60
「エリシュカッ!」
思わず仰け反って避けたくなるほどの勢いで扉が内側から開き、同時に朗らかな大声が厳粛な廊下に響き渡った。隣に立つサラが厭な顔をするのを確認する暇さえなく、エリシュカはなにかあたたかくて柔らかいものに強く抱きしめられていた。
ヴァレリーのそれとは違う抱擁が、もう二度と会うことはないかもしれないと思っていた友から与えられるものだと気づくのに、わずかばかり時間がかかった。
「ベルタ、さま……」
小さく呼べば、エリシュカ、と今度はやさしい声で囁かれる。
「ベルタさま、なぜ?」
エリシュカは腕を伸ばし、しがみついてくるベルタの身体を抱きしめ返した。自分がこの唯一の友をどれだけ大事に思っていたのか、こうして再会してはじめてわかった。家族に対する想いと比べて、彼女への友情を軽んじたこともあったけれど、いまのエリシュカにそんな気持ちはもう残っていない。
誰かと対等にあることを、ごくあたりまえのことだと思えるようになったエリシュカにとって、自分がそうと気づくずっと前から――知り合ったときから――、できる限り同じ立場に、同じ目線に立とうとしてくれていたベルタは、かけがえのない大切な存在だ。
ベルタ、ともう一度エリシュカが友の名を呼び、なぜここにいるのか、と問いかけようとしたとき、先んじて彼女の名を呼んだ者がいた。
「ベルタ」
いい加減になさい、と声は云った。肩を掴まれ引き剥がされ、抵抗むなしく空を切った手を振り払われて、エリシュカは思わず声の主を睨みつける。
「デジレさま……」
驚きに目を見開きながらのエリシュカの失言に眉をひそめたデジレは、さま、と彼女の言葉尻を咎めた。
「このお部屋の主としてはふさわしくないお言葉ですね、エリシュカさま」
あ、とエリシュカは思わず口元を手で覆った。彼女は、やや厳格に過ぎるこの王太子付筆頭侍女のことが、以前から苦手だった。
「私ども使用人に向かって敬称をつけたり、丁寧な言葉を使ったりなさるのは褒められたことではありません。何度も何度も申し上げたことですが、お留守になさっていたあいだにすっかり失念されてしまわれましたか」
「いえ、あの……」
「なにかを云い澱んだり、口ごもったりするくらいなら黙っておられるほうがいい、とも申し上げたはずですが」
口先ひとつで大勢の人を動かすことができるような立場にある者が、意思を伝えるための言葉を躊躇ったり、遠慮したりすることは、余計な誤解を生む原因となる。あるはずもない本心を探されたり、痛くもない腹を探られたり、それだけで揉めごとの種になりかねないのだ。
まだ寝室に閉じ込められるようになる前、デジレはエリシュカにさまざまな小言をくれたものだ。下を向いて歩くな、侍女に遜るな、馬の世話をするな、――それはもう、数えきれないほどに。
そうした苦言の中で、最後までエリシュカがあらためられなかったことのひとつが、いまの、ものを云うときははっきりと云え、というそれだった。
「はい」
エリシュカが俯きがちに答えると、デジレは深いため息をついた。
「王太子殿下は、あなたさまをいずれ正妃にお迎えになりたい、と陛下に宛てたお手紙の中で、そうおっしゃられました。国王陛下も、殿下のお母上であるルシールさまも、そのことは承諾なされておられる」
エリシュカはゆるゆると目を見開いた。驚きのあまり、感情が鈍くなっている。デジレはそんな彼女を気遣うように、ひとつだけ頷いた。
「お小さいころより、あまり我儘をおっしゃられなかった王太子殿下のたっての願いとあって、あなたさまのご身分やお立場のことは特別に問わぬ、と」
ヴァレリーが我儘を云わなかったかどうかはデジレの主観にすぎないが、それはともかくとして、東国国王ピエリックとその側妃ルシールが、エリシュカの存在を非公式にではあっても認めたことは事実だった。
