第9話

「あんな化け物みたいな奴、話は通じねえか……」


 ヴァーブはそう言いながら腰に携えていた刀の柄を右手でぐっと握り締め、殺気を纏って一歩踏み出そうとするが。


「動かない方がいいんじゃない?」


 ザインがそっと囁く。


「ああいうのに限って図体だけだろ」

「注意……」


 ヘイの言葉に二人は話を止めて岩陰に身を隠した。

 ヴァーブが僅かに岩陰から向こうを見つめた。


「バレてるなら隠れる必要はねえな」


 獣人はじっと岩陰の方へと目を向けていた。獲物を見つけたような、狩りを始める前の見定めをしているかのような雰囲気を漂わせ、ヴァーブと似た殺気を放ちつつある。

 身を隠すのをやめたヴァーブが歩き出す。


「ヴァーブ、待ちなさ――」

「出てくるな、俺があいつを殺すから大人しく待ってろ」


 鞘から抜かれる刀がすーっと静かに音を立てた。

 刀を抜いたヴァーブはより一層殺気を放ち、隻眼の瞳の奥が暴力的に燃え始める。


 不老の身体、心の一部を失った彼が得たものは狂乱の神アレスの力。

 ディーンの元でヴァーブが得た二つ名、【狂乱のヴァーブ】。

 近くに居るだけで押し潰されてしまいそうな迫力、刀の刀身を肩に乗せたヴァーブが歩いていく。


「……」


 獣人はじっとヴァーブを凝視し、両者の距離がだんだんと近付いていく。


「てめえ、そこで何してんだ?」


 最初に話しかけたのはヴァーブだった。


「……其方は何者なりや」


 獣人は殺気を放つヴァーブに対して見下すように、静かに問いかけた。

 獣人の後ろの岩壁には、扉のようなものが埋まっているのが見える。

 その扉の脇には獣人が振るう為に置いたであろうヴァーブと変わらない大きさの斧が置かれている。


「へっ……ただの旅人だよ」

「刀を抜いて歩く旅人などおらぬ」

「そうかい?」


 刀の間合いに入る手前で獣人は壁に立て掛けていた斧を軽々と持ち上げた。


「殺されるか立ち去るか、今ならまだ選ばせてやろう、人間」


 ヴァーブと向かい合う獣人は見下ろしながらそう口にした。


「へえ、意外と優しいんだねえ……」


 ニヤリと片方の口角を上げて不気味に笑うヴァーブ。


「お主のような血に塗れた者への最初で最後の忠告だ。聞いておけ」

「御託はいいんだよ、どっちかが死ぬまで楽しもうぜ」

「やはり人間とは、いつの時代も浅はかなりや……」

「まあ、やってみなくちゃ分からねえだろっ?」


 ヴァーブが大きく踏み込んだ。

 刀を一文字に獣人の腹へと振るう。しかし、獣人は斧を玩具のように軽々と動かし刀の動きを止めた。鉄と鉄が打ち合い甲高い音を発する。

 押し返されるほどの斧の重みがヴァーブの手に伝わり、思わず「くっ」と声を漏らす。

 ヴァーブは跳ね返されそうな斧の軌道を受け流し獣人の右側へと入り込んだ。足をしっかりと踏みしめ鎧の隙間を狙った突きを放つ――が、獣人はその身を回転させ斧の刃先で刀の軌道を逸らす。


