第四部「人のなりをした者達の住処」

第17話

 ――人類、獣人、亜人の三種族が交差した戦の後、兵士の血の沼に沈んだ金色の髪に赤いドレス姿の少女ディエチと銀色に艶めく髪を揺らしていた女騎士のノーヴェは――



「ふぅ……」


 【妖精の住む湖―フェアリーレイク―】の地下には、ドーム状に切り取られたかのような空間が広がっていた。

 その天井には太陽によって宝石のようにキラキラと輝く水が見える。


 今にも落ちてきそうな見た目なのだが、どういうわけか湖の水はその位置で留まっていた。

 ドーム状の空間が広がる端。湯気の上がる自然の湯浴み場に、血塗れのディエチとノーヴェの姿が見える。


「あの、ディエチ様……」

「ノーヴェ、もう着いたから目を開けてもいいわよ」

「わ、分かりました……」


 二人の身体は赤黒く染まり、足元には黒ずんだ血がひたひたと滴り落ちていた。


「さ、早く入りましょ」


 血濡れた髪をかき上げながらディエチが呟く。

 赤茶色に染まったドレスを脱ぎ捨て一糸まとわぬ肌を晒した。

 湯の中へと入っていくディエチはすっと頭まで沈めると周囲の湯が茶色く濁りだす。

 ブクブクと空気を吐き出しながら勢いよく――


「ぷはぁ! 」


 血に染まっていた身体は絹のような白い肌を露出し、金色の長い髪がヒタヒタとディエチの身体に張り付く。


「はぁ、やっぱり温かい湯で身体を洗うのは気持ちが良いわね」

「そ、そうですね……」


 返事をしたノーヴェ。だが、彼女もまた全身が血塗れになっており、美しかった印象が台無しになっている。


「ノーヴェも早く入りなさい。乾いた人間の血は臭うわよ?」


 金髪の美少女は微笑を浮かべ、湯の中を優雅に泳ぎながら話しかけた。


「ディエチ様、その、私は後で構いませんので……」


 もじもじしながら全身を血に染めたノーヴェが水際に立つ。


「ん? どうしたの?」

「い、いえ……」


 ディエチの裸を見ないようにしているのか、ノーヴェの視線が左右に向けられる。

 泳いでいたディエチが湯の中から上がりノーヴェの前で優しく微笑みかけた。


「恥ずかしいの?」

「い、いえ、そういうわけでは……」


 ノーヴェはディエチの身体を見ないように目を逸らして答える。が――


「いいから、貴方も入るの」

「え、ディ、ディエチ様っ!?」

「よいしょっ!」


 ディエチが声を出して間もなく、少女の力とは思えない怪力でノーヴェは空中に投げ飛ばされていた。


「え、えぇっ!?」


 ノーヴェの視界が逆さまに、腰に手を当てて仁王立ちするディエチを捉える。


「脱ぐのが恥ずかしいならそのまま入りなさい」


 宙を舞い焦るノーヴェ。

 微笑むディエチ。


「いやぁああ!」


 ザバンッと勢いよく入水した地点から水柱があがる。

 ごぼっ……。

 湯が人間の血で茶色く濁っていくのが見えるが、それどころではない。


 軽装の甲冑とはいえど、水を吸った衣服と鎧の重みでノーヴェの身体は沈んでいく。


「……っ!」


 運も悪く、深い場所に落とされてしまい、足掻いても浮上できないことに気持ちが慌ててしまう。

 ごぼっ……ごぼぼっ……。

 口からは再び大量の空気が漏れた。

 そろそろ上がって来ても良い頃合いかなと濡れた岩場にしゃがみ込むディエチ。


「ふんふふーんっ」


 陽気に待っているが、ノーヴェはその間も水面下で苦しんでいる。


「あら、どうしたのかしら……」


 濁っている湯の水面に空気の泡がボコボコと小さく浮いてくる。

 それでも、ノーヴェは一向に姿を現さない。


「ちょ、ちょっとやり過ぎたかしら……」


 眉をしかめながら、ディエチは初めて少女らしい顔つきを見せた。

 少しだけ焦りを見せたディエチが湯の中に飛び込む。

 濁っている場所へと向かい、沈んでいるノーヴェを見つけて片腕で引き上げるディエチ。

 衣服や装備の重みを感じさせず、ノーヴェの顔を水面の上へと持ち上げ――


「ぶはぁっ……はぁっ……はぁっ……ごほっごほっ……!」


 息を吹き返したように懸命に呼吸するノーヴェ。


「だ、だいじょうぶ……?」


 ディエチはノーヴェの身体を支えながら申し訳なさそうに――だが、意地を張った様子問いかける。


「はぁ……さすがに死ぬかと思いました……」

「ご、ごめんなさい……」


 ディエチは眉を寄せてしょんぼりと謝った。


「ディエチ様、怒っていませんからそんな顔しないでください」


 血の汚れが取れたノーヴェが優しく微笑みかけ、銀色の髪が綺麗に輝きを放ちながら水滴を垂らす。


「ほ、ほんとに怒ってない……?」


 口元を水面に浸けながら上目遣いでディエチが尋ねる。


「ええ、大丈夫です。ただ……」

「ただ?」


 綺麗な長い髪を揺らしながら首を傾げるディエチ。対して、ノーヴェはなんとも言いにくそうな面持ちで目線をずらしながら答えた。


「水面近くまで運んでもらってもいいですか……一人だと厳しいので……」

「し、仕方ないわね……特別よ……」


 ディエチはノーヴェの手をとって向き合い、沈まないように力を加えながら泳いでいく。ノーヴェの顔色を窺うディエチと、恥ずかしくて顔を横に向けるノーヴェ。

 二人からは水面を揺らす無数の波紋が一定の間隔で広がっていく。

 ノーヴェが横目でディエチの顔を確認する。何か言いたげな様子のディエチに、ノーヴェが口を開けた。


「ディエチ様、どうかしましたか?」

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