第9話
柊芳枝と書かれたプレートを見て、強面は携帯電話をズボンのポケットに仕舞うと、静かに深呼吸をするなり病室の扉をノックし、ゆっくりと開けた。ベッドの上で眠っている芳枝の隣には、パイプイスに腰掛けた、マダムのような煌びやかな格好をした小太りの初老女性の姿があった。どうも、と強面が頭を下げると、マダムも同じように会釈する。内ポケットから警察手帳を取り出し、こういうものですが、と職業を明かすと、マダムは驚いた色を浮かべた。
「け、警察が何の用だい?」
警戒しながら尋ねてくるマダムに、まずは本題から外れたことを話す。
「いえね、事故かどうかをちょっと調べたくて……。柊さんの具合はいかかです?」
「見てわからないかい?」
そう言って、マダムは呼吸器をつけ眠っている芳枝を一瞥する。強面は苦笑しながら、すんません、と謝った。
「ところで、あなたは? 柊さんのお母さんですか?」
「違うわよ」
マダムは首を振ると、床に置いていた銀ピカのバッグを手に取り、中から金色の名刺入れから黒い名刺を差し出した。名刺には「スナック ゆかり」と白文字で書かれていた。
「この子、ウチの店で働いてる従業員なのよ」
なるほど、と強面は頷いた。しかし、ふと疑問に思う。名刺には、十七時~深夜四時までと記されている。右腕に巻いている年季の入った腕時計に目を落とすと、現在の時刻は十七時を少し回っていた。
「お店、良いンですか?」
問うとマダムは、今日は臨時休業だよ、とぶっきら棒に答えた。
「それで、刑事さん。本当は何の用だい? 事故云々よりも、もっと別のことを調べに来たんだろう」
今度は強面が驚いた。仕事柄か、それとも人生経験からか、マダムの目は何もかもお見通しらしい。もともと嘘が苦手な方だったから、芳枝の傍まで行くと、折りたたまれ壁にかけられていたパイプイスに手を伸ばしマダムの隣で広げ腰掛け、いやね、と切り出した。
「最近起こった殺人事件はご存知っスか?」
「あれかい。美人妻が夫を殺したっていう」
「そう、あれです」
強面は頷き続ける。
「どうやら、柊芳枝さんは殺害された千葉夏彦と不倫関係にあったっていう情報を小耳に挟みましてね。それでちょっと、お伺いしたんですが……」
「確かに、この子たちはずいぶんと仲が良かったよ」
「えっ。あ、ご、ご存知なんスかッ?」
マダムの言葉に強面は目をパチクリとさせた。もちろんさ、とマダムは繋げる。
「夏彦ちゃんは、よくウチの店の来る常連さ」
「あのっ、もっと詳しく教えていただけませんかッ!?」
声を荒げる強面に、マダムは口角を上げてどうしようかねぇと呟く。そこをなんとかッ、と頭を下げると、じゃあ、と返答がきた。
「今度、ウチの店でドンペリを頼むって約束をおしいよ」
「ドン、ペリ……!? あの、高いだけでおいしくもないあれをっスか……!?」
「ちなみに、ウチの店はピンドンしか置いてないよ。値段は他の店よりも安い、一本十万円さ」
「高ッ! 前キャバレーで飲んだときよりも高ッ!」
「約束できないのなら、黙秘するよ」
腕を組み微笑むマダムに頭を抱えたが、ほどなくして意を決したのか、わかったと頷いた。
「給料日後に、必ず行きます……!」
「じゃあ、名前と携帯番号を教えな」
マダムは名刺ケースからもう一枚、今度は白い名刺を取り出すと、裏に書くよう促す。胸ポケットに刺しているノック式ボールペンを手に取ると、言われるままに記入して返した。
「それじゃあ、何から話せば良いかねぇ」
ご機嫌になったマダムの口調は軽やかだ。強面は先程の、芳枝と夏彦についての話を頼んだ。
「夏彦ちゃんがウチの店に来たのは……半年程前かしらね」
千葉夏彦は同僚とともに、深夜零時を回った頃に店へとやってきたのだという。同僚の方はベロベロに酔っていたが、夏彦は酒に強いのか平然としていた。カウンターに座り、二人は焼酎の水割りを頼む。何気なく夏彦が話しかけた相手――それが、今ベッドで眠っている芳枝だった。二人はどうやら一目惚れというやつらしく、同僚が先に帰ったのにもかかわらず、夏彦は入り浸った。芳枝が仕事を終えて上がると、二人は一緒に店を出たという。後日、芳枝から話を聞くと、その日のうちに体の関係を持ったとのことだった。しかも相手には妻が居ると。やめときなさい、と伝えたが、頑なに、大丈夫よ愛し合っているのだから、と聞かなかった。それから週に一度、多いときには三度、夜の六時になると夏彦は店に来た。酒を飲むでもなく一時間ほど芳枝と話をしてから帰る。変わった男だと店の中でも有名になった。
「土曜日になると、必ずホテルで会っていたらしいよ。そんで、何回かヤッてご飯食べて解散したって」
マダムの話から重要だと思った部分を抜き取り手帳にメモしながら、なるほど、と漏らす。
「他に聞きたいことはあるかい?」
「えっ、あ、えーと……」
「ないのなら、もうは帰るけど」
「ああっ、待って! ええと、その、あのぅ……――あっ! 柊芳枝さんについて、教えてもらえませんかね?」
「ボトルを五本おろしてくれるなら」
「おろし、ましょうッ……! 名前はゴリマッチョでお願いしますッ……!」
「面白いねえ、アンタ。気に入ったよ」
マダムは陽気に笑って続けた。店は随時スタッフ募集という張り紙を出していた。履歴書不要、服装自由と記していたが、半年前、芳枝はリクルートスーツを着て面接を受けにやってきた。その時点で明日から働いてとマダムは言おうとしたが、こんな真面目そうな子がどうして水商売の面接を受けにやってきたのか、不思議に思い尋ねたのだという。何か家庭に問題でもあるか、と。すると芳枝は突然、涙して答えた。
『小さいときから虐待を受けていて……ちょっと色々あって……でもようやく、一人で暮らすことができたんです。生活していくうえで、どうしても、お金が必要なんです』
真剣みを帯びた瞳に、マダムは本当のことなのだろうなと思ったと言う。
「ウチが言うのもあれだけど……あの子は、本当の愛ってやつが欲しかったんだろうねぇ。だから夏彦ちゃんと熱い、禁じられた恋に堕ちちまったのさ」
強面は眠っている芳枝に目を向けた。
「もういいかい?」
「ああ、はい。ご協力、ありがとうございましたッ」
「いやいや。あんたの方こそ、これからよろしく」
ニコリと笑うと、マダムは席を立ち、また来るからね、と残すと病室から出て行った。一人残された強面は、はあっ、と息を吐く。しかし、マダムのおかげで点と点がつながり始めた。十分な成果を得たじゃないか、と呟くと、二人分のイスを畳んで壁に掛けた。芳枝に軽く会釈し、病室を出る。
その時、向坂! と名前を呼ばれた。振り向くと、病室に入る前に連絡をくれた中年女性が早足でやってきた。
「よお。あいつ、吐いたか?」
「吐いてくれたら、電話をくれた時に一緒にここに来てますって」
「だよなー」
中年女性の肩を叩き、強面は笑う。
「喜べよ。良いネタを仕入れたぞ」
中年女性は珍しく関心したように、口角をちょっと上げた。
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