第24話

 フェアリーレイクの地下――湯の中でディエチは頭をノーヴェの身体へと委ねる。


「……お父様達は一ヶ月経っても帰って来ない……、残っていたみんなもオーディーンの国に行ったっきり……」

「大丈夫です。皆そのうち帰ってきますから」


 甘えているディエチが弱音を吐きだし、ノーヴェはそれに応えるように優しくディエチのことを抱きしめながら言葉を返した。


「私って嫌われてるのかな……」

「そんなことはありませんよ」

「でも……みんな居なくなっちゃった……」


 弱気な声が漏れてディエチの頬を水滴が伝っていく。それが汗なのか何なのかは分からないが、鼻をすするディエチは小刻みに震えていた。


「きっと大丈夫です……」


 言い終えたノーヴェはディエチの身体をぎゅっと包み込む。


「……」


 大きな湖の下に二人きり。

 湯気がもやを生み出しては酸素の量が減っていく。。火照る身体にだんだんと二人の頬が赤らんできていた。


「ディエチ様……、そろそろ上がりませんか?」

「もう少しこのままがいい……」

「すみません、もう暑くて耐えられそうにないのですが……」

「やだ……」

「そんな……」


 意識が浮いてくるような感覚を覚えつつ、ノーヴェはふわふわとした声で答える。


「こうしてると落ち着くの」


 腕を掴んで放さないディエチに、のぼせそうなノーヴェはぽろっと口を滑らし――


「もう、上がったらなんでもしてあげますから……、さすがにちょっと……」


 その言葉にディエチの身体がぴくっと反応を見せた。


「なんでもするって言った?」

「え……ええ……」


 声音の変わったディエチの声に動揺するノーヴェ。


「んじゃ、上がりましょ」


 ディエチは掴んでいた手を放してノーヴェの身体から離れると、岩場にその小さな足を乗せた。

 少女の身体から水滴が落ちて踏みつけた岩場が足の形に濡れていく。

 ノーヴェは振り返って岩場に肘をつきながらディエチへと声をかける。


「ディエチ様?」


 不敵ににこやかに笑うディエチがノーヴェを上から見下ろし、隠れていた吸血鬼の牙を曝け出した。


「力を使ってちょうどお腹が空いてたのよ」


 言い終えたと同時にふふっと口角を上げるディエチ。

 ノーヴェは自分の言った言葉を後悔するには遅すぎたらしい。

 ディエチの赤い瞳がぎらりと光りながらノーヴェの持たれている岩場の後ろにしゃがみ込む。


「あ、あの、ディエチ様……無言で近付かれると怖いのですが……」

「痛くしないから大丈夫……」

「い、いや、そういうことではなく――ッ!」


 両肩を掴まれたノーヴェが、ディエチに背中を見せるように姿勢を正された。


「いやっ、ディエチ様ちょっと待ってください!」

「もう待てないわ……帰って来る前に口直しするって言ったわよね……」

「それはそうですが……!」


 ノーヴェの後ろにぺたんと座り込んだディエチはゆっくりとノーヴェの首筋に喰らいつつく。


「あっ……んっ……」

「んくっ……んくっ……」


 ディエチの喉が一定のリズムで何かを飲み込むように上から下へとうねりだした。


「ディ、ディエチ様……せめて上がってからじゃないと……お湯の中はっ……」

「……」

「そ、それ以上……はダメッ……!――」


 ノーヴェの声は届かず、集中しているディエチは目を伏せたまま吸い続ける。


「………………ぷはぁっ♪」


 顔を上へと向けたディエチの顔は恍惚の表情を浮かべていた。

 両頬に手を添えてうっとりとした目で舌なめずりするディエチ。


「はぁ……やっぱり人間と違ってエルフの血は美味しい……、絶滅したのが本当に勿体ない……こんな血を絶やすなんてありえないわ……」


 ご満悦のディエチはすっかり機嫌を取り戻してノーヴェに抱きついた。


「……」


 いつもなら反応してくれるはずのノーヴェが動かない。


「……ノーヴェ?」

「ぅ……」

「ノ、ノーヴェ⁉ 大丈夫⁉」


 湯の中でのぼせていた上に血を吸われたノーヴェは案の定……目を回して気絶していた。


「え、あっ、どうしよっ……」


 あわあわと右に左に顔を向けて慌てだすディエチ。だが、他に助けてくれそうな者は出払っている。

 とりあえず湯の中から引き揚げてお姫様抱っこをするが、この構図も身長差を考えるなら逆であった。


「ノーヴェ、大丈夫?」

「……」


 目をぐるぐると回して完全にノックダウンしたノーヴェ。

 ディエチはノーヴェを岩場にもたれさせて慌ただしく走り出した。


「またやっちゃったよぉ……、と、とりあえず飲み物……!」


 ぺたぺたと裸のまま壁の方へと向かうディエチ。その先には家が建ち並んでいた。

 ディエチは迷わずに一軒の家の中へと入っていく。


「……」


 ノーヴェは相変わらず動く気配がない。


 …………。


 時間が少し経過した後、家の中から器を両手で持って走るディエチが現れた。急いでいるせいで器の縁からは液体がこぼれ落ちている。


「ノーヴェ! ノーヴェ!」


 ディエチは心配した顔を向けて話しかけた。


「……ぅ」

「大丈夫……?」

「た……多分……大丈夫です……」

「ほら、これ飲んで……」


 ディエチがノーヴェの身体を支えつつ、もう片方の手でノーヴェの口に器の液体を流し込んでいく。


「ごく……ごくっ……」


 多少、口元から液体が滴り落ちるが、ノーヴェはなんとか飲み込んでいった。


「はぁ……はぁ……ありがとうございます……」


 器の中身が空になったことを確認したディエチが正座をして小さくまとまる。両手で持った器で顔を隠し、目元だけをノーヴェへと向けた。


「……ノーヴェ、大丈夫?」

「ええ、なんとか……」


 ノーヴェの返事にホッと胸を撫で下ろすディエチだったが――


「ディエチ様……」


 ノーヴェが岩場に預けていた頭を持ち上げて目線を泳がせる。


「ど、どうしたの?」


 純粋な潤んだ瞳で見つめるディエチに、ノーヴェは言いにくそうに口を開いた。


「とりあえず、服を着ませんか……。皆がもし帰ってきたらあれですし……」


 ディエチは下を向く。反射的に視線を戻した後に器の中で小さく、

「そ、それもそうね……」

 と呟いた。


 二人は申し訳なさや恥ずかしさを心に秘めながら新しい服に着替え始めるのだった――

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