第13話   伯爵が欲しいモノ

 伯爵は車椅子ごと、僕に背を向けている状態だった。


「おい二番、私の椅子をお客人へ向けておくれ」


「かしこまりました」


 蝋燭ろうそくの灯りだけで、つやつやと肌を光らせるメイドが、彼の車椅子を半回転させて、位置を調整した。


 こうして僕はようやく伯爵と対面することが叶ったわけだけど、その姿を初めて目にしたときの衝撃は、父さんが二番目の奥さんを貰ってきたときと同じぐらいだった。


 灰色の肌は、引っ張ったらどこまでも伸びそうなほどシワでたるみ、どれが目なのかわからないほどしみだらけで、髪の毛は針のようにちりちりとした物が数本だけ。七十、八十ではない、もっと上だ。きっと百歳以上だろう。


 そんな御仁ごじんが、純白の花婿衣装を着ていた。結婚は十六歳以上ならば誰でもできるのがこの国の法律だけど、この衣装の作りは若々しい夫婦向けというか、百歳のおじいさんが身につけるには、あまりに派手だった。


 生地そのものが真珠のように輝いていて、己の主役っぷりをこれでもかと周囲に主張している、その派手さが、落ち着きのある歳を迎えた人にはちっとも似合っていない。夢に出そうなほど似合っていない。


 しかも、初対面ですでに花婿衣装を着こんでいるだなんて。たとえ僕がやって来ることを事前に知っていたとしても、せいぜいマネキンに着せて準備する程度だろうに、なんで本人が、普段の日に着ているのか。


 まさかそれ、普段着なのか!?


「やあ、元気そうな若者だ。なかなか来ないから、心配していたよ」


 僕はカルチャーショックで頭が真っ白になっていたせいか、返事が遅れてしまった。屋敷の広さを誉めるようなお世辞で応える。


「アイリスちゃんは、どこなんだい?」


「あ、あの、伯爵、まことに申し上げにくいのですが、本日は、僕の妹との婚約の件を、もう一度考え直していただきたくて、参上いたしました」


 緊張で言葉を詰まらせながらも、必死に口を動かした。普段着が純白のタキシードという、強烈な先制攻撃を食らって、呂律ろれつが回らない。


「なにぶん、妹はまだ七歳です。そして伯爵は、妹の身内である僕に、一言もお言葉がありませんでしたので、来月の挙式のご予定には、とても驚かされました。もちろん、婚約を承諾した義母ははとも話し合いましたが、兄である僕はどうしても納得がいきません。どうか、お考え直しを。妹はまだ七つで、この国は十六歳未満の人間と結婚することは法律で認められておりません」


 僕はこれから、伯爵を怒らせてしまうだろう。きっとものすごい罵倒され、すさまじく嫌われる可能性だってあるだろう。社交界からの圧力だって、あるかもしれない。


 だけど、それを怖がっていてはアイリスを奪われる。法律を無視してまで、アイリスを手に入れたいという、怪しい老人に。


「偉大なる研究を成し遂げる男には、何が必要だと思うかね?」


「え……?」


 な、なんだよ、急に。そんなの、わっかんないよ。


 えーと、研究資金とか? でも伯爵は、投資先を立派な店になるまで待てるぐらいの、資産家なんだよな。しかも、伯爵から援助を受けたと言う、あの料理人ふうのおじさんからの返済を、受け取らないどころか、ずっと無視してるらしいし、屋敷の中では美人なお人形をたくさん買い込んで転がしてるわで、もう、なんと言うか、すさまじい財力だ。


 あ、じゃあ、お金じゃないのか。


 え〜? なんだろう、わからん……。


 長考する僕を、伯爵は眺めていた。彼なりに決めた制限時間がきたらしく、口火を切ったのは伯爵だった。


「答えは、けっして裏切らない助手だ。さらにその助手となる人材が、良妻な賢母であったならば最高だ。相思相愛で互いを尊重し、利益も喜びも分け合える……そんな二人ならば、どこまでも先をゆける素晴らしい研究者で居続けられるだろう。理想的な職場婚だ」


「いえ、あの、職場婚って、アイリスはまだ子供で、働いてないんですが」


「これから、そうなるように私が教育しよう。きみの妹は世界で一番幸せな女性になるんだよ。食べ物にも着る物にも、教育にも不自由はさせない。彼女が手に入れたい物は、なんでも取り寄せてやろう。その代わり、私の優秀な助手として、妻として、その未来を捧げてもらう。良い条件だろう? きみの義母ははは、すぐに承諾してくれたよ」


