第21話   カークのお父さん

 カークの両親がいる宿泊施設は、シンプルながら良質な建築素材をふんだんに使った、こだわりのある建物だった。ほっとするような、丸みのある装飾が、カークのご両親らしいなって思った。なんとなくだけど。


 玄関をくぐると、カークのお母さんがロビーで待っていた。


「遅かったわね、カーク。さ、お部屋で休んでらっしゃい。あら? クラウスさんと、アイリスちゃんも、こちらの宿でしたの?」


「ああ、えっと……」


 まさか宿に入ってすぐにカークのお母さんに会うとは、想定してなかったから、言葉が出てこない。


「お母さん、アイリスだけ、お部屋で預かってほしい。それと、僕はクラウスと二人で、歩いてる」


 そう! それだよ、僕が言いたかったのは。カークが代弁してくれて、ほっとした。


 僕はもう、いろいろあって疲れたせいか、口が回らなくなっていた。次に厄介そうな相手に遭遇しても、しゃべりで張り合う気力が、ない。


「あら! いけませんよ、カーク。年頃なんだから、治安の良い貴族街でも遅くまで出歩いてはなりません」


「でも、お母さん」


「わかっていますとも。クラウスさん、私は今日カークと一緒に寝ますから、貴方は夫と同室で、休んでちょうだいな」


「ええ?」


 それは、旦那さんの許可がいるでしょ、ここで勝手に決められてしまっては、気まずいなんてものじゃない。


 あ、なんてこった、旦那さんが来ちゃった。水色のバスローブ着てる。


「あら、あなた、ちょうどいいところに。クラウスさんたちお宿の予約を忘れてしまったみたいなの。ここも満室だから、あなたと同室でお願いできますか? 私はカークとアイリスちゃんと一緒に寝ますね」


 うんうん、と無言でうなずいた、カークのお父さん。僕をまっすぐ見据えると、うんうん、とまたうなずいた。


「あ、あの、僕、手持ちが、その……」


「あら、気にしなくていいのよ。私が勝手に引き込んだんだから、ね? あなた」


 うんうん、とうなずく、カークのお父さん。そしてちょびひげをのせた口が、ゆっくりと開かれた。


「クラウスくん、大事なお話があるんだ。じっくり話し合おう。二人きりで」


 うわあああ! しゃべった! しかも美声だ。


「は、はい……」


 なんだろう、この異様な圧力は。顔は笑顔だけど、この人すごく怒ってないか? 僕、なにかしたのかな。身に覚えがないんだけど。あ、やっぱり、同じ部屋なの、嫌だった、とか?


 どうしよう……もう断れる雰囲気じゃないんだけど。



 ここの宿には温泉が湧いていて、カークのお父さんいわく、この土地が貴族街に選ばれたのは、温泉が引きやすいからだったそうだ。


 僕は初めて温泉に入ってみたけど、壁を挟んでとなりからずーっとアイリスのはしゃぎ声がしていて、もう夜も遅いから静かにね、って何度も注意していたら、周りの人にすっごく笑われて恥ずかしかった。


 サイズの合わないバスローブを着て、僕はフロントで分厚ぶあつ毛布もうふを何枚か借りて、カークのお父さんのいる部屋の床に敷いた。


 カークのお父さんは、僕がベッドを使うようにと何度も勧めてくれたのだが、ご高齢だし、とても甘えるわけにはいかない。


「すまないね、こんな歳じゃなかったら、どこだって眠れたのに」


「いいえ、泊めて頂いている手前、貴方が床だなんてとても耐えられません」


「ははは、なかなかの好青年だ」


 カークのお父さんはベッドの上で、僕は敷いた毛布の中に収まっていた。部屋が微妙にお酒臭いんだけど、僕が温泉に入っている間に、飲んでたのかな。


「うちの子を見て、どう思ったかい」


「カークですか? 僕と妹をずっと気にかけてくれて、道中とても助けられました。不慣れな旅に妹連れで……彼に出会えていなかったら、僕らは今頃どうなっていたか、わかりません……」


 僕は、妹を連れて王都に来た理由を、話すことにした。義母が持ってきた縁談から始まり、様子のおかしい伯爵に会って直接断りに行ったけどダメだったこと、借金の返済うんぬんではなく、伯爵が個人的にアイリスを手に入れようとしていること。自分で話していて、わけがわかんなくなる状況下だった。


「そうか……あの伯爵が、そんなことを。残念だが、カークと私では、さほど力になれそうにない。きみは知らないかもしれないが、この国では、貴族同士の上下関係がとても強固なものなんだよ。男爵家の我々では、伯爵を止める権限がない。このままでは、アイリスちゃんは伯爵に奪われてしまうだろう」


「そんな……僕は、どうしたらいいですか。たった一人の家族なんです。ずっと僕が、守ってきました。妹を奪われたら、僕はなんのために生きているのか、わからなくなります」


