第20話   貴族街の女王ベラドンナ・レニー

「クラウス」


「クラウス王子!」


 カークと妖精の鋭い声に、僕の名前が呼ばれた。それが何を意味する合図なのか、僕はすぐに理解できなかった。


 気づけば、さっきの美人な女の人が、僕らの前に立っていた。すらっと背の高い、ハンサムな若い執事を後ろにひかえさせている。


「あらあら、わたくしの愛する美しき街に、子豚ちゃんたちが紛れこんでいるなんて」


 子豚? 大変だ、またアイリスが「きゃああ! ぶたしゃんだー!」とか叫んで、近所迷惑になる。


 背中のアイリスが寝ているか起きているのか、わからなくて、あたふたしていると、女性の目線が、あきらかに僕らへ向いていることに気がついた。


「ベラドンナ・レニー……」


 カークのこんなに警戒した声を聞くのは、初めてだった。あの人形メイドに遭遇した後でさえ、こちらを心配してくれる余裕があったのに。


 ベラドンナなんていう、毒のある植物の名前をかんむりのごとく載せている女性は、口の端をゆがめて微笑んでいる。


「こんばんは、子豚男爵。まさか、そのみっともないが過ぎるマスクで舞踏会に現れるつもりではありませんわよね? きちんと外して来なさいな。陛下の前では、貴女あなたの価値観など虫けらほどにも理解されませんのよ」


 優しい声で、毒たっぷりに正論を……。その言い方はひどいけど、やっぱりカークのマスクって、ヘンだよね。本人はヘンだって思ってなさそうだから言わなかったけど。僕と同じこと思ってる人がいて、ちょっと安心した。


 げ、ベラなんとかさんと目が合ってしまった。


「あら、お顔だけは綺麗な従者ですこと。どこの国から購入しましたの? わたくしもぜひ手に入れたいわ」


「クラウスは友達。使用人じゃない」


「ふぅん、子豚男爵にお友達が。どうせ貴女を甘やかす親御さんが雇った、かりそめのご友人でしょう?」


 わずか十秒足らずで、ここまで憎まれ口を叩けるのは、あるしゅの才能を感じる。


 友達まで侮辱されては、黙っていられない。減らず口なら負けないぞ……と言いたいところだけど、彼女の身なりからして、相当身分の高い女性だ。ちゃんと考えて、丁寧に言い返さないと、無礼者! の一言で首をはねられかねない。もちろん物理的な意味でだ。


 ここは慎重に……僕は一歩前に出た。


「こんばんは。お初にお目にかかります、麗しいご令嬢レディ。僕はクラウス・シュミットと申します。モーリス氏とは、対等な立場で交友しておりますので、無粋ぶすい嫌疑けんぎをかけるのは、ご遠慮頂きたい」


 ベラなんとかの目尻がつり上がった。目尻までしっかりと、輝く粉でお化粧していて、見た目だけはとても綺麗に整っている。


「シュミットとおっしゃいまして?」


 彼女の片手の扇が、大きな音を立てて開かれた。あえて大きな音を出して威嚇してきたのだとわかるくらい、乱暴な作法だった。


 僕を凝視したまま思案にふける彼女の前に、今度はカークが一歩踏み出した。ベラの執事も、主人のとなりに並ぶ。まるでチェス盤の戦争だ。


 執事の涼しげな顔が崩れて、野蛮な人相になっていたが、カークにひるんだ様子はなかった。


「クラウスは、シュミット博士の息子さん。こっちはクラウスの妹の、アイリス」


「こんばんはー! おねーちゃまキレー!」


 僕の背中で、アイリスの無邪気な第一声が……気の抜けた僕はガクッと体勢を崩しかけてしまい、あやうくこの若さでぎっくり腰を患うところだった。


「まあ、カワイイ!」


 ベラの片手が、無遠慮に僕の頭へとのびる。ぐえ! イタタタタ! なぜか片手で髪を鷲掴みして、思いきり頭を下げさせた。


「なんてカワイイの! お人形さんみたい!」


「えへへ〜」


 ああ、アイリスを撫でたかったのか。だからって人の頭をいきなり下に押し込むかよ。あ、いい匂いする〜。めちゃくちゃ香水のいい匂いする。


「お嬢様」


 戸惑うような執事の声に、ハッと片手で口を押さえるベラ。すっとした長い眉毛をつり上げて、僕から距離を取る。


「子連れで油断を誘うなんて、たいした浅知恵ですこと」


 ええ? そっちが勝手に釣られたんだろ。なんなんだよ、この人。髪の毛、抜けたし。被害妄想が強いのかな。


「シュミット博士のことは存じておりましてよ。生涯独身で、子供などいなかったこともね」


「世間での噂など、僕は気にしません。僕と妹は、正真正銘の、シュミット家の跡継ぎです。明日、正式な書類を作成するために、第三図書館へ参ります。きっと僕たちの言っていることが正しいのだと、証明できるでしょう」


「ふーん、明日、第三図書館に、ねえ?」


 ベラの視線が、明後日のほうを向いた。そっちに図書館があるのかな。


「貴方と妹さんが、本物であると証明できましたら、ぜひ舞踏会にいらして。お待ちしております」


「え?」


「わたくしと一曲、踊りましょうクラウス。わたくしが直々に、貴方を指名いたしますわ」


「あ、ありがとう、ございます、光栄です……」


 なんでか、ダンスに誘われてしまった。僕は招待状が無いから、参加できないんだけど。


 あ、妖精がベラのもとへ突撃していった。ベラの頭の周りを高速でぐるぐる回りながら、「いったい何をたくらんでいるの!」とか、「あんたのせいで何度ゲームオーバーになったことか!」とか、「推しのカークきゅんの敵は全人類の敵なんだからね!」とか、まるでベラのことを知っているような口振りだけど、当のベラには聞こえていない様子だし、僕にもなんのことか全くわからない内容の文句だった。


