第10話 幸せの形
でも、やっぱり猛獣と歩くのは、ちょっと恥ずかしいなぁ。誰とも目が合わないように、うつむきがちになってしまう。ああ、お店とか、景色とか、もっとよく見たいのに、足下の桃色の石畳しか映らない。
「おみしぇやさんが、いっぱいらねー」
僕の足下に、桃色のスカートを揺らしてアイリスがやってきた。その笑顔だけで、ちょっと元気になる。
「用事が済んだら、いっしょに見てまわろうか」
「うん!! いっしょにー!」
旅をしてからというもの、アイリスがずっと笑顔だ。産まれて初めての遠出だからかな。僕も父さんに連れてこられたときは、ずーっとはしゃいでいたのかも。
「あら、カーク!」
優しそうなご婦人の声が聞こえて、僕は顔を上げた。喫茶店だろうか、屋根の付いたテラスから、ふっくらとした体型のご婦人が、手を振っている。となりにいるのは、旦那さんだろうか。杖をついていて、あまり足腰が丈夫そうに見えないが、椅子から立ち上がってしまっている。
「お母さん」
カークが驚いた声を上げて、ご夫婦のそばへ歩いていった。猛獣達もついてゆく。僕らも、挨拶しなければとついてゆく。
ご婦人が嬉しそうな微笑みを浮かべて、ふくよかなほっぺに片手を当てた。
「遅かったから、貴族街から下りて待ってたのよ。すれ違っちゃうかもしれなかったけれど、待っててよかったわね、あなた」
話を振られて、旦那さんがうんうんとうなずいた。
カークの親御さんにしては、かなり高齢な気がするけど、遅くに産まれた一人っ子という可能性もあるし、なにより親御さんがカークのことを可愛いがっているのが、その表情でよくわかる。
「お母さん、紹介する。友達のクラウスと、彼の妹のアイリス」
「初めまして。モーリス氏には大変お世話になっています。クラウス・シュミットです」
「はじぇめましてー、アイリシュでしゅ」
「あらまあ! 綺麗なご
綺麗な兄妹って、僕までそんなふうに誉めるのは、さすがに。
僕は十七、妹は最近七歳になったばかりであることを告げると、カークのご両親はとても喜んでくれた。僕はこのとき、カークも同じ十七歳であると、初めて知ったのだった。
「同い年の友達ができて、よかったわね、カーク。他の貴族の方々は、ほとんど年上の人ばかりだったから、心配してたのよ」
ね、あなた、と話題を振られて、カークのお父さんも、うんうんとうなずいていた。
カークが肩をすくめてしまう。
「お母さん、いつも心配し過ぎ……僕ら、もう行くから」
「あら、引き留めちゃったわね。クラウスくん、カークのことよろしくね。本当は怖がりで泣き虫なの」
「こ、子供の頃の話だから。今は、平気だから」
なんだこの微笑ましい、やり取りは。僕とアイリスにも、両親が生きてたらなぁ、こんなふうに余計なお節介を焼かれて、それを
ああ、いけない、また暗くなってしまった。華やかな街並が目に入ってしまったせいかな。ここには、いろんな形の幸せが見える。平凡だけど、働いて家族と暮らしている仲良しな人々の、いたって平凡な幸せの形が。
僕も、アイリスが
カークの道案内により、賑やかな大通りを何本か外れた、静かな道へと入ってきた僕ら。
……すごく殺風景と言いますか、まるで片づけが進んでいる舞台の裏側のような街並だった。お店もほとんど閉まってるし、歩いている人も少ない。
「あの屋根が、目印」
カークの指さした先には、建物の屋根屋根を頭一つほど飛び抜けて生えている、紫色の三角屋根だった。
「あそこが伯爵の屋敷なんだね。案内、助かったよ」
「うん。でも、クラウス、気をつけて。最近の伯爵、頭がおかしいと思う」
うお、きみも意外とはっきり言うなぁ。まあ、僕もそう思ってる一人なんだけどね。
でも、そうかぁ……やっぱり、頭おかしいのか。
うぅ、美人なアイリスを一目見るなり返してくれなくなったら、絶対イヤだな。安定した生活とお金が手に入っても、唯一の家族が変態の家に奪われてしまったら、きっと生き地獄だ。
家族を犠牲にしないと手に入らない幸せなんて、僕はいらない。アイリスは、ここに置いて行く。
「カーク、きみの冷静さと
「いいよ、妹さん、預かるね」
皆まで言わずとも、良い返事がもらえたことに、思わず我が耳を疑った。
「ほんとに!? ほんとにいいのかい!?」
「うん。アイリスは僕が貰うからね」
「いや、そういう話は、まだ早いと言うか……でも、預かってくれて助かるよ。本当にありがとう」
ぽかーんとしているアイリスに、僕はしゃがんで目線を合わせた。
「アイリス、お兄ちゃんはこれから用事を済ませてくるから、しばらくカークお兄ちゃんと遊んでてね」
「ええ? おにーちゃまだけ、どこいきゅの……?」
アイリスがものすごく不安そうな顔をして、歩み寄ってくる。
「すぐに戻るから。カークお兄ちゃんの言うことをよく聞くんだよ」
「やだ……」
小さな声で、一言、
そう言えば、僕はアイリスを誰かに預けたことがなかった。
義母さんは子供の世話よりも、外出ばかり優先するし、領民はなぜだか畑仕事以外、なに一つ上手にやってくれないという、ド級の不器用っぷり。仕方がないから、僕はたびたびアイリスを屋敷に一人残して、仕事に出かけていた。
どうしよう、ここに来てアイリスが人見知りしてしまっている。いくらカークが優しくても、やっぱり豚革マスクしてるお兄さんは怖いのかな。
「アイリス」
カークの呼びかけに、アイリスがおずおずと振り向いた。
「ケルベロスに乗って、街をぐるっと、一周しようか。それで、またここに戻ってこよう」
またここに戻る、という言葉がアイリスの胸に強く響いたらしい。「うん、もどりゅ!」と言いながら、カークの横に並んだ。
「おにーちゃま、はやくかえってきちぇねー! アイリシュ、ここでまっちぇるからねー!」
熊ロスの背中にしがみつきながら、アイリスが大声で僕に念押しする。
僕が
ごめんよ、カーク……わがままな妹の面倒を、きみに押しつけてしまった。文句も嫌味も皮肉も言わずに、引き受けてくれたこと感謝している。もう僕、きみに足を向けて寝られる気がしないよ。アイリスの婚約者が、きみだったらよかったのにって、心底思うよ。
王都から屋敷に戻ったら、きみに何が返せるのか、じっくり考えることにするよ。きみの親切に釣り合う物が、きっとすぐには思いつかないだろうから。
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