第5話   森のビーストテイマー

 馬車の前にやってきたのは、大きな狼を引き連れて、しなやかな四肢で大地を蹴るチーター。それに乗っている、この青年が、カークランド・モーリス……。


 頭には、黒豚だろうか耳付きの革帽子、全身も黒系統の、よくなめした革の防具に身を包み、両手には指先が出た手袋、両足には革のブーツを履いている。


 この身なり……狩人かな? 武器みたいなのは持ってないようだけど、ごてごてした服装だし、どこかにナイフの数本でも隠しているのかもしれない。


 彼は顔下半分にもレザーマスクをつけており、首元まで覆い隠している。目元と指先しか出してないけど、蒸れたり、暑くなったりしないのだろうか。


 服装は不思議だけど、うちのお得意様みたいだから、挨拶ぐらいはしないとな。


 馬上(芋であふれかえった荷車)の上から挨拶するのも不躾だ、猛獣は怖いけど、ここはモーリス氏の手腕を信じて……よ、よし、地面に下りよう。


 未だかつて、これほど地面に足を着けることに恐怖した日があっただろうか。あ〜どんな状況でも優雅で気品ある貴族を演じるのって大変だ。よし、両足ついた。


 うわ、熊が、なんか熊が歩きだしてきたぞ、こっち来るな! 来るなって! 僕は今、お前のご主人様らしき人物と話をしなければならないんだよ。


 馬上のおじさんが、シュミット芋を一個抱えて立ち上がると、熊めがけて放り投げた。熊は器用に両手で芋を掴んで、固いままカリコリと食べ始めた。うわ〜、大きい牙……。


「おじさん、ありがとう」


 でも熊の扱いが雑じゃないか? 仮にも主君のペットだろ。


 と、ともかく、ここの管理人たる者、僕はあの青年と話をしなければ。


 ……え? ちょっと待てよ、狼に、チーターに、熊に、それを操る猛獣使いと話すの!? めっちゃ怖いよ! 話が通じない相手だったらどうしよう! 猛獣をけしかけられたら、一巻の終わりだ……。


 うわ、アイリスの近くまで、熊が来てるよ〜。も〜逃げられないよ。どうなってるんだ、僕ら兄妹の不運っぷりは。


 お父さん、お母さん、僕らは今日、そちらに来てしまうかもしれません……。


「こんにちは」


 モーリス氏に普通に挨拶された。抑揚の少ない、静かな声だった。


 もうヤケだ! こっちは元気に挨拶してやる!


「こんにちは! 僕の名前はクラウス・シュミット! ここは僕の管理する土地なんだけど、何かご用かな!」


「クラウス……?」


「シュミット様んとこの、せがれだそうです。荷台にいる子も、娘さんだそうで」


 親指で人を差すんじゃないよ、まったく。


 モーリス氏は小首を傾げて、不思議そうに僕を眺めていた。


「シュミットに、子供がいたなんて、初耳。あのお屋敷、たまに人が出入りするのを見たことがあるけれど、ほとんど無人かと思ってた。僕の偵察不足」


 しゅんと肩をすくめるモーリス氏。なんだか変わった人だな、知ってたけど。


「クラウス・シュミット……僕の家族が、世話になっている。安くて体積が大きなあの芋は、うちの食費を、大いに助けてくれてる」


 だろうね。熊が十数秒で完食してるあたり、食いつきも良さそうだ。ああ、ここは何か気の利いたお礼を言う場面だ。えっと……


「こちらこそ、いつも贔屓にしてくれて感謝している」


「おいおい若いの、モーリス様のが身分が上だろ。まさか、誰にでもそんな口きくのか?」


 お前が言うなよ、と喉まで出掛かった反論を押し込んで、改めてモーリス家は男爵の地位と森の番人を兼ねた貴族なのだと説明を受けた。


 あの身なりで男爵って……でも、ここは非礼を詫びなければ。うちは貴族を守る、騎士の家系だもんな。領地は持っているから一応は僕らも貴族ではあるんだけど、やっぱり爵位がはっきりしている立場には弱い。


「僕と、友達になってくれるなら、敬語なんて、遣わなくていい」


 え、モーリス氏、それはずるくないか。敬語で断ったら、その時点で僕がモーリス氏を無碍むげにしたことになるじゃないか、でも、タメ口なんて……。


「アイリシュ、ともだちんなるー!!」


 げ、アイリスが手を上げて立候補しだした。しかも熊の背中に、登ってる!


「ア、アイリス、下りなさい。振り落とされたら危ないよ」


「はい、おにーちゃまも。はじめてのおともだちだお」


「なんだい兄ちゃん、友達いないのか」


 悪かったな、いないよ。作る暇も機会もなければ、出会いも無かったわ。


 でもここは「多少はいるよ」と言い訳しておく。


「ネコちゃーもきゃわいい!」


 お前が指差してるそれは、チーターだよ、アイリス。


「二人は、これからどこ行くの?」


「聞いてくだせえよ、モーリス様、こいつら王都まで連れてけって言うんですよ。どうせ寄るから引き受けたんですがね、まったく、こんなボロい荷車に頼むかねぇ」


 だって、他に馬車が見当たらなかったし……あれ、涙が……。貧乏貴族って、ここまでバカにされるものなのか? それとも、このおっさんが不躾なだけなのか。


「王都……」


 モーリス氏が、片眉を吊り上げて僕を見上げた。


「クラウス、それにアイリスも、きっときみたちは王都に入れない」


「え? なぜなんだ」


「たぶん、不審者扱いを受けて、衛兵に捕まると思う」


「不審者!? 僕は一度だけ、父とともに王都を訪れたことがあるんだが、それでもダメなのか?」


「たぶん、ダメだと思う。この時期の王都の警備、厳しすぎだから」


 そんな……でも伯爵に会わないと、アイリスが。


「でも、僕と一緒なら、捕まらない。だからクラウス、僕も王都に同行する」


「え? そんな、悪いよ」


「僕としても、芋の生産主の君には、捕まってほしくないから」


「モーリス氏……」


 ありがたい申し出だけど、君のほうが、よほど兵士に捕まりそうじゃないか。風変わりな猛獣使いは許されて、なんで僕は捕まるのさ。逆だろ。


「僕の屋敷、少し先にある。詳しい話は、そこでする」


「そ、そんな、会ったばかりで君の家に世話になるのも、なんだか悪いし」


 というのは建て前で、本当は彼の家の中も猛獣だらけな予感がしたから、断りたかった。


 モーリス氏、アイリスを一瞥。


「クラウスの妹、眠いみたい」


「……」


 朝ごはんのために、早起きしてくれたからかな。だからって、熊の背中で寝るかな。


「先に行くよ。待ってるから」


「え? ああ! ちょっと待っ!」


 ああ、行ってしまった。猛獣って足が速いな。


 って、熊ー!! アイリスを背負ったまま四つ足で去っていったぞ、誘拐じゃないか!


 って、馬車ー!! 勝手に動きだすなよ! 僕まだ乗ってないんだぞ!


 急いで荷車に乗り込むと、おじさんが振り向いて、ニヤッとした。


「よーし、モーリス様のお屋敷に出発だ!」


「はーい……」


 妹を人質に取られては、行かざるを得ない。

 モーリス氏は、なかなか頭の切れる人なのかもしれないな。


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