「方法がないわけじゃないんだが……」


 カークのお父さんは、言いづらいのか、掛け布団越しでもお腹がへっこんだのがわかるほど深いため息をついた。


「この国ではね、爵位のある貴族同士は、婚姻が認められていないんだ。陛下だけは、どんな身分の女性も選べるのだが、それでもおそらくは、庶民から選ぶだろう。他の貴族も、私もそうだった。妻は平民出身、私の母も、平民の出だ」


「……あの、つまり、どういう意味でしょうか」


「きみが、伯爵家よりも爵位の上の女性と、結婚することだ。そしてきみが、その爵位に就く。この国では女性だと跡継ぎになれないからね」


「え……そんな高貴な女性と結婚なんて、ちょ、ちょっと、無理があるんじゃ……」


「それか、爵位のある兄を持つ妹君と結婚し、きみの望みを、義兄に解決してもらう方法さ。なーに、きみの見た目ならば、まるっきり不可能ではないさ」


「不可能ですよ!! そんな都合よくいけませんって」


「では、アイリスちゃんは伯爵の玩具おもちゃだ。それでもいいんだね?」


 そんな突き放すような言い方、しなくても。ううむ、伯爵以上の爵位の持ち主じゃないと、手も足も出ないらしい。でも、そんな知り合い、いないし、コネもツテもないし、困ったぞ……。


「それにしても、そうか、そうだったのか、うーむ……ぜひ、うちのケイトリンの婿むこにと、思ったのだがな」


「え? ケイトリンって誰ですか?」


「ああああいやああああこっちの話だよ。若い人は耳がよくて困るね」


「あ、はい、すみません……」


 誰だろう、カークの親戚かな。友人知人関係から、縁談がくることもあるだろうし、僕もそろそろ、そういった話に悩まされる時期がきたんだな。今は妹と家のことで頭がいっぱいだから、結婚なんて、考えられないよ。


 あ〜……眠くなってきた。まだとなりで何かしゃべってる声がするけど、もう限界……まぶたが、閉じて、ゆく……。



 って、カークのお父さんが、急に気分が悪いって起きちゃって、ずっとトイレでゲーゲーやってるんだけど。さすがに眠れない。


「大丈夫ですか?」


 ……。

 返事もできないようだ。どうしよう、フロントの人を呼ぶべきかな。あ、飲み物を持ってきたほうがいいかな。


「あの、僕、フロントに行って、何か気分が良くなる飲み物をもらってきますね」


 自分で言っておいて、はたしてそんな飲み物があるのだろうかと小首を傾げながら、部屋を出た。真夜中だから、廊下には誰も歩いていない。


 そんなに広くない宿屋だから、フロントはすぐそこにあった。フロントの左右に、男湯、女湯の暖簾のれんがかけてあって、そこから温泉へと続いている。


 フロント、誰もいないけど、そこの呼び鈴を鳴らせば出てきてくれるかな。


「あ、クラウ――」


 ん? カークの声だ。どこだろう、女湯の暖簾のれんをくぐって出てきた、女の人しかいないけど。目が合っちゃったし、挨拶くらいしておくか。


「こんばんはー」


「こ、こんばんは……」


 女の人は、長くのばした前髪で、しきりに顔の半分を隠しながら、おどおどしていた。ああ、化粧をしてない顔を見られたくないんだな。フロント側を向いておくか。


 義母かあさんだって化粧してなきゃお婆ちゃんみたいな顔してるし、今頃、愛人の男たちは後悔してるだろうな。


「あ、あの……こんな時間に、なにを……」


「え? えーっと、同室の人が悪酔いしちゃったから、フロントで飲み物をもらって持って行こうと思ってるんだ」


「え? あ……そうなん、ですか。がんばって、くださいね……。あんまり、アルコールに強い人じゃないから、できれば、飲酒を止めてくれたら、嬉しいです……」


 めっちゃ話しかけてくるな、この女の人。


 あれ? なんでカークのお父さんがアルコールに弱いって知ってるの?


 あ、わかった、この人がカークの親戚のケイトリンさんなんだ。同じ宿に泊まってたのか。でも、いきなり「ケイトリンさんですか?」って聞くと、この気弱そうなおどおどっぷりからして、悲鳴を上げられかねない。


「わかったよ。これ以上飲まれないように見張っとくね」


 僕が振り向いてうなずくと、ケイトリンさんは猫背に縮こまったまま、薄ピンクのバスローブの胸元をしっかり掻き寄せて、そそくさと去っていった。と言うより、逃げていった。


 ……もしかして、襲われるとでも思ったのかな。自意識過剰だなぁ。たとえ目の前に全裸の美女が立っていたとしても、くったくたに疲れてるせいで、なんの感情もわかないよ……。


 明日、起きられるかな。ああ、呼び鈴、フロントの人を呼ばないと。


 ハァ、ねむ〜……。


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