第13話

 千葉葵子の事件は葵子の自殺により幕を閉じた。しかし、取り調べていた者を含め、関係者達にはまだやるべきことが残っている。

 息抜きを兼ねてデスクから離れた強面――向坂元太さきさかげんたは、部署の外にある自販機置き場へと向かった。眠気を覚ますためにカフェイン類を飲もうかと考えていると、自販機前にある硬いソファに先輩である中年女性――南悦子みなみえつこが座っている。疲れているのか、親指と人差し指の腹で眉間を軽く揉んでいた。お疲れッ、と声をかけると、一呼吸遅れて、お疲れ様、と返って来た。


「休憩か?」

「ええ。そういう向坂も?」

「ウッス。――……なんつーか今回の事件、やり切れねェよな」


 少し間を空けてから、そうね、と悦子も頷く。自販機の前に立ち、ズボンのポケットから小銭を取り出すなり投入口に入れる。珈琲にするか紅茶にするかで迷っていると、ホットコーヒーを頂戴、と悦子。言う通りに購入すると、入り口から出てきたばかりの缶を悦子に渡した。ありがと、と受け取ると同時に小銭を手渡され、それで飲みたかったものを買った。

 悦子の隣に腰掛け、向坂は深く息を吐く。警察側の管理・監視不足を認めざるを得ないが、点と点が線になりかけた寸前で容疑者が自殺した。死因は、舌を噛み切ったことによる窒息死。

 やり切れない気持ちで居るのは向坂だけではなかった。何としても真実を究明しようとしていたのは悦子も同じだ。


「なあ、南って結婚してたっけか」

「してませんよ」

「じゃあ今、付き合ってる奴とか居るのか?」

「……居ませんよ」


 ムスッと眉根を寄せ、突然何だ、と表情で問う。買ったばかりの缶のプルタブを開け、甘いカフェラテを口に含む。


「もし、お前が結婚したとしてさ。旦那が浮気をしたら……今回の容疑者みたいに相手を殺すか?」


 悦子もコーヒーを一口含むも、すぐに喉を鳴らして飲み込んだ。


「殺しはしないけれど、罪にならない程度で怒って殴るわね」


 らしい答えに思わずカフェラテを吹き出しそうになった。確かに、正義を全うせねばならない自分達が罪を犯しては元も子もない。缶を空いているスペースに置き、無意識に腕時計を撫でる。何気なくそれを横目で見ていた悦子が、ねえ、と話題を変えた。


「その時計、随分と年季が入ってるわね」

「ん? ああ、まあな」

「誰かから譲ってもらったの?」


 向坂は思わず、おおッ、と感心した声を漏らす。女性の勘は鋭いと聞いていたが本当らしい。軽く腕を上げて時計に視線を落とす。定期的にメンテナンスをして綺麗さを保っているものの、型の古い代物だと一目でわかる。


「伯父さんのなんだ。もう居ねェけど」


 悦子は開きかけた唇を結び、缶を持つ手に少し力をこめる。


「伯父さんも今の俺と同じように、この仕事をしていたんだが……ちょっとした誤解から、辞職したんだよ」

「誤解で辞職?」


 首をかしげる悦子に寂しそうな色で向坂は続ける。

 伯父は、今の向坂と同じように正義を信じ、熱く、大きな人だった。仕事一筋な所為で結婚もせず、実家で高齢となった母親と二人で暮らしていた。順調に進めば署のトップにも上がれる程の手腕と人望はあったが――陰で密かに行っていた〝自己満足〟により全てを失ったのだ。

 児童相談所が動かない、または動けない案件。家出や親の都合で居場所の無くなった子ども達。弱い立場にある小さな命を、誰にも告げずに保護していたのだ。保護をされた子どもにとって伯父はまるで神のような存在だったろう。だが、事情を知らない赤の他人――特に大人や伯父の上司、良く思っていない者にはどう見えるだろうか。

 その後、伯父は突然、高齢の母と共に失踪した。数年後、父から訃報聞き、ずっと謎だった失踪の原因も知ることが出来た。


「形見なんだ、これ。高校の入学祝に貰ってな。俺さ、伯父さんが今でも大好きなんだ。あの人の背中を追いかけて、この職に就いたしな」


 周りが伯父をどう言おうと、向坂にとって尊敬する唯一の人だった。大きな背中を追いかけて、何時か肩を並べる日が来るのを夢に見ていたが――叶わず、潰えてしまった。しかし、下を向いてばかりは居られない。伯父を蹴落とした者達を見返す……それが、今の向坂の夢であり目標だった。


「――……って、なんでお前にこんな話をしてるんだろうな、俺ッ」


 ハッと我に戻り、慌てて笑顔を作る。そんな向坂の頭を悦子は撫でた。ぱちぱちと瞬きするのを余所に、くしゃくしゃと撫で続ける。


「ちょっ、はっ、何⁉」

「いや。いやいやいや、ちょっと見直したわよ、向坂!」


 撫で続ける悦子は満面の笑みだ。


「ところで、向坂」

「な、何だよッ」


 悦子の手にグッと力が入る。


「私、貴方の先輩。いつまでもタメ口で話さないでね」

「……すみません、南先輩」


 素直に謝ると、よろしいと悦子は頭を撫でる手を止めた。しばらく事件を忘れて他愛のない話で軽く盛り上がる。悦子は冷めたコーヒーの残りを一気に飲み干すと、さて、と腰を上げて背伸びを一つ。


「まだ事件は終わっていないわ。私達が最後まで真相を突き詰めるのよ」


 空き缶を専用のゴミ箱に捨てるなり、悦子は胸ポケットに入れていた手帳を取り出す。中はびっしりと文字が書き込まれ、白い場所はほとんどない。赤いボールペンで丸印をつけた個所を悦子はぽつりと声に出して読み上げた。


「〝あなたには最高の罰を、彼には最愛の罪を差し上げましょう〟……か」


 葵子は何を思い、浮気相手である柊芳枝にこの言葉を伝えたのだろう。被害者である千葉夏彦には葵子なりの最愛の罪――死を与えた。では、芳枝に与えた罰とはいったい何か。睡眠不足続きの頭では上手く思考がまとまらない。


「後でもう一度、柊芳枝に会いに行きましょうや。まだ目を覚まして居ないかもしれねェっスけど……この事件、うやむやのまま終わらせるのは、あの女に笑われてるようで、癪なんで」


 少し間を空けてから、そうね、と悦子も相槌を打つ。全てを語らず隠した真実を暴くことこそが、常に余裕の笑みを浮かべていた葵子に対しての罰だ。

ぱたんと手帳を閉じ、悦子は振り返る。向坂も休憩を終え立ち上がった。


「行きましょう、先輩。この事件、なにが何でも徹底的に調べあげてやるッ」


 再び熱を取り戻した向坂に、悦子は目を細めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る