02

 木の寝台と小さな書卓、それに合わせた質素な木の椅子を置けば、それだけでいっぱいになってしまうような小さな部屋に落ち着いたシュテファーニアは、肺を空にするほどの勢いで深い深いため息をついて、ほっそりとした両肩を落とした。

 東国王都から長い旅路を歩み、峻厳なる神ノ峰を越えて辿り着いた故郷は、三年前となにひとつ変わらなかった。

 風景も人々も、神も父も、――兄も。


 中央神殿の前で兄と別れたシュテファーニアは、その足で父のもとへと急いだ。

 大陸を統べる神に仕える教主であり、この国の元首でもあるマティアーシュ・ヴラーシュコヴァーは、愛しい末娘を中央神殿奥深くの小さな拝堂でひっそりと出迎えた。

 夫と離縁したシュテファーニアは、建前としては禁忌を犯した身の上である。そのため、公の場では父と会うことは許されなかった。母とは秘密裏にさえもまみえる許しをもらえていない。

「よく戻った、シュテファーニア」

 父の顔に笑みはなかった。しかし、言葉だけでも娘を労わろうとした父に向かって、シュテファーニアは慇懃に深い礼を取ってみせた。

「このようなことになり、お詫びの言葉もございません、お父さま」

 マティアーシュは娘によく似た紫色の瞳をわずかに眇め、娘よ、と云った。

「おまえの希望どおり、今日よりこの中央神殿に仕えるがよかろう。神官長と巫女長にはすでに話を通してある」

「お取り計らいに感謝いたします」

「シュテファーニア」

 父に呼ばれ、はい、とシュテファーニアは顔を上げた。

「すまぬな」

「なにもかもすべてわたくしが望んだことでございますわ、お父さま」

 短い婚姻生活を終え、当初の約束どおりに帰郷したシュテファーニアだが、禁を犯した彼女は、かつての住まいであった教主の宮に足を踏み入れることは許されなかった。母にさえも目通りを許されぬ身であることを考えれば、それは当然のことである。

「それでも儂はおまえの父親であるのに」

 いいえ、とシュテファーニアは首を横に振る。

「だからこそ戒律に従わねばなりません。教主であるお父さま、そのお父さまの娘であるわたくしであればこそ、犯してはならぬ則というものがある。そうでございましたわね」

 ああ、とマティアーシュは苦い顔で頷いた。

 末娘として我儘を云うことも多かった幼いわたくしを諌めた言葉が、いまこうして己の身に跳ね返るなど、お父さまは想像したこともなかったのに違いない、とシュテファーニアは思った。

「これよりわたくしは、教主の娘ではなく修行の巫女のひとりとなります。しばらくのあいだはお父さまをお父さまと呼ばせていただくこともできなくなります」

 マティアーシュは目蓋を重たげに伏せて、まっすぐな娘の眼差しをそっと避けた。致し方のないことだわ、とシュテファーニアは思う。

 お父さまはきっと、ご自身を不甲斐なく思っておられる。神に仕える者として、この国を導く者として、清く正しくあらねばならぬ一方で、彼は娘に甘いひとりの父親でもある。末の娘である自分を、父がことさらに可愛がってくれていることをシュテファーニアはよく知っていた。

 いかにわたくしの望んだこととはいえ、親として娘の帰りを喜ぶこともできず、その未来に祝福あれと祈ることもできず、ただ黙って見送るしかないご自分を、お父さまは歯痒く思っておられる。そんな必要はないというのに――。

「シュテファーニア」

 父に呼ばれた娘はまっすぐに顔を上げ、父のそれよりも少しだけ色の薄い紫の眼差しを強くした。

「おまえがそう云うのであれば、この父に否やはない。この拝堂を出てよりのちのおまえは儂の娘ではなく、信仰をともにする師弟となる。この先巫女として立つその日までは決して、父を父と呼んではならぬ」

