第7話

 連日の取調べに千葉葵子は疲労の色を濃く出しため息を吐いた。留置所に入って四日目、長時間の拘束は葵子の体に負担を掛けていた。取調室に入ると、強面と中年女性、そしてデカヒョロがすでに待っていた。おはようございます、と笑顔で挨拶すると、返してくれたのは中年女性だけで冷たい声音だった。

 パイプイスに座り、変わらない顔ぶれと対面する。今日はどんなお話から始まるのかしら、と思った。中年女性は手帳をパラリとめくる。


「今日は、ちょっと違うことを話しましょうか――……柊芳枝という女性をもちろん知っているわよね?」

「ええ、お名前だけ」

「名前だけ? 本当かしら」

「本当ですわ。それ以上、何も知りませんもの」

「あなたの夫、千葉夏彦の浮気相手よ?」

「まあっ、そうだったのですか? 初耳ですわ!」

「嘘ばっかりね、あなた」


 強面が体を乗り出し葵子にぐいっと顔を近づける。今日は机をたたかないのね、と口の中で呟く。


「調べはあがってるんだよォ。知ってたんだろ、柊っつー女と、お前の旦那がそういう関係だってことをよォッ」

「ですから、お名前だけ、と申しております。会ったこともなければ、お話したこともありませんわ」

「あら、それっておかしくないかしら?」


 強面との会話に中年女性は割り込む。手帳に目を落とし何かを確認すると、不敵な笑みを浮かべる。


「五日前の十七時前、あなたはどこに居たの?」


 瞬間、葵子から笑顔が消え、じっと中年女性を見据えた。


「目撃証言が多数上がっているわ。その日、あなたは柊芳枝のアパートの前に居たわね。名前しか知らないのなら、住んでいる場所をどうやって割り出したの? 教えてくれない?」


 しばらくの間、沈黙が続く。しかし、それを破ったのは葵子の小さな笑いだった。


「すごいわ、まるでテレビドラマみたいね」


 パチパチと拍手を交えて言う。強面の顔がみるみると赤くなり、机を叩こうと腕を上げたが、グッと堪えた。それに気づいた葵子は、いい子いい子、と強面を褒める。プチンという音がしたと同時にドンッと強面は机を叩いた。


「ふッさげてるのかテメェッ!」

「向坂っ! ちょ、やめて!」


 葵子の胸倉をつかみ、殴りかかろうとした強面を中年女性は慌てて止める。デカも急いで手伝い、初日同様、強面はずるずると外に出されてしまった。ヒョロは小刻みに震えている。強面を除いた全員がもとの配置につくと、再び取調べが始まった。外では、なにやら強面の叫ぶ声がしている。


「話を戻すわ。ねえ、そろそろ本当のことを話してくれない? あなたの話した真実は、今のところ千葉夏彦を殺したことくらい。それ以外はまったく信用できないのよ」

「あら、酷いですわ。私、確かに冗談を含んでお話をしていますけれども、すべて真実ですのに……」

「その冗談を省いて、話してくれないかしら、そうでないと、あなたの罪が重くなるだけよ」


 中年女性の言葉に考える素振りを見せた。人差し指で頬をとんとんと叩き目を瞑る。小さく息を吐くと、そうですね、と葵子は口を開いた。


「五日前、柊さんと会ってお話したのは、間違いありませんわ」


 中年女性は震えているヒョロに目で合図をすると、くまの書かれたボールペンを胸ポケットから取り出し手帳の新しいページに文字をつづった。


「その時、あなたと彼女は何を話したの?」


 ちょっと考えてから、葵子は答える。


「〝あなたには最高の罰を、彼には最愛の罪を差し上げましょう〟」

「……え?」


 中年女性は手を止め、顔を上げた。葵子は満面の笑みを浮かべる。


「そしたら柊さん、まるで幽霊でも見ているかのような表情を浮かべていましたわ」


 うふふっと楽しそうに結ぶ。中年女性が息を呑んだ時、105とシールの張られた携帯電話が震えた。ごめんなさい、と残し、中年女性は一旦取調室から出る。葵子は行ってらっしゃい、と明るい色で手を振った。


 中年女性は扉に背を預けると、携帯電話を耳にあてるなり名乗って通話に出る。電話の相手は強面だった。何やら慌てた様子で大事な部分だけを掻い摘んで大きな声で伝える。


『今さっき報告があってな、柊芳枝が交通事故に遭って意識不明らしいッ』

「ええっ!? それ本当なんですかっ」

『本当みたいだ。俺は病院に行ってみようと思うが、お前はどうする?』

「後程、伺います。まだ、終わっていないので」

『そうか……じゃ、来るとき電話してくれや。じゃあな』


 プツリと通話が切れ、中年女性は力なく腕を下ろした。柊芳枝、明日、事情聴取をしに行こうと考えていたのだが、まさかこんな事態になるとは思いもよらなかった。


『あなたには最高の罰を、彼には最愛の罪を差し上げましょう』


 葵子の言葉が脳裏で再生される。中年女性は左手親指の爪を噛んだ。

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