第12話   人形屋敷

 階段の踊り場に、着替えも満足に終えていないままのメイドが一人、座りこんでいた。何をするでもなく、じっと床を見つめている。


 素通りするには、あまりに気の毒な状態だった。


「きみ、大丈夫?」


「……」


「誰か、呼んでこようか? 立てる?」


「……」


 きみも無反応ですか、そうですか。具合が悪くても何も言わないのは困るなー。とりあえず、二階に上がって、誰かいないか探そう。一人くらい、あのを気にかけてくれる人はいるだろう。


 階段に敷かれた絨毯じゅうたんもしわだらけで、上りにくいな。無事に二階へ上がれただけで、なんだこの達成感。


 あ、水差しを持ったメイドが、不思議な軌道を描きながら廊下を徘徊している。さてはサボりだな。


「ねえ、ちょっといいかな」


「どうしましたか」


 立ち止まったメイドは無表情だったが、声だけは愛想が良かった。


「あの、階段の踊り場にいる、具合悪いみたいで座りこんでるんだ」


「はい、お答えします、どうしましたか」


「だから、えっと、あのメイドをとりあえず、どこかの部屋の中へ、連れてってあげてくれ。あんな所で休んでても、治らないと思うから」


 ………………おい、黙るなよ。廊下でサボってたこと、伯爵に言いつけるぞ。暇なんだったら仲間ぐらい運べよ。


 まさか、何やっていいのか勝手がわかってないのか? 先輩メイドから何も教わってない新人とか?


「きみで無理なら、他の人を呼んできてくれ。できれば、女の人を頼むよ。あのメイド、服がぐちゃぐちゃになってるんだ」


「本日の予定は、花の水やりです」


「いや、きみの予定は聞いてないよ。って、どこ行くの!?」


 回れ右をして、去って行こうとするメイド。これには大変腹が立った。仕事はサボるわ、仲間は見捨てるわ、どうなってんだ、この屋敷は!


「おい、無視するなよ!」


 二の腕を掴んで引っ張り寄せたと思ったら、ボキッと音がして、真っ白くてつるっつるの腕が、引き抜けてしまった。


「わあああ!!」


 僕は思わず腕を手放して、小走りにメイドから距離を取っていた。


 メイドは絨毯のしわと、後ろから僕に引っ張られた反動で、顔面から廊下に突っ伏してしまっていた。受け身も取らず、水差しも手放さずに。


 首がぐるんと半回転して、美人なお顔が、僕のほうを向いた。


「どうしましたか」


 僕は先ほどもぎ取ってしまった腕を眺めた。壁に設置された燭台しょくだいの、ちびった蝋燭ろうそくの揺らめく炎に照らされているその肌は、てらってらのつやっつやだった。ここまで明かりを反射する美肌には、もはや恐怖心を抱く。


 まだ僕の手に、ボキッとやってしまった感触が残っていた。メイドの二の腕が、ガッチガチに固かった感触も、残っている。


「も、もしかして、きみ、人形なの?」


「どうしましたか」


 目にも口にも、髪の毛が入ったまま尋ねる人形メイド。よく見ると、瞬きすらしていなかった。


 不気味だからこれ以上は近づけないけど、ぱっと見は、本物の女性みたいな造形で、顔の造りも綺麗だから、置物としてその場に立っていてもらうだけなら充分だろう。


 今まで遭遇したメイドたちも、全員が人形だったのなら、納得がゆく。どの子も顔と髪が、異様に輝いていたから。


 この人形たちが、高齢の伯爵を手伝ってるのかな。お客を無視したり、仲間を無視したり、自力で起きあがれないわで、とてもご老人の介護ができるようには思えないんだけど……伯爵の趣味なのかな。



 二階のどこに伯爵の私室があるのか、わからないでいると、


「もしかして、迷われているのですかな」


 明かりが届くぎりぎりの、廊下のかどの暗がりに、伝声管が一本生えていた。伯爵の声が聞こえるまで、まったく気づかなかった。


「伯爵、目印となる物があれば、教えてください」


「階段を上がって、そのまま一直線に行けばわかる。紫色の大きな扉が、見えなかったかい?」


 暗くてわかんなかったよ。


 僕は伯爵の助言にお礼を言い、さっそく階段のあった場所まで戻ると、未だ踊り場に座りこんだままのメイドをちょっと気にかけて、未だに廊下で首を半回転させたまま倒れているメイドを、極力視界に入れないように壁際を歩きながら、ようやく伯爵の私室へと繋がる扉を発見した。


 ああ、アイリスたち、今頃待ちくたびれてるだろうな。「おにーちゃま、おしょーい」とか言って、うんざりした顔で退屈しているんだろう。ごめんよー、要領の悪いお兄ちゃんで。伯爵の悪趣味に振り回されてたんだよ。



 さて、脳内でグチっていても仕方ないや。


 紫色の塗料で染められた木製の扉へと歩いてゆく。げ、またつやっつやのメイドが立ってるぞ。もう、怖いよ。


「ようこそお越しくださいました」


 メイドは手際よく扉を開けてくれた。この人形は油の滑りが良いのだろう。動きが、今まで遭遇したメイドたちの中で一番なめらかだ。


「ありがとう」


「どういたしまして」


 おお、会話も流ちょうだ。表情はビクともしないけど、会話が成立するだけで、ここまで安堵できるものなんだなぁ。感動してしまった。


 でもねー、伯爵のいる部屋っていうのが、真っ暗なんだけど……。


「……ねえ、部屋、真っ暗んだけど」


「はい。ただいま、灯りをおけいたします」


 メイドがそう言うと、マッチをする音が次々に聞こえてきて、かすかな火薬っぽい臭いとともに、部屋の中に小さな蝋燭の灯火が揺れ始めた。


 ……伯爵、ずっと真っ暗な部屋で、何をしてたのかな。夜は真っ暗で過ごす派なんだろうか。絨毯もしわだらけで危ないのに。


 部屋が九割ほど明るくなってくれて、僕はようやく歓迎されているのだという確証を得ることができた。


「伯爵、失礼いたします」


 一礼しながら声をかけ、僕は部屋へと一歩踏み込んだ。


 うおわ、くすりくさっ!


 え? ここ、私室だよね。半ば薬屋みたいになってるんだけど。テーブルにキノコとか、変な液体が入ってる鍋とか蒸留器が置いてあるよ。


 部屋の右側一面に、薬品棚が設置されてて、薬の瓶や汚れた壷などが、乱雑に置かれている。ビーカーやフラスコなどもあって、生前の父さんが使っていた道具たちを思い起こさせた。


 濃い紫色のカーテンの閉まった大きな窓を眺めるような位置で、車椅子に深く腰掛けた老人が、僕に背を向けたままで片手をひらひらと振った。


「遅かったじゃないか、クラウス・シュミットくん」


 ああよかったー。誰かねきみは帰りたまえ、とか言われるんじゃないかってヒヤヒヤしたよ。門番たちの態度が、僕の中で無意識にトラウマを作っていたようだな。


 なんだか、部屋がメイドだらけだし、背後から扉を閉められて囲まれてるしで、威圧感がものすごいことになってるけれど、ここまでいろんな連中にコケにされてきたんだ、負けてたまるか!


 絶対にアイリスとの婚約を、破棄させてもらうんだからな!!


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