第3章 ベラドンナの毒
第22話 玉の輿ジョギングコース
うぅ、寝不足でふらふらする……。二時間くらいしか眠れなかった。
「おにーちゃま、おはようごらいましゅ!」
宿と隣接した喫茶店で、アイリスとサンドイッチを食べていたら、カークのご両親から、ハムステーキと目玉焼きと、オレンジジュースを
真夜中の悪酔い騒動のお
そこへ妖精が飛んでくる。夜の暗さの中では、まぶしいほど輝いて見えたのに、今では微発光する蝶々の羽根が生えた、玩具のお人形みたいだった。
「クラウス王子おはよう!」
「おはよう、妖精」
「よーせいしゃん、おはぉー」
「はーい、アイリスちゃんもおはよ〜! 今日も可愛いわ! あ、そうそうクラウス王子、今日は第三図書館へ向かうのよね。王都の重要な施設の営業時間は、あたしがすべて暗記してるから、いつでも聞いてね」
「それは助かるよ。きみって、しっかりしてるんだね。ここの施設に詳しいってことは、貴族街に住んでたの?」
「え? えーと、まあ、そんなとこね。ここは、いい所よね、ベラドンナ・レニーさえいなければの話だけど」
妖精の目が、宙を泳ぐ。いったい彼女との間に、なにがあったのだろう。昨日は扇で叩かれて鼻血が出てたけど、それ以前にもガメオベラッシュ、という目に遭ったみたいで、そっちの恨みのほうが根深そうだった。
「きみも何か食べない? サンドイッチがあるよ」
「あ〜、残念だけど、今のあたしは、アストラル体とかエーテル体とか、そっち系に近い存在なのよね。ちょっとした物には
「そ、そうか、食べられないんじゃ、しょうがないな……」
相変わらず意味不明で、なによりだよ。きみが黙ってしまったときが、僕が心配しなきゃいけない時なんだね、たぶん。
ああ、推しと言えば……カークはどこだろう。この喫茶店にはいないみたいだけど、別の場所で朝食を取ってるのかな。ケイトリンさんもいないみたいだし、ケルベロスたちもいないや。
食べ終わったら、カークと獣たちを捜さないとな。
喫茶店で会計を済ませる際に、第三図書館への道を店員に尋ねてみたけど、右曲がって左曲がっての繰り返しが多すぎて、覚えられなかった。今思えば、最初から紙に書いてもらえばよかったよ。後ろにお客さんが大勢並びだしたから、慌ててその場を離れてしまった。
アイリスを連れて喫茶店を出ると、今日も豚革マスク姿のカークが、ケルベロスたちを連れて待っていた。ずっとここで待ってたのかな。
なんだか、カークは気まずそうに身じろぎしながら、石畳の敷かれた綺麗な道に視線を落としている。
どうしたんだろう。彼も寝不足なんだろうか?
「クラウス、あの……昨日の、ことだけど……」
「ん?」
「その、温泉で……」
「ああ、きみの
「え? …………あ、うん、ありがとう……」
カークの目が泳いでいる。親戚の女の子を
あーあ、色恋に興味が抱ける人が
はーあ、自分で解説してて情けなくなってきたぞ。早く図書館に行って、書類を制作してこないとな。図書館長のヘイワーズさんって人に、会えるといいんだけど。
「そ、それじゃあクラウス、図書館、行こうか。その予定でしょ?」
「あ、その件なんだけど、今日も案内を、お願いしてもいいだろうか。その、図書館なんて、見たこともなくて。喫茶店で道を教えてもらったんだけど、覚えられなかったんだ」
僕は世間知らずを隠すこともしなかった。ヘンに知ったかぶっていては、アイリスを連れて一日中、街をさまようことになりかねないし。
「うん、任せて。少し歩くけど」
「ありゅくのすきー」
アイリスもたっぷり寝たおかげか、すごく元気だ。これなら連れて歩ける。
いずれ、いろんなことが解決したら、カークにはたくさんお礼がしたいな。もう何日も、お世話になりっぱなしだから。
次からはカークに頼らなくても、一人で行けるようにするために、一発で道を覚えないとな。
右曲がって、左曲がって、右曲がって、右曲がって、左曲がったあたりで方向感覚がおかしくなってしまった。
どの道も大きく幅があって、ぜんぶがメイン通りみたいだった。さすが、貴族街。お店はきらびやかだけど上品な大人テイストで、ぱっと見はなんのお店かわからなくても、よくよく見ると静かに鎮座する万年筆や男物の革鞄など、こだわりの質は鼻孔からも、違いを匂わせ、感じさせる。
革の素材の匂いがいいね、とカークに話したら、動物の革は苦手、と返された。話題選びを間違えてしまったことを反省する。
ちょっと気まずくなっていたところに、ホイッスルの音だろうか、けたたましく鳴り響いた。二階、三階建ての建物に反響し、青い空に、鋭い音が吸い込まれてゆく。
近所迷惑だろうな〜、こんな時間に。
あ、女の人が大勢、隊列組んで走ってきたぞ。きっと朝のジョギングだな。やっぱり、こういう社会に住んでる人達は、健康と美容を維持するために努力してるんだな。
「あれは全員が
「え? へえ〜、選ばれるために努力してるんだな」
あ、また隊列がやってきた。わあ、どんどん走ってくるぞ。後宮の人、何人いるんだよ。
「アイリシュも、はしりちゃいなー」
アイリスは今日もらったウサギのぬいぐるみを、ぴょんぴょん揺らして、空想の道を走らせていた。
あれ? おばさんや、子供まで走ってくるぞ? 義手だろうか、木材と鉄材を組み合わせた器具を片腕にはめている人もいる。外人もいるぞ?