ヴァレリーはエリシュカ以外の妃は娶らぬと明言し、ともに王城に戻るゆえ、彼女のための支度を調えるよう、両親に願い出ていた。息子の意志の固いことを知った両親は彼の意を受け入れ、王城の中にエリシュカの住まう部屋が用意されたのである。
「あなたさまはこれから王太子妃、つまりゆくゆくは王妃となられるお方です。生まれや育ちを問われないということはつまり、あなたさまに向けられる目がそれだけ厳しいものになる、という意味でもあります」
本来であれば貴族の――あるいはそれに準ずる家格に生まれた――娘が立つべき、ヴァレリーの隣。そこにあるべきは、この国の誰もが手本としたくなるような完璧な存在でなくてはならない。
その完璧の基準は、王妃であるエヴェリーナ・ヴラーシュコヴァーや側妃であるルシール・ジラルディエールだ。もともと質のよい教育を受け、厳しい躾を施され、さらには他者を使役することに慣れている彼女たちは、見る目の厳しい貴族や大勢の民の前に出ても怯むようなことはない。地位に見合う才覚と運に恵まれ、またそこにとどまり続けるための努力をしているという自負があるからだ。
しかし、エリシュカは違う。ヴァレリーと想いあっているという、儚い絆だけを頼りにここにいる。地位もなく、後ろ盾もなく、ろくな教育も受けていない。これからいくら努力を積み重ねても、エヴェリーナやルシールの足許にも及ばないだろうことははっきりしていた。
「貴族ではなく、さらに云えばこの国の民ですらないあなたさまには、しかし、伝統ある家の血を継ぐ娘と同じことが求められるのです。できない、ではすまされません。努力するだけでも許されない。誰から見ても完璧と云われるほどになってはじめて、王太子殿下の隣に立つことを認められるのです」
「はい」
強張った声で応じたエリシュカの手に、ふとあたたかい掌が触れた。指先を包むぬくもりにつられるようにして横を向けば、すぐそばで微笑むベルタの顔があった。
「大丈夫よ、エリシュカ。あなたならできる。私にはわかるわ」
「ベルタさま……」
思わず和むふたりにデジレの雷が落とされた。
「ベルタ、その手を離しなさいっ」
エリシュカさまのお身体に気安く触れてはなりませんっ、と怒鳴るデジレの額には青筋が浮かんでいる。
「あら、デジレさま。今日だけは特別ですよっておっしゃったのは、デジレさまですよ。慣れない王城にエリシュカさまも心細くていらっしゃるだろうから、同郷のおまえがおそばにいてお慰めして差し上げなさい、と。手のひとつも握らなくてどうやってお慰めするんですか」
しゃあしゃあと云い返すベルタに、デジレの口許が引き攣った。
「で、ではせめて、言葉遣いだけでもどうにかなさい。エリシュカではなくエリシュカさま、あなたではなくあなたさま。あなたは侍女、エリシュカさまは殿下の恋人、立場が違うのです」
それは大変失礼なことを申しました、とベルタは深々と腰を折った。繋いだ手を離さないままなので、エリシュカまで一緒に頭を下げるような格好になってしまう。
もうなにを云っても無駄だと思ったのか、デジレはそれ以上の小言をくれようとはしなかった。代わりに小さく咳払いをし、サラ、と騒動から取り残されていた侍女を傍らに呼びつける。
エリシュカの荷物を両腕いっぱいに抱えたまま我慢強く控えていたサラは、デジレに呼ばれて音もなく歩み寄る。所作の美しさは思わず見とれるほどで、それだけで彼女の受けてきた躾の厳しさが知れた。
「エリシュカさま」
あらたまった口調でデジレに呼ばれ、エリシュカは姿勢を正した。
「彼女はサラ。サラ・デュラフォアと云って、かつてあなたさまにお仕えしていたモルガーヌにも引けを取らぬ古い家に育った娘です。これからおそばに仕え、お世話をさせていただきますが、それだけではなく、彼女の知識はこれから妃教育を受けられるあなたさまのお役に立つことでしょう」