「はい」

「儂もおまえを娘とは呼ばない。ただ神のみに誠を尽くし、徳を積み、民を導く正しき巫女となれ」

 はい、とシュテファーニアはもう一度返事をした。父に向けた眼差しは、一瞬たりとも揺らがない。

 マティアーシュはふと、たとえようもない寂しさを感じて胸を塞がれた。

 この先二度と、己が腕に娘を抱くことはできない。たとえ娘が晴れて巫女となり、ふたたび父を父と呼ぶ日が来ても、神聖なる巫女の身体に容易に触れることはできないのだ。たとえ父であろうと、兄であろうと。どれほどの悲しみも寂しさも苦しみも、この手で拭ってやることはできない。――もう、二度と。

 マティアーシュは大きく両腕を広げ、シュテファーニア、と娘を呼んだ。

「おいで」

 シュテファーニアは静かに父に歩み寄り、その胸にそっと身体を預けた。

 父のやさしい抱擁は、東国へ嫁ぐ前となにひとつ変わらない。その温みも、匂いも、力強さも。ただわたくしだけが、わたくしの心だけがあの頃といまとでは大きく変わってしまった。

 わたくしはきっと、よき巫女になることはできない。お父さまの望むような、正しき巫女には。

 娘でもなく父でもない、と云いながらも、お父さまはきっとわたくしを見守ってくださるつもりでいるのに違いない、民を導く巫女となるよう、期待してくださるのに違いない。シュテファーニアは父の胸に額を押し当てながらそっと目を閉じた。けれどわたくしは、お父さまの期待には応えられないのだわ、と彼女は思う。

 彼女はこの国を変えるつもりでいる。国のため、国に暮らすすべての民のため、そしてシュテファーニア自身のために、この国を変えるつもりでいる。

 その変革を、父はきっと望まないだろう、とシュテファーニアにはそのことがよくわかっている。教主として国と民とを導くお父さまはきっと、わたくしの行いを罪深きものと考え、断罪なさろうとするはずだ。

 そして、わたくしはそんなお父さまに立ち向かわなくてはならない。あるいは、古き権威の象徴として滅ぼさなくてはならないかもしれない。

 なんと悲しく、苦しく、つらいことだろう。いついかなるときもわたくしを慈しみ、愛し、導いてくださったお父さまを、滅ぼさなくてはならないかもしれないなどと――。

 けれど、この痛みはわたくしにとって必要な痛みなのだ、とシュテファーニアはそうも思う。あるいは、建国のときよりこの国を背負い続けたヴラーシュコヴァーの一族として、あるいは、賤民と呼ばれる者たちを虐げ続けたひとりとして、背負わなくてはならない痛みなのだ。

 痛み――。

 それが、いったいどれほどのことだというのだろうか。

 これまでの長きにわたり、虐げられ続けた賤民の苦しみを思えば。

 望まずして、他者を踏み躙らなくてはならなかった民の葛藤を思えば。

 こんなことは、――こんなことは痛みでもなんでもない。

 わたくしはわたくしの信じた道を征くため、父を――家族を、血を、信仰を、国を、これまでの習いのすべてを――裏切ると決めたのだ。


 父の前を辞したシュテファーニアはその足で中央神殿の巫女長のもとへと向かい、いよいよ正式に巫女見習いとして認められた。

 巫女長であるリーディエ・ピルナーは、教主の娘というシュテファーニアの特別な立場を最大限尊重した上で、しかし、修行の最中においては、俗世のことをすべて忘れるように、と助言した。

 シュテファーニアはリーディエの言葉を押し戴くようにして耳を傾け、深い礼をもって応じた。高貴な血統ゆえのいくつかの特例――たとえば、小さくはあっても個室を与えられ、少なくはあっても傍仕えの者をつけてもらえる、たとえば、近しい者との文のやりとりを許してもらえる――をありがたく受け取り、シュテファーニアは巫女長の前を辞することとなった。

 本来であれば、己の身のまわりのことはすべて己の手で行うことがあたりまえの修行の身ではあるが、一方でシュテファーニアは紛れもなく教主の血脈を受け継いでいる。彼らには彼らの掟があり、それを破らせることはできないというのが、神殿、ひいては巫女長の姿勢であった。

 特権的待遇を甘んじて受け入れることに抵抗がなかったわけではないが、父や兄、母や姉もそうしてきたのだ、とシュテファーニアは思った。わたくしだけが別の扱いを求めれば、神殿は混乱をきたすだろう。個室や傍仕えや文のやりとりなど、いずれたいした問題ではなくなる。いまはおとなしく、定められたことに従っておくべき時なのだろう。

