第27話
数百年前、獣人達が争い合うよりも昔のこと――オーディンはユピテルに捕まったロキを助けるため、代わりに神堕ちを引き受けた。
戦神の座を失い、神界を去ろうとしていたオーディンは神界の門の前に立つ。
蝋燭の淡く温かな光が全体を照らしているような空間、大理石のような白く艶やかな地面、目の前には巨人が通るために作られたかのような巨大な白い扉が荘厳に佇んでいる。
その前には、黄金に輝く槍を握り締めたオーディン。
引き締まった身体の線がはっきりと見えるような、ピシッと肌に引っついた七分袖の黒い服に薄茶色のズボン。
持っている黄金の槍とは相反する容姿はまるで人間のようである。
「さてと、どうしようかな」
宛てのない旅を目前に、オーディンが頬を掻いていると――
「オーディン殿」
「ん?」
不意に後ろから声をかけられ振り向くオーディン。
そこに立っていたのは白い衣に身を包み、彫りの深い顔をした紳士らしい男。
オーディンと同じく、ユピテルの元で仕えている医神の座を担う者【医神アスクレピオス】だった。
「ああ、アスクレピオスか」
「……本当にこれで良かったのですか?」
アスクレピオスは落ち着いた声で伏し目がちな顔をオーディンへと向ける。
「まぁ、何百何千年も同じことの繰り返しは飽きていたからね。現世に下りてゆっくりしてくるよ」
「貴方が居ないとみんながまとまりません」
「ユピテルがどうにかするんじゃないかな」
オーディンは無邪気な顔で提案する。しかし、アスクレピオスは首を横に振って溜め息を漏らした。
「どうにか出来ていたのなら、貴方を神堕ちさせるような愚かな判断はしないでしょう……」
「ふふっ、あまり話さない君に褒められるとは嬉しい限りだね」
「別に話さないわけじゃありません。あの方の前で口を開くのは疲れるのです」
「ふふっ、同感だよ」
「はぁ……、ロキの代わりに貴方を神堕ちさせるとは、本当になにを考えているのか……」
「さぁね、私はいつも突っかかっていたから厄介払いにでもなったんじゃないかな」
笑いながら言うオーディン。アスクレピオスは眉間に拳を当てて俯く。
「このあとの神界が不安で仕方がありませんよ……」
「アスクレピオスなら、いつでも連絡してくれて構わないよ」
「……と言われましても、現世に下りてしまえば連絡を取るにもユピテルを通さないといけません」
……。
妙な間を開けて二人の目線が交差した。
「あはは……それは面倒だね……」
「他の方も戦神の貴方を見送りにすら来ないとは嘆かわしいことですよ、まったく……」
「もう私は戦神でもなんでもないからね、こんなもんだろう?」
「神界最強と言われた貴方がこんな結末を迎えるとは……」
「まだ結末じゃないさ」
オーディンは優しい微笑みをスクレピオスへと向ける。
「……どういうことですか?」
「まだ死んだわけでも消えたわけでもない。そのうちまた戻ってくるかもしれないということだよ」
「ユピテルがそれを許さないでしょう?」
「ふふっ、そうかもしれないね」
オーディンの物腰柔らかな態度に、アスクレピオスは不思議そうに首を傾げた。
オーディンは再び扉の方へと向きなおす。
「んじゃ、そろそろ行こうかな」
「本当に行かれるのですね」
「ああ、こればっかりはね。でも、最後に君と話が出来てよかったよ」
「こちらこ、そ――」
ハッとした顔で口を閉じたアスクレピオスに、オーディンは「おでましかな」とにこやかに呟いた。
「兄さん、ごめん……」
申し訳なさそうに謝罪したのは、アスクレピオスの隣に立つロキ。場の空気を悟ったアスクレピオスは黙ってオーディンへと手を上げる。オーディンが目で別れの挨拶を送ると、アスクレピオスはそのまま立ち去って行った。
神界の門の前で二人きり。
「ロキ、なんでユピテルの宝物庫に忍び込んだんだい?」
「今はまだ言えない……、でも、その時が来れば必ず言うよ……」
「私にも言えないなんて、そんなに大切なことなのかい?」
「……」
俯くロキは何も語らない。
オーディンはここに来る前にも何度か尋ねていた。
だが、「今はまだ言えない」の一点張り。それは今もまだ変わらない。
「なら、またその時が来たら教えてくれ」
オーディンはロキに笑顔を見せた。
「……」
神界の扉を開ける。眩しい光が扉の向こう側から溢れだし、オーディンが歩みだす。
ロキはなにも話さぬまま、その後ろ姿を見つめていた。
そして今、二人は現世で、王城の一室で視線を合わせている。
「あの時の問いの答えはまだ空白かな?」
ディーンは微笑みながらにロキへと尋ねた。
「答え合わせするにはまだもう少し早いかな」
ロキの回答に対して、ディーンは深く溜め息を吐き、憂鬱そうにロキを見つめる。
「百年以上、答えが聞けない質問は初めてだよ」
「……」
ディーンの声掛けにロキは目を伏せた。何も語らない弟に対して、ディーンは後ろを振り返って窓の外を見つめる。白い髪が風に揺られ、遠くを見つめる翡翠色の瞳はどことなくもの悲し気であった。
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