第16話   こんな所にティーポット

 すごい湿気と、カビの臭いだ……。


 うわ、床についた手がべたべたしてるぞ。何が手にくっついたのか、想像したくない。たぶん、カビ関連。


 うう、本当に真っ暗で、何がどうなってるのか、ぜんぜんわかんない。ちょっと手をのばしてみよう。あ、何かが指先に当たった。……これ、鉄格子かな。これは、本格的にまずいぞ。


 どうやって出よう。早く出ないと。


 窓は、無いみたいだな。くっそー、換気もできないのか、どうりでカビがすごいわけだ。こんな所に長く居たら、病気になってしまう。


 あ、そうだ、僕と同じように、捕まってる人とか、いないかな。真っ暗で周囲がまったく見えないけど、もしかしたら牢屋がいっぱいあって、捕まってる人が、いるのかも。


 えっと、なんて声をかけようかな。


「すみません、誰かいらっしゃいませんか?」


 遠慮がちに声をかけてみる。


 ……返事はなしかー。もう、本当、どうしよ。

 この鉄格子、外れないかな。一本一本、手探りで掴んで、強くゆすってみるか。やらないよりマシだ。


 さっそく両手を前にして、もう一度何かに触れないか試していると、


「すごい剣幕で伯爵とやりあってたわね。ここまで聞こえてきたから、びっくりしちゃった」


 元気そうな女の子の声と、ガタガタと、なにかの入れ物が揺れる音がした。


「ねえ、そこからティーポットのふた、開けられる? あたし閉じこめられてるの。お願い、がんばって出して! お礼にあなたのこと、絶対助けてあげるから、お願いお願い、ね! ね!?」


「ティーポット?」


「そう。あなたの声が、すごく近くに聞こえる。たぶん、あたしたちはすぐそばにいるわ」


 人が入るほどのティーポットって、伯爵のお金の使い方、ほんっとにどうなってるんだよ。もはや茶器じゃなくて、拷問器具だろ。


「すぐそばって言われても、真っ暗でなんにも見えないんだ。適当に手をのばして、探してみるよ」


「あ、ちょっと待って。あたし、光ってみるから」


 え、光るの? 僕と会話してる子、何者……?

 まさか、きみも人形メイドとか……。


 わあ、鉄格子越しに、底の深いティーポットが一つ、蓋の隙間から輝きを溢れさせながら主張し始めた。

 でっかいポットだな〜。僕が両手で持ち上げて、ようやくテーブルに置ける、そんな大きさだ。……あれ? 人が入るほどの大きさではないぞ?


「どう? あたしがどこにいるか、わかった?」


「うん……でも、届くかな。ポットが鉄格子の向こうにあるんだ」


「なにか投げて、がんばってポットを倒してみて」


「わかったよ……。ねえ、一つ聞いていい?」


「どうぞ。あたしでわかることだったら、なんだって答えちゃう!」


 ハイテンションだなぁ。この不気味過ぎる場所では、その明るさがちょっと心強く感じるよ。これから僕がする質問は、もしかしたら、失礼に当たるのかもしれないけど、質問せずにいるのは、それはそれで怖いからね。


「きみ、人間じゃないよね」


「……そうかもね。でも、見た目はあんがい捨てたもんじゃないかもよ。好みは人それぞれでしょうけど」


 助けて大丈夫かな。ポットに入った人形メイドの生首とかだったら、僕もう、感情が制御できなくなって泣くかもしれないよ。


 僕の無言が、相手のため息を誘ってしまった。


「わかったわ、正直に言う。今のあたしは、人間じゃないの。でも信じてほしいの、一人で逃げたりしないって。あたしは必ず、あなたも助ける!」


 今は人間じゃないって、言ったな。元人間の、何かなのか。こわ……。


 でも、ここから出たいしな。よ、よし、話に乗ってみるか。


「わかったよ、きみを信じてみる。何か投げる物がないか、探してみるよ」


「ねえ、名前を教えて」


 しゃべり続ける、ポットの中の人。その輝きのおかげで、多少は手元が明るく……え……今、鉄格子の外を、割れた足みたいなのが、横切ったんですけど。


 なにかが牢屋の外を、徘徊してる……。故障した人形メイドなんだと思うけど、自分のことで手一杯で、ぜんぜん足音に気づかなかった。


 わあ、わあああ、辺りから、いろんな音がする。カタカタ、とか、スタスタ、とか。砂利を踏む音が、また近づいてくる。さっきの足が、往復しているようだ。同じところを行ったり来たりしてるのかな。


「どうしたの?」


「ねえ、ここ、まずいかも。僕は逃げられないかもしれない。なにかがいっぱいいるんだ」


「弱気にならないで。お話しながら作業すれば、気が紛れるかも」


 会話で、励ましてくれるのか。彼女のほうも、しゃべってるときのほうが輝きが増しているから、助かるな。


「僕の名前は、クラウス・シュミット。今いろいろあって、地下牢に投獄されてるけど、これといって悪いことはしてないよ」


「クラウス・シュミットって、アイリスちゃんって妹がいるキャラよね。重度のシスコンだけど、ちゃんと理由があってそうなってるっていう設定が――あ、なんでもないの。こっちの話」


 え、なになに? 急に早口になって、設定とか言ってたのが聞こえたんだけど。こっちは本気で妹を心配してるんだっての。演劇でやってるわけじゃないよ。


 助けて大丈夫なのかな、このポットの人(?)。


「どうして妹の名前を知ってるの?」


「あ〜え〜、ん〜と、伯爵と言い合いになってるあなたの声が、ここまで聞こえたの。妹さんの名前も、何度か出てたから、それで知ったのよ」


 ……本当かなぁ。なんだか、声に焦りを感じたんだけど。


 って、迷ってる時間はない。早くここから出て、カークたちと合流しないと。


 よし、次にあのヒビ割れた足が来たら……あ、来た来た、ちょっとごめんね、足首、掴むよ!


「よいしょっと!」


 あ、ダメだった。引っこ抜けなかったか。関節が抜ける子と抜けない子がいるんだな。我ながら、すごい感想だ。


 えー……どうしようかな。石とかないかな。他に投げられそうな物って言ったら、父さんから貰った形見のブローチしかないよ……。


 あ、またさっきの足が戻ってきた。僕が足首を掴んで引っぱり寄せたせいで、ちょっと軌道がずれている。


 そして、ティーポットを蹴っ飛ばしていった。


「ぐえ!」


 全身が光り輝いている小さな女の子が、ポットから転がり出てきた。この国ではすごく珍しい黒髪で、肩まで切りそろえた毛先が、元気にハネている。水色のワンピースのような服を着ているけど、サイズが合ってないのか、ダボっとしていた。


 その小さな背中には、白い蝶々のような羽が生えていて、女の子はそれを羽ばたかせて、僕の目の前まで上昇してきた。狭い鉄格子の隙間も、難なく通れる。


「あら、やっぱりクラウス王子だ! キャー! 非攻略キャラのモブにしとくのは、もったいないビジュアルだな〜って以前から思ってたのよね」


 ほっぺに両手をあてて、早口ではしゃいでいる。


「ひこーりゃくって、なに?」


「ああ、こっちの話。気にしないで。長いこと誰にも気づかれずにいたせいか、つい独り言かましちゃって、イタいキャラよね、アハハ」


 ……なにを言ってるんだ? もしかして、助けないほうが良かったのかな。


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