第24話   最初の戦場は図書館前②

「あの体調が悪そうな人が、そんなに危険なの?」


 妖精に尋ねると、大きくうなずかれた。


「彼の顔に見覚えはない? あたしのしと真正面からにらみ合ってた、あの執事よ」


「へえ? ベラドンナさんの執事なの?」


 そう言われてみれば、彼の顔はそっくりだった。否、よく見たら本人だった。


 へえ、人は身に付けている物で、こんなに変わるんだな。革の鎧を、肩や腹部にまとっていて、まるで盗賊シーフみたいだ。あ、犯罪者って意味の盗賊じゃなくて、盗賊系統の特技に特化した、冒険者って意味のね。


 父さんの友達にも、盗賊がいたんだって。僕は会ったことないけど、たしか父さんと同年代だって聞いてる。僕くらいのお子さんとか、いるかもな。


「回り道しましょ。柵を通り抜けられる扉は、何箇所かあるわ」


 妖精は危険な相手だって言うけど……具合悪そうだし、声ぐらいかけよう。


「ちょっと!? なに近づいてんのよ!」


「あのー、大丈夫?」


 後ろで妖精がうるさかったけど、僕は彼に声をかけてみた。


 彼は薄いまぶたを開くと、小首を傾げるように僕を見上げて、眠そうな目を、ゆっくりぱちぱち。


「クラウス・シュミット様ですか?」


「あ、うん」


「あいにく今日は休館日です。出直してきてください」


「いいえ、入れるはずよ。休館日は明日だから」


 妖精が僕に加勢した。


「今日は休館日じゃないよ。人が来ると思うから、ここで休むのは賛成しないな。別の所に移動しよう。立てる?」


 たぶん、きみが通せん坊してるその扉も、使われると思うから。


「……では、お嬢様のご命令です。ここは、お通しできません」


 では、ってなんだよ。言い訳や嘘が下手くそだな。


「もうそんなヤツほっときましょ。攻略できないこともないキャラだけど、気難しいし、ベラドンナの執事だから彼女の屋敷に忍び込まなきゃ会えないし、そのとき彼女に見つかったらガメオベラになっちゃうわよ。こっちが贈るプレゼントもレアじゃなかったら好感度上がらないし、恋人になったって、悲壮感たっぷりのスチル一枚きりなんだから」


 またガメオベラって単語がでてきたぞ。ガメオベラって、たぶん良くないことの意味だよな。攻略やスチルの意味は、ちょっとまだわからないや。


 妖精の言う通り、ここで休ませてたほうが、互いのためなんだろうか。うーーむ、いちいち妖精の発言に戸惑う。


「コーヒー……」


「え?」


 なにかつぶやいたぞ、この人。


「ブラックコーヒー……」


 ええ……?


 戸惑って距離を取ってしまった僕と入れ替わるように、白いひらひらのエプロンを付けた小柄こがら給仕きゅうじが、両手で丁寧に、コーヒー入りのカップを運んできた。こぼさないためだろう、静かな歩き方だったから、僕は給仕の接近にまったく気づいていなかった。


「お待たせいたしました。こちら、ご注文のブラックコーヒーになります」


 給仕は彼の両手に丁寧に渡すと、一礼して、去っていった。


 運ばれているうちに少し冷めたのか、彼は喉を鳴らして飲み下してしまった。


 まるでビールを飲み干したおっさんみたいにプハーッと一息。


「ああぁあぁあこの苦み、脳天突き抜けるぜぇ!」


 ドスの効いた声とともに、片足を地面に突き立てるようにして立ち上がったのは、凶悪な顔付きと化した、執事の青年(?)だった。あーあ、カップが割れて、地面に散らかってしまった。


 声も違うし、顔も、まとう雰囲気もぜんぜん違ってて、もはや別人の域だった。


 さらに革の鎧の背中部分に、短剣を二本もしまえるさやがあったなんて、彼が座ってたときは陰になっていて見えなかった。


 今それを二本とも、目の前でギラつかされています。


「もう一度訊くぞ、お前はクラウス・シュミットか?」


 じりじりと近づいてくる。僕も、後ろ歩きで距離を保ち続けた。


「いかにも。僕がクラウス・シュミットだ」


「違うな。俺はお前をよーく知ってる」


 迷いなく短剣の切っ先を向けられた。


「ガメオベラを回避するわ! 少し待ってて」


 後ろで妖精が何か叫んでるけど、そっちに振り向けない。この刃から視線を逸らしたら最期、背中に突き立てられる、そんな気がして止まない。


「こんな所で再会するなんてなぁ? 俺ぁてっきり、みーんなシュミットのクソ野郎に殺されたのかと思ったぜぇ?」


「父さんに? 何を言っているんだ。いったい誰なんだ、お前は」


 僕の知り合いに、少なくともブラックコーヒーで豹変する人はいない。


 わ、すっごく怖い顔になったぞ。そんな顔されても、本当に知らないんだって!