「ねえカーク、さっき全員が後宮の女性だって言ってたよね。子供や、高齢な人もいるんだけど」
「うん。女性であれば、誰でも後宮に入れるんだ。その代わり、王様と同じトレーニングを、毎日受けることになる。さらに家事全般の特訓と試験、教養を積むための勉強、試験、数多の資格取得、大会での優勝経験五十以上、他にもあるけど、挙げたらキリがない」
「女性に求める理想が、バカ高い……」
「しかも、たった一回でも失敗したら、後宮を追い出されて、二度と戻ることは許されない」
「厳しいってレベルじゃない……。なんでそこまで、女性に求めるんだ」
「王様の好みが、絶対に自分を悲しませない最強の女性だから。今のところ、王様から合格点をもらえた人はいない。だから、お世継ぎ問題が、深刻化している」
王様、少しくらい妥協してあげてよ。なんだよ、自分を悲しませない女性って。そんな人いるわけないだろ。一緒に暮らしてたらケンカするときだってあるじゃないか。
綺麗に二列で走ってゆく女性陣。化粧は汗でずり落ちて、頭部にひっつめたポニーテールのせいで顔は引きつり、「フッ! フッ! フッ!」という弾んだ息が、道を挟んで離れている僕らのもとまで聞こえる。普段から鍛えているらしく、手足が筋肉で引き締まっていた。
そして全員が、怖い顔で走っていた。彼女たちが狙っているのは、正妻の座だろう。ということは、前後左右の女性たち全員がライバルということになるから、そんな顔になっちゃうのは仕方がないとは思うけど、朝から見てはいけないモノだった。
ふらっと、列を離れた女性がいた。路肩に倒れ込み、何度も立ち上がろうと石畳に手をつくが、そのたびにまた倒れてしまった。
ホイッスルが鳴り響き、皆を先導していた女性が隊列を止めて、こちらにやってきた。うわー、怖い顔してる。
「なにをしているの! 休憩ならさっき取ったはずですよ!」
「も、もう、走れません……」
「ならば、貴女はここまでね。後宮にある貴女の荷物は、外に出しておきますから勝手に持って帰りなさい。では皆さん、参りましょう! 王を二度と悲しませないために!」
「「「悲しませないために!!!」」」
綺麗に声を揃えて、女性たちが豪語する。まるで何かの宗教みたいで、怖い。
ああ、置き去りにされた女の人、泣いちゃってるよ、かわいそうに……。
「クラウス、行こう。彼女は一人で、泣かせてあげよう」
「え? ああ、うん……」
声だけでも、かけてあげたかったけど、かえって女性に気を遣わせそうだと思い、その場を離れた。なんだか胸が、もやもやする……。
「あのおねーちゃま、ないてりゅよ、どうしちゃのかな」
「行こう、アイリス」
心配そうにしている妹の背中を、僕は軽く押して急かした。
……うん、まあ、玉の
「クラウス、もうすぐで、図書館に着くよ」
「あ、うん……」
綺麗なだけではない、ここには理不尽な厳しさが、あるんだ。王様の奥さんになれなくたって、幸せにはなれるはず、でも彼女たちは王様がいいんだろう。
人の好みって、難しい問題だな……。
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