「なっ……!」


 刺し切れなかったことに驚いていたのも束の間、回転した獣人の斧が勢いよく真横に振り切られようとする。


「っ!」


 迫りくる斧をヴァーブは左へとのけ反り対応。

 ヴァーブの身体の上を凄まじい風が通り過ぎていく。


「チッ……」


 思っていたよりも動きの速い獣人に対しヴァーブは距離をとった。兵士とやり合う時には感じたことのない手の震え。斧を受け流した時に感じた衝撃が右手を痺れさせていた。


「鈍いかと思っていたが、その図体でよく動くぜ全くよぉ……」

「お主も、人間にしてはよく耐えている方だ。褒めてやろう」

「その上から目線の物言い、ムカつくぜ……」

「事実なのだから仕方あるまいよ」

「チッ……ほら、次行くぜっ」

「無駄なことを……」


 踏み込んだヴァーブはそのまま地を這いように低い姿勢で足元を狙った。鎧の隙間を見定め、まずは足の動きから封じる算段だった。

 振り切る為に黒い刀身を構えるヴァーブ。


「近付かせんぞ人間」

「ッ!」


 獣人は近付こうとしたヴァーブに狙いを定めつつ、斧を地面に向かってフルスイングさせた。

 細かな無数のつぶてが弾速となってヴァーブへと飛んでいく。


「うぜえっ……」


 ヴァーブは飛来する無数の石の軌道を見据えて横へとステップを刻み、走り込む勢いを殺さずに獣人の懐へと飛び込んでいく。

 スイングした斧は獣人の肩よりも上の位置で留まっていた。


「足から斬り落としてやるよ!」

「遅いぞ」

「……ッ⁉」


 刀を構えていたヴァーブの側面には、先程まで獣人の上半身近くで止まっていた斧。

 巨大な斧が迫ってくるには、ヴァーブが考えていたよりも速すぎる事象だった。

 巨大な斧による素早い攻撃が今すぐにでもヴァーブの身体を真っ二つにせんと振り下ろされる。


「うぐっ……!」


 叩き斬られぬように刀を当ててなんとか防ぐも、巨体から繰り出された斧の威力を止められるわけもなく――


「やばっ……!」


 次の瞬間にはヴァーブは先程まで隠れていた岩へと身体を叩きつけられていた。


「クソッたれがぁああっ!」


 辛うじて刀を岩に突き刺し勢いを殺したものの、背中をひどく打ち付けた衝撃は消しきれず……。


「ぐはっ……」


 岩場に激突したせいで内臓が潰れそうになるヴァーブが、胸を抑えながら地面へと落ちて痛みに悶絶する。


「クソが……そのでかい図体でどんだけ速いんだよ……」


 いくら能力を授かり不老の身体とは言っても、所詮はヴァーブも人の身である。人間よりも屈強な身体を持つ獣人に対しては非力であった。

 獣人は斧の刃先を地面に当て、引きずりながらヴァーブの居る方へと近付いてくる。


「吹き飛ばされても生きている人間とは珍しい。さぞ苦しかろう」

「へっ……あんたみたいな奴に珍しいって……言われたくねえわ……クソがっ……」

「ふん……減らず口を叩きおって……ん?」


 ヴァーブに近寄り、岩に突き刺さる刀を一瞥した獣人が「ほう」と感嘆の声を漏らした。


「あの体制から刀を突き刺して勢いを殺したか、人間にしてはやりおるな」

「うっせえボケ……くっそ……、久しぶりに痛ぇわ……ははっ、こりゃ参ったねえ……」


 痛みに笑うヴァーブを見つめながら斧をゆっくりと振り上げる獣人。


「痛みを感じないように楽にしてやろう」

「ハッ……それはどうも」


 獣人が斧を構える為、斧の重心を後ろへ持っていったその時、岩陰に潜んでいたヘイがゆっくりと獣人の前に現れた。


「なんだ貴様は?」

「仲間……」

「ほう、こいつの仲間か」

「肯定……」

「ならば、後で貴様も一緒に殺して――ッ⁉」


 獣人は違和感に目をまんまると見開いたが、自身にかかる重力が増大し、堪らず後ろへと斧を落としてしまった。

 膝に手をつき、正体不明の重圧にヘイを睨みつける獣人。


「な、なんだこれは……貴様何をしたのだ!」

「重力……操作……」


 ヘイが呟く間も、上からのしかかるような圧力に堪らず獣人は膝を着いてしまう。


「くっ……こんなものぉおおおおお……!」


 負荷に抗い立ち上がろうとするが、ヘイがより一層重力を強めたのか、獣人は顔に土をつけた。


「ぐっ……おのれ……おのれ小賢しき人間めがぁあああああ!」


 ドラゴンバック全体に轟くような声。堪らずヴァーブが嫌そうに表情を歪ませた。


「ああ、もう、貴方うるさいわよ」

「お、女……?」


 動けなくなった獣人の目に映ったのは、岩陰から出てきたザインの姿。

 ザインは苦痛の表情を浮かべ地面に転がるヴァーブを一瞥した後、ゆっくりと獣人の方へと歩き出した。


「ヘイ、そのままでお願いね」

「了解」

「な、何をする気だ……来るな! 人間如きが我に近寄るな!」

「貴方うるさいからちょっとだけ静かにしてほしいだけよ」


 ザインの手が獣人の頭である鷹の頭部に触れる。


「なんだ、これは……! 何故お前の手はこんな……!」


 凍るように冷たいザインの手に獣人は本能的に危険だと悟ったのか、必死に手足を動かそうともがく。だが、重力の負荷によって指先しか動かせないことに気が付くと、再び雄たけびを上げた。


「やめろ! 触れるな! 我に触れるでない女ぁああああああ!」

「大人しくしてね、うるさいの苦手なの」

「やめろ! やめろぉおおおおおおおおおおお!」


 ザインの手が触れた所からみるみるうちに獣人の頭が氷漬けになっていく。


「やめ……やめ……ろ……」



 獣人の声が小さくなり、力を込めて抵抗していた指先も動くことはなくなった。




――――――――――――――――――

[人物等の紹介]

ヴァーブの武器「???」

斬れ味の良さそうな黒い刀を一本だけ携えている。


ザインの武器「???」

鷹の獣人を氷漬けにした時、獣人が言った一言が気になるが……。

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