 部屋の扉がごく控えめに叩かれた。シュテファーニアは短い返事とともに自らの手で扉を開けた。さも当然のような顔をしてそこに立っていたのは、先ほど別れたばかりのツェツィーリア・コウトナーだった。

「ツェツィーリア」

 シュテファーニアは大きく扉を開き、かつての第一侍女を部屋の中へと迎え入れる。ツェツィーリアは静かに扉を閉めたのち、主に向き直って淡く微笑んでみせた。

 シュテファーニアは、彼女に応えるように疲れた笑みを浮かべてみせた。彼女がそのように素直な感情を露わにできる相手はとても限られている。誇り高き教主の娘の信頼も厚い彼女の第一侍女は、小さな眼鏡の奥の薄水色の瞳になおもやわらかな光を浮かべ、主を労わった。

「さぞお疲れでございましょう。夕餉の刻までは少しばかり間があります。少し休まれてはいかがですか」

 そうね、とシュテファーニアはため息とともに応じ、でも、そうも云っていられないのよ、と続けた。

「明日からに備えて身の回りを整えておかなくては。しばらくは寝る間も惜しまなくてはならなくなるでしょうから」

「そうしたことは私が……」

 あたりまえのようにそう云ったツェツィーリアに、シュテファーニアは窘めの意味を込めた眼差しを向けた。

「いいえ、だめよ、ツェツィーリア。ここではなにもかもが修行のひとつ。己の身を整えることも含めてね」

 だから、とシュテファーニアは云った。

「おまえがわたくしに従う必要はないのよ。宮に帰ってもかまわないの。この話をするのは、はじめてではないはずよね?」

「はい、姫さま」

「傍仕えの者は、誰か適当な者を神殿が用意してくれるでしょう。不自由はないはずよ」

 それは承知しております、とツェツィーリアは云った。

「ですから、私は私自身の意志でここにいるのです、姫さま」

「おまえがそれほど信仰に篤かったとは意外ね」

 神などさほど信じてはおりませんよ、とツェツィーリアは胸のうちで応じた。私が信じておりますのは、あなたさまでございます、姫さま。

 ねえ、ツェツィーリア、とシュテファーニアは云った。

「これまでのことを振り返れば、素直に受け取ってもらえないのはあたりまえなのかもしれないけれど、わたくしはおまえを縛りたくはないの。わたくしに従って東国へまで行ったおまえならば、宮へ戻ればそれなりの地位に就くことができるのだし、実家へ戻ればやはりそれなりの相手に嫁ぐこともできるでしょう。なにも神殿で不自由な暮らしをすることもないと思うのよ」

「それで、姫さまはおひとりで、これからのすべてに立ち向かわれるおつもりですか」

 シュテファーニアは目を見開いた。

「私が気づいていないとでもお思いになられましたか。私は、姫さまのことならば、大抵のことは存じているつもりでおりましたが」

「違うわ、ツェツィーリア、そうではないの。わたくしがなにを考えているかなんて、おまえにはとっくにお見通しでしょう。そうではなくて、その……」

「私が姫さまのお味方をするとは思われなかった?」

 そうよ、とシュテファーニアは耳まで赤く染めて頷いた。

「だってそうでしょう。おまえはわたくしに云ったもの。自分はわたくしに仕える者で、それ以上でもそれ以下でもない、と。それはつまりわたくしの力になるつもりはないと、そういう意味だったのではないの?」

「そういう意味でしたよ、姫さま」

「それなら、なぜ、いまになって……」

「姫さまはお変わりになられた。ご自身でもそのことはよくおわかりでいらっしゃいましょう。その変化は短いあいだで起きたことではありません。東国へ嫁がれる前、嫁がれてから、それから長い旅のあいだ、長い時間をかけてゆっくりと少しずつ確実に変わってこられたのです」

