装が、綺麗にたたまれて納まっていました。


「すぐに廃棄なさい」


「は」


 廃棄の仕方は、あえて指示しません。ウェルクライムの手に掛かれば、どんなに良い生地も食器も、粉々ですもの。


 あらあら、鏡の中のわたくしったら、不敵に微笑んでいますわ。クラウス王子の変身っぷりには驚かされましたけど、あとは全てが計画通り。


 ケイトリン、貴女も年頃なんだから、もっと華やかなドレスでないと、主役にはなれませんわよ。


 もちろん、悲劇のね!


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