第13話 伯爵が欲しいモノ
伯爵は車椅子ごと、僕に背を向けている状態だった。
「おい二番、私の椅子をお客人へ向けておくれ」
「かしこまりました」
こうして僕はようやく伯爵と対面することが叶ったわけだけど、その姿を初めて目にしたときの衝撃は、父さんが二番目の奥さんを貰ってきたときと同じぐらいだった。
灰色の肌は、引っ張ったらどこまでも伸びそうなほどシワでたるみ、どれが目なのかわからないほどしみだらけで、髪の毛は針のようにちりちりとした物が数本だけ。七十、八十ではない、もっと上だ。きっと百歳以上だろう。
そんな
生地そのものが真珠のように輝いていて、己の主役っぷりをこれでもかと周囲に主張している、その派手さが、落ち着きのある歳を迎えた人にはちっとも似合っていない。夢に出そうなほど似合っていない。
しかも、初対面ですでに花婿衣装を着こんでいるだなんて。たとえ僕がやって来ることを事前に知っていたとしても、せいぜいマネキンに着せて準備する程度だろうに、なんで本人が、普段の日に着ているのか。
まさかそれ、普段着なのか!?
「やあ、元気そうな若者だ。なかなか来ないから、心配していたよ」
僕はカルチャーショックで頭が真っ白になっていたせいか、返事が遅れてしまった。屋敷の広さを誉めるようなお世辞で応える。
「アイリスちゃんは、どこなんだい?」
「あ、あの、伯爵、まことに申し上げにくいのですが、本日は、僕の妹との婚約の件を、もう一度考え直していただきたくて、参上いたしました」
緊張で言葉を詰まらせながらも、必死に口を動かした。普段着が純白のタキシードという、強烈な先制攻撃を食らって、
「なにぶん、妹はまだ七歳です。そして伯爵は、妹の身内である僕に、一言もお言葉がありませんでしたので、来月の挙式のご予定には、とても驚かされました。もちろん、婚約を承諾した
僕はこれから、伯爵を怒らせてしまうだろう。きっとものすごい罵倒され、すさまじく嫌われる可能性だってあるだろう。社交界からの圧力だって、あるかもしれない。
だけど、それを怖がっていてはアイリスを奪われる。法律を無視してまで、アイリスを手に入れたいという、怪しい老人に。
「偉大なる研究を成し遂げる男には、何が必要だと思うかね?」
「え……?」
な、なんだよ、急に。そんなの、わっかんないよ。
えーと、研究資金とか? でも伯爵は、投資先を立派な店になるまで待てるぐらいの、資産家なんだよな。しかも、伯爵から援助を受けたと言う、あの料理人ふうのおじさんからの返済を、受け取らないどころか、ずっと無視してるらしいし、屋敷の中では美人なお人形をたくさん買い込んで転がしてるわで、もう、なんと言うか、すさまじい財力だ。
あ、じゃあ、お金じゃないのか。
え〜? なんだろう、わからん……。
長考する僕を、伯爵は眺めていた。彼なりに決めた制限時間がきたらしく、口火を切ったのは伯爵だった。
「答えは、けっして裏切らない助手だ。さらにその助手となる人材が、良妻な賢母であったならば最高だ。相思相愛で互いを尊重し、利益も喜びも分け合える……そんな二人ならば、どこまでも先をゆける素晴らしい研究者で居続けられるだろう。理想的な職場婚だ」
「いえ、あの、職場婚って、アイリスはまだ子供で、働いてないんですが」
「これから、そうなるように私が教育しよう。きみの妹は世界で一番幸せな女性になるんだよ。食べ物にも着る物にも、教育にも不自由はさせない。彼女が手に入れたい物は、なんでも取り寄せてやろう。その代わり、私の優秀な助手として、妻として、その未来を捧げてもらう。良い条件だろう? きみの
お金に困ってる僕らの状況からすれば、全てを与える代わりに妻になるなんて好条件、飛びつくのが普通だろうな。
アイリスが十六歳以上であれば、の話だけど。