「セーブデータ一個しかない上に、セーブできる場所が少ないんだから! 最後のガメオベラッシュはほんと勘弁してよね!」


 高速が過ぎて、ベラの頭の上に光の輪っかができていた。


 ベラが笑顔で扇を一振り。妖精がベシンと叩き落とされてしまった。


可愛かわいらしい玩具おもちゃですこと。最近のお子さま向けは、空も飛びますのね」


 うわー、高速回転してた妖精を、目視だけで叩き落としたぞ。すごい胴体視力だ。僕は足下の石畳にくっついてしまっている妖精を、剥がし取った。


 その後、ベラの執事が、執事服の内ポケットから金色の懐中時計を取り出して、睡眠不足は美容に悪いからとか、ヘンなうんちくを語りだして、ベラを馬車へと急がせた。


「それでは、おやすみなさい、子豚ちゃんがた。早く寝ないと、狼に食べられてしまいますわよ〜」


 わざわざ馬車を半ドアにしてまで顔を出しながら、ベラは僕らに別れを告げた。アイリスだけが「ばいば〜い!」と手を振って、馬車が見えなくなるまで見送っていた。



 ああ……嵐のような女性だったな。さっきまでしゃべっていたのが夢なんじゃないかって思うくらいだ。でも、香水の残り香がほんのり漂っているから、彼女がここにいたのは現実だ。


 気絶していた妖精も、ふらふらしながら飛んでいる。鼻血が出ていてかわいそうだけど、もっとかわいそうなのは、アイリスが目を輝かせて彼女を捕まえようと手を延ばし続けていることだった。


「むししゃん、むししゃん、こっちおいで〜」


 これじゃあ、僕の肩や頭に留まらせて休ませてあげることができない。あ、そうだ。僕はカークに頼むことにした。


 カークに快く承諾された妖精は、さっきまでの死にそうな顔はどこへやら、感極まってスカートで顔を覆いながらカークの肩に正座した。


しにさわれる日がくるなんて〜。あたしもう死んでもいい〜、でも死にたくない〜、まだ肩のぬくもりを感じていたい〜」


 う、泣いてるよ、情緒不安定だな。妖精って生き物は、みんなこうなのか?


「クラウス、行こう。僕の両親が泊まってる宿に、アイリスを預けに」


「ああ、そうだった、ボーッとしてた」


 僕らはカークのご両親がいる宿へと、歩いてゆくことにした。誰も時計を持っていないから、今が何時かわからないけど、早めに行かないとご迷惑になってしまう。


「ねえカーク、僕はなぜか初対面のご令嬢の、ダンスのお相手に選ばれたんだけど、どういう意図があるのかな」


 疑問に思って尋ねた僕を、カークと妖精がジト目で見つめる。


「クラウス、彼女に今後の予定を話しちゃダメだった」


「え? 何かまずかった?」


「たぶん、明日、図書館を閉鎖する命令を出してると思う」


「え? な、なんで? どうして彼女が、そんなことをするんだ?」


 するとカークの肩に留まっている妖精が、疲れた顔でため息をついた。


「彼女は、重要なイベントの門番なの。あたしたちの行動を、あの手この手で妨げてくるわ。彼女のせいで挫折したプレイヤーヒロインも少なくないの」


「そんなに暇なの? あの人」


「本名はレニー・ベラドンナっていうんだけど、毒のある植物ベラドンナのイメージが強すぎて、ベラドンナ・レニーって呼ばれてるの。愛称であり蔑称、彼女を恐れる全ての人が、その名で呼んでいるのよ」


「へえ〜。そこまで恐ろしい人には、見えなかったけれど」


「ベラドンナ・レニーは公爵家の令嬢で、国王陛下の花嫁候補なの。プレイヤーが何もできないでいると、主人公も攻略キャラもモブも全て蹴落として王妃になっちゃう悪女よ。彼女を終盤まで野放しにしているだけで、全滅エンドが確定しちゃうのよね」


「よくわかんないけど、何か対策しておいたほうがいいね」


「対策も何も、時すでに遅しよ、クラウス王子。陛下の婚約者である彼女から、ダンスの指名なんて受けたら、陛下から尋問されるわよ。彼女をよく思わない人たちからも、冷めた扱いを受けちゃうわ。このままじゃ、あなたとアイリスちゃんの人生詰んじゃう、えーっと、考えろあたし、何か考えないと……」


 一人で考え始める妖精。話を聞く限りでは、僕とアイリスはそうとう大変な状況に置かれたようだけど、僕には、招待状が無いんだよな。


「安心しなよ、妖精。僕は招待状が無いから、舞踏会には参加できないよ」


「あ、そうだったわね。って、それじゃカークきゅんが舞踏会で一人になっちゃう! ベラドンナ・レニーがカークきゅんに無理難題を押しつけてこないか心配だわ。ゲームの展開的には、舞踏会イベントって終盤なのよね。つまり全滅エンド目前。困ったわ……」


 早口だし、なに言ってるのか、よくわかんないけど、カークを舞踏会に一人でいさせたら危ないっていうのは、理解した。でも、僕は招待状がないし……どうしたらいいんだろうか。たしか、舞踏会は強制参加なんだよね。


 と、とりあえずアイリスを、カークのご両親のいる宿へ預けたいや。ちょっと体力的に、きつくなってきた。


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