第一章 第五話 読み終わらない本
「さあこれで、坊やもこちらの仲間入り!これまでとは違った世界が、坊やの視界に広がるわ。」
レディはそう言うけれど、僕としては何の変化も感じられない。
「違った、世界……ですか?」
「ええ、彼らが視える、違った世界よ。ところで坊や。本を一冊、持っているわね?」
僕はどきりとした。
本というのはきっと、シショーのもとから持ってきたあの読み終わらなかった文庫本のことだ。シショーとの唯一のつながりに思えて、肌身離さず持ち歩いている。あれから続きを読んではいるけれど、どれだけページをめくっても、読み終わることのない本。
「持って、います。」
「それは、こんな題ではなかったかしら『奇妙な語らい』。」
「え、ええ。」
「その本、全然読み終わらないでしょう。」
からからとレディは声をあげる。
「どうして……!?」
魔女というのは、なんでもわかってしまうものなのか?
僕はレディをとても恐ろしい者ののように感じた。
「ふふっ。ちょっとした推理よ。その本はね、独特な気配を持っているの。そして私は、その気配を知っていた。それだけよ。大事になさい。できれば、常に持ち歩くことをおすすめするわ。困りごとがあれば本を開くの。きっと解決の糸口が見つかるわ。」
僕はその本を取り出して、レディの前に差し出した。
「でもこの本、そんなにたいしたことは書かれていませんでしたよ。作者が体験した、ちょっと変わった出来事を日記のようにつらつらと書いているだけで……。」
「あら?でもこの本、間違いないわ。必要な時にだけ読めるよう、細工がしてあるのかもしれないわね。この界隈ではよくあることよ。」
レディはにこりと笑った。
「そしてこの本は、坊やにしか読めないの。これも、こちらの界隈ではよくあることよ。所有者や使用者を限定したり、必要な時以外は本来の用途を果たさないように細工をしたりするのは、呼吸をするように当たり前なこと。大切なものや、他の目には触れない方がよいものは、そうして守られているの。とくに魔法使いの所には、そういった類のものが多くてね。坊やは今まで、あの店のものの持ち出しを許されたことはあったかしら。」
「いいえ。この本だけです。どんなものであっても、シショーは店の外に何かを持ち出すことを禁じていましたから……。それなのに、あの日偶然持っていたこの本だけは、持って行けって。」
もしかしたら、プレゼントのようなつもりだったのかもしれない。
これをやるからもう来るなって……。
駄目だ。
思考が悪い方にばかり行く。
僕は浮かんでゆく考えを追い払うように、強く首を横に振る。
シショーは言ったんだ。
しばらくの間だって。ずっとじゃないって。
魔女のもとへ行けば、シショーにつながる何かがわかると思った。
さっきレディは言った。
シショーに会わせてくれるって。
僕には、信じることしかできない。
理屈では説明できない、不可思議なことが溢れたこの魔法使いや魔女の世界を信じて、しがみつくことしか。
「いーい、坊や。決してその本を手放してはいけないわ。使い方を誤れば、私たちと彼らとの均衡を崩しかねない、そんな力を秘めた禁書のような本なのだから。肌身離さず持ち歩きなさい。あの引きこもりは、坊やを想ってその本を託したの。決して別れのために渡したんじゃないわ。」
まるで僕の心を読んだかのような、レディの言葉。
僕は本をぎゅっと握りしめた。
「僕を、想って……。」
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