愛があれば歳の差なんて些細な問題だ、という意見もあるし、僕自身も年齢差のある結婚に偏見は抱いていない。二人の間に愛があるんならね。これが大事なんじゃないかなって思うんだ。恋愛とかしたことないから、はっきりと言えないんだけど。
でも、アイリスは伯爵に会ったことがないから、愛どころか、好きでもなんでもない相手だ。
たとえ百歳と七歳が相思相愛であっても、七歳側が十六歳になるまで、皆が待たなければいけない。それなのに来月に挙式とは。
「あの、養女ではなく、妻にすることにこだわる理由はなんですか?」
「アイリスちゃんには、妻であるという自覚を持って生活してもらいたいのだよ。私を親か兄のように慕われては困る。依存する子供ではなく、私を支える柱となってほしいのさ」
んん? それって、べつにアイリスじゃなくてもよくないか? 我が妹ながらドッグフードを食べちゃうような子よりも、もっとしっかりした子を迎えたほうが、仕事も早々に覚えてくれて、研究のお手伝いに参加してくれそうな気がするんだが。
「どうして、アイリスがその役目に選ばれたのでしょうか。世界に数多いる少女たちの中から、妹を選んだ基準は、いったい」
ふふふ、と伯爵が口角を吊り上げた。大きな口をしていたから、顔の印象が一気に変わって見えた。
不気味な、笑顔だ。
「きみのお父上は、優秀な錬金術師だった。そしてきみのお母上は、優秀な助手だったと聞いている。その二人の素質を受け継いで産まれたアイリスちゃんが、優秀でないはずがないだろう? 早めに錬金術の教育を、積んでもらいたいのだよ、この私の研究を、手助けしてもらうためにね」
あー、それでアイリスを……伯爵の価値観が、ようやくわかったぞ。アイリスがどこかの馬の骨に取られる前に、早めに自分の奥さんにして、一緒に研究をさせたいのか。
「伯爵、貴方の話を聞いて、決心がつきました」
「ほう」
「アイリス自身が、物事の分別を自力で付けられるようになるまで――つまり、十六歳になるまで、この縁談は、保留にさせていただきます」
伯爵の顔に、変化はなかった。余裕があるのか、それとも内心ブチ切れているのかは、測りかねるが、僕の中にも、譲れないモノが二つあるんだ。
一つは、アイリスが嫁いだ先で、幸せになることだ。
醜い争いの絶えない我が家よりも、愛に溢れていて、アイリスと、その子供たちを、本当に大事に想ってくれるような人じゃないと、僕はバージンロードでアイリスの腕を絶対に離さないぞ。
そして二つ目は、ついさっき作った。アイリス自身が選んだ相手と、結婚することだ。
七十でも八十でも、百歳でも、タキシードが普段着の変人でも、悪趣味な人形屋敷の主人であっても、僕はアイリスが望む相手ならば反対はしない。あ、アイリスを不幸にしそうな相手だったら家族会議だけども。
今のアイリスは、婚約どころか、来月の結婚の意味も理解できていない幼さだ。彼女には好き嫌いの基準や、理想の男性像もできていない。
彼女が口にする好きの意味は、せいぜいぬいぐるみに向ける愛情表現。まだアイリスに旦那さんを選ぶ力が無いのなら、僕はこの婚約を、そして来月の挙式なんか絶対に認めるわけにはいかない!
以上のことを、とても丁寧に、噛んで含めるようにして、伯爵への説得に挑み続けた。アイリスに苦労をさせたくなくて、させるのが怖くて、僕は必死にしゃべり続けていた。
途中で伯爵が、メイド三番に、お茶を持ってくるよう指示した。でも僕は運ばれてきたお茶に、口をつけている余裕も失くしていたようだ。
気付けば、冷たくなったお茶が二人分。僕は長々としゃべってしまったことを、慌てて詫びようとした。
「フン、きみたちの借金を肩代わりしてやるんだから、私に尽くすのは道理だろう」
伯爵がうんざりした顔で、こんなことをつぶやくまでは。
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