名を呼ばれてデジレにうながされたサラは、半歩ほど前に進み出ると、荷物を抱えたままだと云うのにじつに優雅にお辞儀をして、なにとぞよしなにお願い申し上げます、とごく短い挨拶を述べた。
「ええ、よろしくお願いしますね、サラ」
案内の途中で見せたぞんざいさなど欠片も覗かせぬサラの態度に、エリシュカもまた淡い笑みで応じてみせる。ふとデジレを見れば、そう、その調子です、とばかりに頷いている。その様子が可笑しくて、途中からなかば本気で笑いながら、エリシュカは、デジレ、と呼びかけた。
「訊いてもよろしいですか」
「なんなりと」
「モルガーヌやクロエはどうしていますか」
敬称を使わないよう気をつけながらエリシュカは尋ねた。丁寧な言葉は、それはもう個性だと思って、諦めてもらうことにしよう。
「わたしの軽率で彼女たちには多大な迷惑をかけたことと思います。できるならば直接会ってお詫びをしたいと、そう考えているのですが」
「……詫びですか」
デジレの復唱を単なる確認だと思った自分がいかに愚かだったか、エリシュカはこの直後に思い知ることとなる。
「モルガーヌもクロエも、もうあなたさまにお仕えする立場にはございません。お会いになるのはむずかしいかと」
「な、なぜです?」
もしやわたしのせいということは、とエリシュカは云った。
「クロエはあなたさまのおそばに上がる資格のない下級侍女ですし、モルガーヌは侍女の職を失いました。ふたりはすでに、エリシュカさまがお気に留められるような存在ではございません」
デジレはモルガーヌとクロエを軽んじているのではない、とこのときのエリシュカには正しく理解できた。――責められているのは、わたしだ。
「それはどういう……」
「どういうもこういうもございません。エリシュカさまはふたりにはお会いになれない。そういうことです」
デジレ、となおも云い募ろうとするエリシュカを止めたのはベルタだった。
「エリシュカさま」
袖を引き、軽く首を横に振るベルタを見て、エリシュカは口を噤む。痛ましげな目でエリシュカに同情を示したベルタは、デジレさま、とふたりのあいだに割って入った、
「エリシュカさまはお疲れでいらっしゃいますわ。長い旅をしてこられたのですもの。お身体を清めて温かいものを召し上がっていただき、早めにお
ベルタの言葉にデジレの目が細められる。ベルタは、そういうことですから、と続けた。
「デジレさまにもサラさまにも、そろそろこのお部屋からご退出いただければと思うのですが」
ベルタ、あなたなにを、と云ったのは、それまでひと言もしゃべらなかったサラである。与えられた役目を気に入ってはいないが、横取りされるのはもっと気に入らない。
「デジレさまがお決めになったことですよ、サラさま。今日ばかりは私がお世話させていただけると、そういうお話なのです。そうでしたよね、デジレさま」
ええ、と頷いたデジレは、感情に任せてエリシュカを責めた自分を恥じているようにも見える。ベルタはそんな彼女を労わるような口調で、それでしたら、と続けた。
「今日のところは私にお任せいただき、明日あらためて、ということになさってはいかがでしょうか」
扉の閉まる音とともに、部屋の中にはベルタとふたりきりになった。エリシュカはなかば駆けるようにしてベルタのそばへと寄り、ベルタさま、と声を上げる。
デジレとサラを見送るべく、エリシュカに背を向けていたベルタは、そんな彼女を振り返って、はい、とにこやかに応じた。
「なぜ、なぜ、ベルタさまがここに?」
ええ、とベルタは頷きながらエリシュカを部屋の中央へと導き、まずはおかけになって、と布張りの長椅子を勧めた。
「お話しすれば長いのですけれど……」
そう断りを入れたベルタは、ついでのように、こちらのお荷物は片づけてもよろしいですか、とサラが置いて行った長外套と大きな袋とを指し示す。
「え、ええ、もちろんです」