 お金に困ってる僕らの状況からすれば、全てを与える代わりに妻になるなんて好条件、飛びつくのが普通だろうな。


 アイリスが十六歳以上であれば、の話だけど。


 愛があれば歳の差なんて些細な問題だ、という意見もあるし、僕自身も年齢差のある結婚に偏見は抱いていない。二人の間に愛があるんならね。これが大事なんじゃないかなって思うんだ。恋愛とかしたことないから、はっきりと言えないんだけど。


 でも、アイリスは伯爵に会ったことがないから、愛どころか、好きでもなんでもない相手だ。


 たとえ百歳と七歳が相思相愛であっても、七歳側が十六歳になるまで、皆が待たなければいけない。それなのに来月に挙式とは。


「あの、養女ではなく、妻にすることにこだわる理由はなんですか?」


「アイリスちゃんには、妻であるという自覚を持って生活してもらいたいのだよ。私を親か兄のように慕われては困る。依存する子供ではなく、私を支える柱となってほしいのさ」


 んん? それって、べつにアイリスじゃなくてもよくないか? 我が妹ながらドッグフードを食べちゃうような子よりも、もっとしっかりした子を迎えたほうが、仕事も早々に覚えてくれて、研究のお手伝いに参加してくれそうな気がするんだが。


「どうして、アイリスがその役目に選ばれたのでしょうか。世界に数多いる少女たちの中から、妹を選んだ基準は、いったい」


 ふふふ、と伯爵が口角を吊り上げた。大きな口をしていたから、顔の印象が一気に変わって見えた。

 不気味な、笑顔だ。


「きみのお父上は、優秀な錬金術師だった。そしてきみのお母上は、優秀な助手だったと聞いている。その二人の素質を受け継いで産まれたアイリスちゃんが、優秀でないはずがないだろう? 早めに錬金術の教育を、積んでもらいたいのだよ、この私の研究を、手助けしてもらうためにね」


 あー、それでアイリスを……伯爵の価値観が、ようやくわかったぞ。アイリスがどこかの馬の骨に取られる前に、早めに自分の奥さんにして、一緒に研究をさせたいのか。


「伯爵、貴方の話を聞いて、決心がつきました」


「ほう」


「アイリス自身が、物事の分別を自力で付けられるようになるまで――つまり、十六歳になるまで、この縁談は、保留にさせていただきます」


 伯爵の顔に、変化はなかった。余裕があるのか、それとも内心ブチ切れているのかは、測りかねるが、僕の中にも、譲れないモノが二つあるんだ。


 一つは、アイリスが嫁いだ先で、幸せになることだ。


 醜い争いの絶えない我が家よりも、愛に溢れていて、アイリスと、その子供たちを、本当に大事に想ってくれるような人じゃないと、僕はバージンロードでアイリスの腕を絶対に離さないぞ。


 そして二つ目は、ついさっき作った。アイリス自身が選んだ相手と、結婚することだ。


 七十でも八十でも、百歳でも、タキシードが普段着の変人でも、悪趣味な人形屋敷の主人であっても、僕はアイリスが望む相手ならば反対はしない。あ、アイリスを不幸にしそうな相手だったら家族会議だけども。


 今のアイリスは、婚約どころか、来月の結婚の意味も理解できていない幼さだ。彼女には好き嫌いの基準や、理想の男性像もできていない。


 彼女が口にする好きの意味は、せいぜいぬいぐるみに向ける愛情表現。まだアイリスに旦那さんを選ぶ力が無いのなら、僕はこの婚約を、そして来月の挙式なんか絶対に認めるわけにはいかない!


 以上のことを、とても丁寧に、噛んで含めるようにして、伯爵への説得に挑み続けた。アイリスに苦労をさせたくなくて、させるのが怖くて、僕は必死にしゃべり続けていた。


 途中で伯爵が、メイド三番に、お茶を持ってくるよう指示した。でも僕は運ばれてきたお茶に、口をつけている余裕も失くしていたようだ。


 気付けば、冷たくなったお茶が二人分。僕は長々としゃべってしまったことを、慌てて詫びようとした。


「フン、きみたちの借金を肩代わりしてやるんだから、私に尽くすのは道理だろう」


 伯爵がうんざりした顔で、こんなことをつぶやくまでは。


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