第一章 第三話 僕のシショー

 自称魔法使いの僕のシショーは、重度の引きこもりだ。

そんなシショーのお店に入る時は、必ず一度深呼吸してから。そんな決まり事をつくっている。


 所狭しと並べられた本棚のせいか、圧迫感を感じる店内。それらの本棚にはどれもぎっしりと本が詰め込まれていて、所々に妙なオブジェも置かれている。少し奥へと進めば、ぽっかりと不自然に空いた空間が現れる。そこに敷かれた四畳半の畳の上が、シショーの活動スペース。

「シショー。」

いつものようにぼろ布をまとい、だらけた姿で読書にふけっているシショーに、僕は呼びかけた。だけどシショーは、ちっとも反応を返さない。しかたない。いつものことだ。僕は、シショーが広げていた分厚い本を取り上げ、その青い瞳を覗き込んだ。

「また、妙な置物増やしましたね?それに本棚も動かして。これじゃあお客さんが来た時に、本棚が邪魔になって店の中に入れないですよ。」

まるでバリケードのように扉付近に並べられていた本棚たちを思い出して、呆れた視線をシショーにおくる。

「通路は確保していただろう?」

シショーは読書の邪魔をされたせいか、不機嫌そうに返してくる。

「通路ってあのせっまい隙間のことですか?あんなの通路なんて言いませんからね。カバンだって通りませんでしたし……。この僕でぎりぎり通れる幅ですよ、あれは。」

隙間を通せなかったカバンは、扉の外に置いてきた。

「君しかあそこは通らないんだから、いいじゃないか。」

「まぁ、そうかもしれませんけど……。」

お客さん、と言ったものの、僕は一度もこの店を訪れたお客を見たことがない。ここに通うようになって数年が経つけど、たったの一度も見たことはないんだ。おかしいとは思う。だけど、そこには深く突っ込まないことにしている。

僕は、本さえ読めればそれでいいんだから。

シショーに本を返し、何となく選び取った一冊を持って、本棚が入り口付近に集められたおかげで、広くなった畳近くの空きスペースに腰を下ろす。僕はこうして、地べたに座り込んで読書をするのが一番好きだ。シショーと僕の、紙をめくる音だけが響き渡る。そうしてどれくらいの時が経ったのだろう。

「って。」

こつんと額に当たったのは、小さくちぎられた練り消しゴム。顔を上げれば、薄く笑みを浮かべたシショーと目が合った。

「子供は帰る時間だよ。」

シショーはいつも、こうやって時間を教えてくれる。それには感謝しているけれど、額を押さえながらむっとした視線をおくってしまう。

「痛いです、シショー。」

「何度も言っただろう。ここから動かずに時間を教えるのは、この方法が効率がいい。」

手に持った本を確認すると、まだ半分も進んでいない。文庫本だからすぐ読み終わると思って選んだのに、不思議なものだ。

「その本、持って帰っていいよ。」

「え?」

今まで一度だって持ち帰ることを許さなかったシショーが、なんだって?そして僕は、続く言葉に絶句した。

「だからしばらく、ここには来ないでくれないか。」

「ど、うして、ですか?」

出てきた声はかすれていて、僕はひどく混乱していた。

「君のせいではないんだ。ただ少し、こちらの事情がややこしくあってね。」

差し出されたのは、真っ赤な封筒。僕は、恐る恐るそれを受け取った。

「魔女からの招待状だよ。彼女のもとに本はないけれど、きっと面白いものが見れるはずさ。明日、さっそく顔を出してみるといい。君の学校からそう遠くはなかったはずだよ。」

「ま、じょ。」

なんだよそれ。そんなのいるって、初めて聞いた。

「魔法使いの僕がいるんだ。魔女がいたって、おかしくはないだろう?」

いつものように笑うシショーが、何だか遠くに感じる。

「悪いね、急なことで。」

「シショー、」

「ずっとじゃないんだ。」

「シショー、」

「さっきの本は持っているね。」

「し、しょぅ……。」

「ほんの、しばらくの間だよ。」

いつの間にかシショーは立ち上がって、僕の目の前に来ていた。シショーが立っているところなんて、随分と久しぶりに見る。だってシショーは、畳の上で本ばかり読んでいて。全然、動かなくて。

こつん、と。

今度は優しく、シショーの白く長い人差し指が、僕の額を小突いた。

「僕は、君がいないと困るんだから。」

くらりとめまいがした。ぐるぐるする頭の中が不快で、思わずぎゅっと目を閉じてしゃがみ込む。

最後の言葉の意味、どういう意味なんだろう。僕がいないと困るって……。


 気づくと僕は、路地裏に座り込んでいた。

ゆっくりと立ち上がって、あたりを見渡す。すぐそばには、店の外に置いてきたはずの学生カバンが転がっていて、赤く染まった夕焼けが路地裏の壁を照らしている。

 日が暮れるまで僕は、魔法使いの店を探した。質素な木のプレートがかかった、見慣れたあの店の扉を。どれだけ探しても見つからないその扉。こんな、理解できない、意味の分からない現象は、シショーと出会ったあの時以来だ。

「待って。」の一言さえも言えなかった。あまりに急な出来事で、シショーを呼ぶことしか出来なかった。

 僕は重い足を引きずって、家へと帰った。

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