「すぐにあたたかいお茶をご用意いたしますね。花茶、お好きでしたよね。美味しい焼き菓子も手に入れたんです。殿下にお願いして、ああ、殿下というのは王太子さまではなくてエヴラールさまのことですけれど、お願いして、可愛らしいお砂糖も取り寄せてあるんですよ」
「え、エヴラール、殿下……?」
たしかその方は、とエリシュカはすでに遠くなりつつあった記憶を手繰り寄せ、首を傾げた。
「たしか、アランさまの従弟でいらっしゃる……」
「ええ、エヴラール・ジェルマン殿下です。私、いまエヴラールさまにお仕えしているんですよ」
だからなぜ、と云いかけるエリシュカを片手で制し、ベルタは扉のすぐ傍らに置いてあった小さな
「どこからお話しいたしましょうかねえ」
ようやくのことでエリシュカのそばに戻ってきたベルタは、どこかのんびりとした口調でなにかを思い起こすように視線を高い位置へと投げかけた。彼女の手元は忙しく茶の支度を続けているが、表情や口調はごくやわらかい。
そんなベルタの様子を目にしているうちに少しずつ落ち着いてきたのか、エリシュカもようやく寛いだ表情を見せて、本当に驚きました、と小さな声で云った。
「まさか、このような形でもう一度ベルタさまにお会いできるなんて、思いもしませんでしたから」
「本当にそうですね」
云い交わしたところで茶の用意が調った。ふたりは杯を手に、互いにこれまでのことを語りあった。
それぞれの旅路のこと、家族のこと。
シュテファーニアのこと、ヴァレリーのこと。
オリオルのこと、クロエのこと。
王城のこと、故郷のこと。
話すことはいくらでもあった。
ときに笑い、ときに憤り、ときに泣いて、エリシュカとベルタはともに旅をした。怖かったことや悲しかったことさえ、互いに話せば、なぜかよい思い出のひとつであるかのようにさえ感じられた。
用意された食事の最中はもちろんのこと、エリシュカの入浴やそのあとに続く髪や肌の手入れのあいだでさえ、ふたりは話し続けた。デジレの放った間者であるところの下女が厳しい視線を向けてきてもどこ吹く風だった。
今夜だけよ、とベルタは当の下女に向かって云ったものだ。この程度のことも見逃せないなら、このあいだのズル休みをデジレさまにばらしてやるからね。
それにしても、とふとわれに返ったような口調でエリシュカが云ったのは、爪の先まで美しく磨き上げられ、やわらかな夜着をまとって寝台にもぐり込み、あたたかな布団に肩の上まで包まってからのことだった。
「ベルタさまはいったいなぜ、ここでエヴラール殿下に仕えていらっしゃるのですか」
そうなのですよねえ、とベルタは寝室の入口近くに設えられている燭台に火を灯しながら首を傾げた。
「なぜと云われれば、私が帰国するまでのあいだの職を求めたからなのだろうけれど、その仕事がね、まさか王族のおひとりにお仕えすることだとは思いもしなかったわ」
「帰国?」
ええ、とベルタは頷いた。
「私がここにいるのは、さっきも話したように、姫さまに置いていかれてしまったうえに、叛乱の余波を蒙ったせいなのよ。治安が回復して、季節がよくなったら、帰るつもりよ」
「神ツ国に……」
「私にはほかに帰るところはないもの」
ベルタはにっこりと笑って、横たわるエリシュカの頭をそっと撫でた。
「そんなふうに不安そうな顔をしないで、エリシュカ。大丈夫。あなたが王城に慣れるまではここにいるわ」
でも、とエリシュカはあたたかな布団をはねのけてベルタにしがみついた。
「いつかは帰ってしまうのでしょう?」
「そうね」
「あの、ここに、ずっと、その……」
いてもらうことはできないかしら、とエリシュカは消え入るような声で云った。
神ツ国から東国へ戻る旅のあいだ――ベルタに会うまで――、エリシュカはずっと本当の心を押し殺してきた。怯えてはならない、不安がってはならないと、己を鼓舞し、励まし続けてきた。
本当はずっと怖かったのに。ずっと不安だったのに。