 え? なにその構え。何か投げるの?


 わああ! 短剣投げてきたー!!


 僕の耳元を、風を切り裂く唸りを上げながら、銀色が一閃する。


 さすがに後ろ歩きでは無理だ! 背を向けてでも逃げなくては!


「シャハハハハハー!! こっから先に進みたきゃあ俺を倒してからにしなぁ!! この裏切り者があ!!」


「クラウス王子! 柵に沿って走って! あたしが扉の内鍵を開けたわ!」


 ええ!? 妖精、きみはこんな展開になることを予測してたのか。


 脇目も振らずに、僕は走り続けた。逃げ足には自信があるよ、でも後ろの靴音が、離れてくれない〜!!


 あ、妖精が前方で手を振っている。あそこが、内鍵の上がった出入り口か。


 僕は柵の戸を開けて身を滑り込ませると、上がっている内鍵をガチャンと下げた。柵の目は細かくて、大人が隙間すきまから指を伸ばしても、内鍵には届かないだろう。


「ゲームの展開だと、彼は柵を乗り越えてまでは来ないはずよ。図書館に行きましょう」


 妖精がふらふらと、不安定な軌道で、僕の肩に下りてきた。細い両手で顔を覆ってしまう。


「ハア〜、実際に行動するのと、ゲームで選択肢を選ぶのとじゃ、ぜんぜん労力が違うわね。あたし、伯爵に復讐する前に消滅しちゃうかも、つらいわ〜」


「助かったよ、妖精。どうか消滅するだなんて言わないでくれ」


 あ、執事(?)っぽい人が、柵をよじ登ってるぞ。ひとまず図書館の中に避難しないとな。


「あら? なんであいつ、あきらめないの?」


「妖精、早く行こうよ」


「たしか、ゲームだとここで悪態つきながら引き返したはず……」


 突如、僕の足元に、短剣をスカートで受け止めてしまった妖精が落ちてきて、そのまま地面に縫い付けられてしまった!


「キャアア! こ、これはいったい、どういう事なの!」


「と、とにかく図書館に避難するよ! きみも逃げて!」


 僕はしゃがんで水色のスカートから短剣を引き抜き、妖精を掴むと空へと放り投げた。気持ち悪いから短剣はそのへんに投げた。


 後ろを振り向かずに、図書館の茶色い扉へ走る。


 うわー! 執事っぽい人が柵から着地した音がした。短剣を拾ったらしき「みっけ」の一言、そして、もう、すぐ後ろまで気配が来てる! あの短剣、捨てなきゃよかった!


 扉の金色の取手に指をかけた。うぐぐぐ、回・ら・な・い!! まさか本当に休館日だったのか!? ああもうダメだ殺される!!


「開いたわ! 入って! そして内鍵を閉めるのよ!」


 扉の内側から妖精の声が。きみってやつは、どこまで頼りになるんだ。


 僕は扉の中へと身を滑りこませ、すぐに扉を閉めようと、両手で扉を強く押した。


 うーわっ!! あの執事、飛び蹴りしてきた!! あと一秒ほど僕が遅かったら、扉が蹴破られているところだった。


 汚い罵声と、連続で繰り出される激しい足技に、扉がガタガタと揺れている。


 とてもじゃないけど相手してられないぞ。僕も武器になりそうな物があれば、もう少し強気でいられるんだが。


 あ、内鍵。忘れるところだった。しっかりと、掛けておいた。


「おつかれ〜、クラウス王子。ひとまず、ガメオベラッシュは回避ね」


「ねえ、そのガメオベなんとかって、なに?」


「Game OverのRush。無理やりローマ字読みしてガメオベラッシュよ。多くのプレイヤーの心をへし折り、レビュー欄が不満で荒れ狂う原因ね。一部のマゾプレイヤーには大ウケなんだけど」


「……ちっとも、わからないや。でも、回避しないと不味いのは伝わったよ」


「あたし、教師の才能あるかも」


「ハハハ……」


 それは、無いよ。


 ああ、扉から、木の繊維がひしゃげる音が鳴っている。足の痛覚、どうなってるんだ。コーヒー一杯で、あそこまで狂えるものか?


「昨日の綺麗な女の人が、こんな男を雇ってるだなんて、信じられないな」


「まさかクラウス王子、ベラドンナ・レニーが好みなの?」


「え? いや、好みかまでは考えてないけど。見たことないくらい綺麗な人だったなーって思い出してただけだよ」


「ふーん……」


 妖精は腰に両手をあてて、高所から見下ろしてきた。なんで僕を責めるような顔をするんだよ。


「あたしに付いて来て。貴族の書類は、奥の書架にあるから、案内するわね」


「あ、ありがとう……」


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