 そうした変化は姫さまだけのものだと思われますか、とツェツィーリアは云った。

「私も変わったのですよ」

「おまえが……?」

 いったいどういうこと、とシュテファーニアは問い返した。

 ツェツィーリアは揺らがない。決して悪い意味ではなく、これまでシュテファーニアはずっとそう思ってきた。

 ツェツィーリアがシュテファーニア付第一侍女となったのは、彼女が教主の宮に仕えはじめてまもなくのことだ。ツェツィーリア自身の望みでなかったことは云うまでもない。

 教主の宮に仕える侍女はみな、もとはと云えば高位神官の娘たちである。一定の期間、勤めあげたのちは、親の決めた相手と婚姻し、家を支える妻となる者たちばかりだ。そうした中で、東国に輿入れすることが決まっていたシュテファーニアに仕えるということは、つまり、人並みの暮らし――神ツ国における神官の娘としての――を諦めるという意味でもあった。

 ツェツィーリアの実家であるコウトナー家の長ラドヴァン――ツェツィーリアの実父――は、娘を西国オシデンスシヴィタへ留学に出すほどに先進的な考え方を持ってはいたが、神官として己が家名を守るべく娘を利用することを当然と考えていたし、ツェツィーリア自身も父の命に従うことに否やはなかったはずだ。

 ラドヴァン・コウトナーは息子に恵まれなかった。三人のいる娘たちのいずれかに婿を取り、コウトナーの血を継がせることは彼にとって自明の未来であり、長女であるツェツィーリアはその筆頭候補と目されていたはずなのだ。

 教主マティアーシュはツェツィーリアをシュテファーニア付の侍女とし、東国への随行を命じたが、その命をラドヴァンが承服したのは、シュテファーニアがいずれは神ツ国へ戻ってくることをあらかじめ承知していたためである。儂も大事な娘を遠き異国へ遣るのだ、とマティアーシュは云ったのかもしれない。いずれ必ず戻るゆえ、そなたの娘の力、ひいてはそなたの力を貸してやってはくれまいか。

 ツェツィーリアの進退は、シュテファーニアの意志ひとつにかかっていた。もしもシュテファーニアがヴァレリー・アラン・ラ・フォルジュと心を交わし、彼の国に残る未来を選んでいたならば、ツェツィーリアもまた東国に残ることとなっていたかもしれないのだ。

 結果的にわたくしはこうして神ツ国へと戻り、ツェツィーリアもまた故郷へ戻った。

 つまり、なにもかもが振り出しに戻ったのだ。

 たとえわたくし付の侍女とはいえ、巫女となることを選んだわたくしに従う義務はおまえにはない。おまえは教主の宮に仕える侍女であって、わたくし個人に仕えているわけではないのだから。おまえは、おまえの父が望むように、あるいはおまえ自身が望むように自分の生き方を定めることができるはずでしょう。

 シュテファーニアはそうした考えを、帰郷の旅路にあるときからツェツィーリアに伝えていたし、ツェツィーリアもまた主の言葉に静かに頷いていたのではなかったか。

「姫さまが考えておられるよりも、私はずっと姫さまを見ておりました。教主の宮でお暮らしだったころも、東国へ嫁がれてからも、帰郷の途にあられるときも。姫さまはお変わりになられた。それはことに、旅の途上で顕著でした」

「旅の、途上……」

 ええ、とツェツィーリアは穏やかに微笑みながら頷いた。

「東国王太子殿下のもとを逃げ出したエリシュカに対してお気遣いなさったかと思えば、ベルタを思い遣られ、ふたりのために祈りを捧げられた。体調を崩した侍女に特別な計らいをされ、同時にご自分に従う者たちを守るために厳しい決断をなさりもした。神ノ峰に入ってからのこともそうです」

 案内の者たちの言葉にじつに辛抱強く従われた、とツェツィーリアは云った。

「……そんなこと」

「東国へ向かわれるときの姫さまからは、想像もできなかったお姿です」

 シュテファーニアはさっと頬を赤らめて俯いた。こうして急に過去の自分を突きつけられると、恥ずかしさにいたたまれなくなる。

「それは……」

「姫さまは賢く、忍耐強く、信心深いお方です。私はそんなあなたさまを尊敬している。けれど、かつての姫さまはただそれだけだった。いまは違います」

「どう違うというの?」

「他者を思い遣ることを学ばれたのです。ご自身とは立場の異なる者たちのことを気遣われるようになられた」

 容易には故郷へ戻ることのできなくなってしまったエリシュカやベルタの悲哀に、馬車で旅路を行く自分とは異なる侍女の辛抱に、己の身を守るばかりではいられない神ノ峰の案内役の苦労に、いまのシュテファーニアは心を寄せることができる。そして、祈り、気遣い、ときには従うことで、彼らを助けることができるようになったのだ。