ヴァレリーとの絆ひとつを信じて赴くには、エリシュカにとっての東国はあまりにも過酷な場所だった。頼る者のいない異国、これまでとは異なる暮らし、馴染みのない習慣と文化。それだけでも帰るあてのないエリシュカには厳しいと云うのに、彼女にはさらなる重荷が課されていた。
いずれ王妃となる者。
自ら望んでヴァレリーの隣に立つことを決めたとはいえ、王妃という言葉はいまのエリシュカにはあまりにもそぐわない。
ほかの誰に云われるまでもなく、彼女自身が一番にそのことを理解している。
ヴァレリーの存在をすぐ近くに感じられるあいだは、それでも怯むようなことはなかった。彼のぬくもりを守るためならば、どんなことにでも耐えられると、本気で思っていたからだ。
けれど、王城へ入るなりヴァレリーと引き離され、エリシュカの不安はどんどん募ってきてしまった。マルケやサラの態度は彼女を動揺させ、委縮させた。彼らの思いは当然だと、いつかはそれすらも覆してやろうと、そんなふうに決意はしたけれど、やはり心は傷ついていた。
ベルタの存在は、そんなエリシュカを一瞬で解放してくれた。再会にこそ驚いたが、尽きぬ泉のように湧き出る言葉を、笑顔や涙を交わして、彼女こそは唯一の友であると再認識したばかりだった。
ベルタさまと離れたくない、といまのエリシュカは、そう思わずにはいられない。彼女のいない王城なんて、おそろしくてたまらない――。
「私もね、エリシュカ、私も父さまや母さまに会いたいの。あなたほどではないにしても、可愛がっていた馬の様子も気になるのよ。だいぶ歳だったしね、あの子」
ベルタはエリシュカの頭を撫でながら、努めて穏やかな口調で答えた。
「まさかあなたが、王太子殿下と一緒にここへ戻って来るなんて思いもしなかった。だから正直なところを云えば、迷ってる。帰るべきか、残るべきか。このまま国へ帰ってもきっと、私はあなたのことを気にし続けるだろうし。だけど、私にも会いたい人はいるのよ」
「ご、ごめんなさい」
エリシュカは恥ずかしくなって俯いた。ベルタの身体を捕らえている腕はそのままだから、まるで彼女の腹に顔を埋めているような姿勢になってしまう。王太子が見たら嫉妬で殺されそうだわ、とベルタは思いながら、そんなことはおくびにも出さずに、エリシュカの背中を励ますように小さく叩いた。
「いいのよ。あなたの気持ちもなんとなくわかるから。それに私だって、あなたの顔を見るためにここに置いてもらっていたところもあるんだから」
元気そうで安心したわ、とベルタは云った。けれど同時に、これからのことを思えば、よかった、などとは云っていられないということもよくわかっていた。
賤民だと蔑まれ、すべてを奪われるようにして生きてきた娘が、ひとりの男を愛したせいで、突然にその立場を変える。聞いているぶんにはよくできた御伽噺のようだが、本人にしてみれば、そんな甘ったるくなまぬるい話ではないのだろう。
「不安、よね……?」
そう問いかければ、エリシュカはなおも腹に顔を押しつけるようにして頷いた。
「そうよね……」
でも、大丈夫よ、とベルタは云った。
「王太子殿下が、よくも悪くも王太子から抜け出せない男が、あなたを選んだのよ。王太子妃として、王妃として、エリシュカなら務まるはずだと、そう思ったからよ」
ベルタの腹にしがみついたままエリシュカが顔を上げた。
「自分で決めたんでしょう、エリシュカ。殿下のそばにいると、彼を王太子だとわかっていて、そのうえで決めたんでしょう?」
彼を信じて、自分を信じるのよ、エリシュカ、とベルタは不安に身を竦める友を抱きしめた。
「大丈夫、あなたならきっとうまくやれる。私がついてる。短い時間かもしれないけれど、ここにいるあいだはできるだけ近くにいて、あなたのこと見守ってる。約束するわ、エリシュカ」
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