第32話

 依頼人から頼まれた仕事が片付いた後――――廃れた町の中、たまたま迷って入った路地裏。

 そこで死にかけの子どもが二人、暖め合うように寄り添い合っていた。


「…………」


 じめじめとした陰湿な薄暗い空間で、飢え死に寸前の子どもたち。

 表向きは豊かな町だが、陰では捨てられた子どもたちが身を潜めている。

 連れ去られ、暴力を振るわれ、犯され、ボロボロになるまで使われる。

 そうして、腐っている大人が満足する世界に、反吐が出る。


「……」

「……っ」


 一瞬、ほんの一瞬だけ立ち止まってしまったのが悪かった。


 見上げてきた少女は私のことをまっすぐな瞳で見つめ、死にかけの曇った眼に夕焼けの赤い光が反射した。


「ふん……」


 私に助ける義理はない。

 顔見知りでも知人でもない、得体の知れないクソガキの面倒などみる気など、毛頭ない。

 誰かを助ける余裕などない。


 私はその場から去ろうとした。だが――――――――


「……っ!」


 ボロボロの雑巾のような服を着た茶髪の少女は私にしがみついてきた。

 か細い手で、私のことを掴んできた。


「放せ……」

「……さい」

「なに?」

「私はいいから……を助けて……ください…………い……します……」


 少女は少年を指し示しながら、私に助けを求めていた。


 だが、

「私にお前たちを助ける義理はない。助かりたければ自分でどうにかしろ。どきなさい……」

「うっ……」


 少女はほんの少しの力で軽く吹き飛んだ。

 中身のない少女の、壁にぶつかった音はとても弱々しいものだった。

 まるでそれは、水分を失った木が硬いものにぶつかったような音。


 押し倒してしまったことに多少の罪悪感はあれど、構っている暇はない。


「……ください……を助けて……ください……」

「いくら頼んでも無駄だ。この世界は弱い者に冷たく、かつ、弱い者には厳しいのだからな……」


 私は口にした言葉が自分にも刺さるのを感じつつ、その場から立ち去ろうとした。


「……お願い……します…………」


 か細い声を背に向けて歩く。


「お願い……だから……」

「……っ」


 ああぁ……、耳障りな声だ……。

 眠るときに思い出しそうな、嫌な感触が残りそうな呼び声……。


 足を止めて踵を返す。

 少女のすこし後ろ、ぐったりとしている少年は死んでいるのだろうか。

 それとも、生きているが、呼吸をするだけで精一杯なのだろうか。


「た、助けて……ください……」

「…………」


 少女は見知らぬ私へと助けを求めてきた。だが、この世界は弱者に優しくはない。やらなければ殺されてしまうような、貧困と争いに汚れた場所だ。


 親が死んだあと、残された子どもは死ぬか身売りをするか、山賊や盗賊に襲われるか……。ただそれだけ。


「お願い……します……」

「もう助からん……諦めろ……」

「うぐっ……ひぐっ……」


 私には、助けることはできない。

 どうせ、私が助けた者は壊れていく。去っていく。消えていく……。


 路地裏を抜けると、夕焼けが目の前に沈んでいくのが見えた。


 大きな光は地の底に帰ろうとしている。だが、この時の陽の光は中々沈まず、私を見つめているように感じた。


 ――――路地裏に戻れ。


 そう誰かに言われているような気がした。


 ――――過去の償いをしたければ戻れ。選択を間違えるな。


「…………」


 幻聴……いや、私が自分自身に突き刺す言葉だろうか……。


「はぁ……今回……今回だけだ……」


 誰に言われるでもなく、足が来た道を戻っていく。

 別に、子どもが死のうがどうなろうが私には一切関係のないこと。

 だが、助けを求めてきた哀れな子どもをここで見捨ててしまえば後味が悪い。


 奥歯が歯がゆくなるような気分で、睡眠を阻害されるのは御免だ。

 もし助けなければ、あの少女の懇願する顔を、声を、数日は思い出す羽目になるだろう。


 だからこれは少女や少年のためではなく、私は私の後味の問題で、あの子たちに手を差し伸べるだけだ……。


 路地裏、先程の少女と少年が居た場所へと戻る――――


「おいおい暴れるなっての……」

「や、めて……!」

「へへへ、えへへへへ……女かぁ……隣のガキは死んでんのか? 死体でも売れるかもしれねぇけど、生きている方が嬉しいなぁ……」

「いや……放して……やだ……」


 少女は薄汚れた男に片腕を掴まれ持ち上げられていた。

 抵抗する力もないのか、少女は弱々しい声だけで男に抗おうとしている。

 必死になりながら、隣の少年を守るように、少女は抵抗していた。


「まぁまぁ、お前は俺がきちんと教育してさぁ、調教してから売り飛ばしてやるからよぉ」

「いやぁ……!」


 私があのまま去っていれば、この子どもたちはこの男に……。

 戻ってきてよかったと、安堵する自分がいた。

 安堵してしまった自分がいた。


「おい、貴様……」

「あぁ? なんだおっさん」

「その手を放せ……」

「あぁ? なに言ってんだ?」


 振り向いた男は乱暴に少女を地面へと振り落とした。


「うっ……いだっ……!」


 落ち方が悪かったのか。落とされた少女の腕がメキリと嫌な音を鳴らし、少女は苦痛に顔を歪ませる。


「貴様……」

「おっさん、なに怒ってんのさ? これは逃げないようにするための教育だよ」

「うぐっ……うぅっ……」


 こうなる前に少女の言葉を聞いていれば、少女が苦しむこともなかった。

 結局、戻ってきても、すでに私は選択を間違えていたのか……。


「品物としての扱いもなっていない男に、子どもの売買など任せられんな」

「こいつは俺のだ! 身売りの素材を探してるなら他の場所に行きな。それとも、こいつが良いって言うなら、あんたに売ってやってもいいんだぜ……? 顔は可愛いからよぉ」


 男がニヤニヤと薄汚い笑みをこちらに向ける。

 その下衆な顔に思わずため息が漏れた。


 人間を買うのは趣味じゃない。それに穏便に済ませたい。


「その子たちは…………私の連れだ……」


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