 そんな簡単なこと、とシュテファーニアは口にすることができない。かつての自分は、その簡単なことひとつできなかったのだから。

「でも、それは……」

「ごくあたりまえのこと、そのとおりでございます、姫さま」

 シュテファーニアは小さく頷いて、ツェツィーリアを見た。氷の女の異名をとる第一侍女は不意に笑みを消して、真剣な眼差しを主へと向ける。

「けれど、わが国には、その、ごくあたりまえのことが、ない。もう長いことずっと、なかったのです、姫さま」

 シュテファーニアは無意識のうちに、華奢な指先をきつく握りしめていた。

「姫さまがエリシュカとのことをきっかけにわが国の歪に気づかれたことを、私はこのうえない幸いであると思いました。ですが、その気づきが次なる行動に繋がるかどうか、心のどこかで疑ってもいたのです」

 ツェツィーリアの言葉はとても率直で厳しく、それだけにシュテファーニアの心を大きく揺さぶった。

「だから容易にはわたくしに力を貸そうとはせず、話し相手にもならなかった。そういうことなのね」

 お許しを、とツェツィーリアは頬を緩めることなく静かに答えた。

「ことは国を揺るがす大事でございます。相手が姫さまといえど、そう簡単に委ねられることではございません」

 シュテファーニアとツェツィーリアは互いに口を噤み、静かに見つめあった。無言の誓いが空気を震わせることなく主従の胸に落ちる。

 やがてシュテファーニアがふたたび口を開いた。

「それで、わたくしはおまえの眼鏡にかなったと、そういうことなのかしら?」

「眼鏡などと……」

「謙遜しなくていいのよ、ツェツィーリア。いま、おまえほど客観的にこの国の姿を見つめられる者はいないもの。お父さまやお兄さま、あるいはおまえの父を含む高位神官たちとて、西国に留学し、東国の王城に暮らし、さらに自分の言葉を持つおまえほどの慧眼は持ち合わせていない。そうでしょう、ツェツィーリア」

 ツェツィーリアはわずかに眼差しを伏せ、唇をかすかに笑みの形に動かした。

「そこまでおっしゃられますと面映ゆくございますよ、姫さま」

「そのおまえが認めたわたくしには、少しは芽があると思っていい。そういうことかしら?」

 そうですね、とツェツィーリアは苦笑いをしながら頷いた。

「私自身のことはさておいて、いまの姫さまならば、と思ったことはたしかです。私の知恵を、力を、いいえ、すべてをもってあなたさまをお助けしたい。そう思っています」

 日ごろは冷たい薄水色の瞳が、熱っぽく輝いてシュテファーニアを捕らえる。背筋を震えが駆け抜けていった。

「ツェツィーリア」

「姫さまが歩むことになられるのは、とても苦しく報われない道であると思います。そして、一度歩み出せば、もうあとには戻れない。多くの血が流れるかも知れない。お父上も、お母上も、兄上姉上さまがたも、みなさまが姫さまを責められることになるでしょう。民も、あるいは賤民たちさえも、誰も姫さまのおっしゃることには耳を貸さないかもしれない。重たい罰を受け、お命さえも危うくなられるかもしれない」

「ええ」

「それでも姫さまはその道を望まれますか」

 ええ、と答えたシュテファーニアの喉が小さく鳴った。

「姫さまの信ずるところが正しいと、放つ言葉に義があると、そう云うのは姫さまと私だけ。もしもそうなったとしても、姫さまはその道を歩み続けるとおっしゃってくださいますか」

「もちろんよ」

 ツェツィーリアは腹の前で指を組んだ。まっすぐに伸ばされた背筋が彼女の覚悟を物語る。

「ならば私もこの命が尽きるときまで、姫さまとともに歩みたいと存じます。私の持てるすべての力を、知恵を、運を姫さまに捧げます。受け取っていただけますか」

 ありがとう、とシュテファーニアはきっぱりと云った。

「あなたのすべてを貰い受けるわ、ツェツィーリア」

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