第一章 第四話 真っ赤な彼女
どうして。
ずっと、そのことばかりが頭の中を埋め尽くしていて、授業は何も入ってこなかった。シューヤと、人の機微に鈍感なコテツにも心配されてしまった。
僕は今、アパートの前に来ている。
二階建ての、かなり年季入っていそうな、木造アパート。
魔女の住処というから、一体どんなところだろうと戦々恐々としていたけれど、なんてことはない。ごく普通のアパートだった。
ぎぃ、と悲鳴を上げる外階段を登り切って、一番端の奥の部屋。
そこだけ扉が真っ赤に塗られていて、すごく帰りたい気分になった。
だけど、ここしかないんだ。
シショーにつながるのは。
魔法使いの店の扉を開ける時のように、深呼吸を一つして。
僕は招待状のとおりに、扉を三度叩いた。
「開いているわ。」
涼やかな女性の声が一つして、ドアノブがひとりでに動いて扉が開いた。
僕は、勇気を振り絞ってその扉の先に一歩、踏み込んだ。
瞬間、背筋がぞわっとした。
恐ろしいと、思ったのだ。
シショーのもとでは感じなかった強烈な違和感。
それが、僕をすっぽりと包み込んでいる。
「ほら、こちらよ。怖くないからいらっしゃいな。」
こわばる手足を必死に動かして、狭い廊下を進んでリビングと思わしき所にたどり着いた。
備え付けであろう台所が、妙に浮いた空間だった。
なぜなら、部屋の中央に置かれたローテーブルも、それをはさむように向かい合って配置されたソファも、深紅に彩られていたからだ。
そしてそのソファにゆったりと腰掛ける彼女も、真っ赤なドレスでその身を包んでいた。
「ほら、まずは座って。」
彼女と向かい合うようにソファに腰掛けると、すっと紅茶が差し出された。
視線をあげるとそこには、黒いスーツに身を包んだ長身の男の人がいた。
「あ、どうも……。」
男の人はにこりと笑うと、彼女の後ろに控えるように立った。
「さて、と。よく来てくれたわね、魔法使いの坊や。私は魔女。レディと呼んでちょうだいな。坊やにとって、ここの空間は居心地悪いかもしれないけれど、そのうち慣れてしまうから我慢してちょうだいね。」
「あの、僕は。シショーに会いたくて……。」
「あぁ、あの引きこもりね。今は無理よ。あいつ、店を隠すのでいっぱいいっぱいで、坊やを守る余裕がないのよ。さっさと私に預けなさいって言ったのに。」
レディさんは艶やかに笑って。
「さあ、何から語ればいいのかしら。」
「語る……ですか?」
「坊やは、なんにも知らないでしょう?この世にはね、摩訶不思議な出来事が起こり得るの。それは全て、人ならざる彼らの仕業。人と彼らの間に立ち、綱渡しをするのが私達のお役目ってわけ。」
「彼ら?」
「妖怪だとか、魔物だとか、いろんな呼ばれ方はされるけれどね。要は、普通の人には認知されない、少しばかり変わった奴らってところかな。私はもちろん、坊やも彼らの姿を捉えることができるわよ。」
「あの、何を言って……。僕、そんな特殊能力持っていませんよ。妖怪や魔物なんて、見たこともないですし。」
「目にすることができれば、坊やはそれを信じられる?」
レディさんが後ろを振り返れば、そこには黒いスーツの男の人が。
「貴女がそれを望むなら。」
彼はそう言って、目を閉じた。
途端、白い靄現れて彼を覆い隠した。
そこにいたのは、緑の瞳が美しい、一匹の三毛猫。
「えっ!」
「紹介が遅れたわ。魔女には猫が付き物でしょう?彼はケイというの。アルファベットの大文字でK。御覧の通り、人に化けることができるの。」
レディさんの言葉が終わると同時に、またもや彼は靄に包まれ、先程のスーツを身にまとった男の人に戻っていた。
何が起こっているんだ。僕の目の前で今起こったことは、とても理屈で説明がつくものじゃない。
シショーの瞬間移動のように、訳が分からない出来事。
「シ、シショーは、貴女の所へ行けと言いました。面白いものが見られると、そう言って。そうして僕を、問答無用で突き放した。」
「あら。ずいぶんと乱暴な追い出し方ね。」
「僕は、シショーに会いたい。会って、ワケを聞きたい。勝手に僕を弟子にしたのはシショーなのに、黙って僕を遠ざけた。どうしてなんでしょう。僕はシショーの弟子だけど、それらしいこと、教わってないし。毎日通って、本を読んでいただけなんです。あの誰も訪れない、小さな店の中で。シショーと二人、本を読んでいただけなんです。」
「あの引きこもりは、第二の引きこもりでも育てるつもりだったのかしら。ねえ、K。」
レディさんは呆れた様子で、Kという男の方を見た。
「私にはわかりかねます。焦っておられたご様子でしたが。」
「そう……。さて、魔法使いの坊や。残念だけど、坊やには選択肢がないの。私はこれから、魔法使いの大事なルールをいくつか教えるわ。そして、坊やには私のもとに来ている依頼を解決してもらう。私の依頼をこなしていけば、坊やのシショーに会えるようになるわ。」
「依頼をこなせば、シショーに……?」
「えぇ、私が必ず会わせてあげる。魔女に二言はないの。心の準備はいいかしら?」
「僕は、シショーに会いたい……。そして、知りたいんです。知ることが必要なんだと、レディさんの話を聞いて思いました。どうしてこんなわけのわからない話になっているのか、今も全然理解できていないんですけど。」
「あら、レディさんだなんて。敬称なんていらないわ。ただのレディとお呼びなさいな。それじゃあさっそく、坊やの『め』を覚ましてあげないと。」
―――――パアン!
レディさん。ううん、レディは、突然両の手を僕の目の前で打ち鳴らした。
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