第5話

 周々木早苗はうんざりとしながらスーパーから出た。食材等の入った子猫柄のエコバッグを自転車の前かごにのせる。引ったくり防止用ネットの口を閉めると、サドルにまたがった。

 いざペダルを漕ごうとした時、周々木さん、と背後から声をかけられた。あわててブレーキを掛けて振り返ると、声を掛けて来たのは町内会会長の奥様だった。相変わらず体中に宝石類をつけており、更にラメ入りの服を着ている為、きらびやかなその姿に目を細めたくなる。

 奥様のすぐ傍で、これまた金ぴかな衣装を着せられたトイプードルのラッキーが尻尾を激しく左右に振ってつぶらな瞳で早苗を見上げていた。


「こんにちはぁ。お買い物?」

「いえ、今から帰ろうとしていたところで……」

「あらっ、んま! ごめんなさいねぇ、引き止めちゃってぇ」

「いえいえ、気にしてないです」


 内心舌打ちをしつつ自転車から降りその場に止める。ラッキーの前にしゃがみ頭を撫でてやると、突然コロッと機嫌を変えウーッと呻られた。急いで手を引き立ち上がる。奥様はごめんなさいねぇと謝る気もない癖に言った。


「ねえねえ周々木さん。あなたのところにも、やっぱり刑事さんはいらっしゃった?」

「ええ、まあ」


 曖昧に頷くと、そうよねぇ、と奥様は身振り手振りを加えて続ける。


「なんたって、お隣さんですものねえ」


 そう言うとキョロキョロと辺りを確認し、奥様はずいっと早苗に近づく。


「で、なんて訊かれたの?」

「はい?」

「刑事さんになんて訊かれたのかって聞いてるのよ!」


 また世間話の話題作りか、と口の中で呟く。適当に答えていると、あなたの家も似たようなことを訊かれたのね、と奥様。


「喧嘩をするような声はなかったか。争う音は無かったか。千葉さんはどんな人だったのか。思いつめた様子はなかったか……あーあ、嫌になっちゃうわよねえ、本当。あたくし、そこまで千葉さんと仲良くありませんって答えてやったわ!」


 聞いてもいないのに奥様は一人で話し始める。誰かに言いたくて仕方がなかったのだろう、溜め込んでいたものを一気に吐き出すようにして繋げる。


「というか、警察って勝手よねぇ。事件が起これば動くけど、事件がないとまったく動いてくれないんですもの! こんなことが起こるなのなら、パトロールとか、もっとしっかりとやってほしいものだわ。誰のお金でお給料を貰っているっていうのかしらっ」


 奥様の愚痴の矛先は、いつの間にか警察に向いていた。そうですねぇ、と適当に相槌あいづちを打ち、早く話が終わるのを一分置きに願った。

 早苗は町内では一番若く、更に誰に対しても愛想が良かった。だから、良く奥様たちと偶然に会うと強引に井戸端会議に参加させられ夕方遅くまで話しに付き合わせることがしばしばあった。大輔からは、八方美人も程ほどにしておけと言われたが、やはりそうはいかない。悪い噂はすぐに広がるのが、奥様たちの常識なのだ。その為、外の顔は大切にしなくちゃ、といつも心がけていた。


「ところで、」


 再び声を潜めた奥様に、早苗は耳を近づける。


「あなた、千葉さんと良くお茶会をしているって前に言ってたわよねぇ」


 そういえばそんな話をした気がする。葵子はあまり奥様たちの井戸端会議に参加をしないから、早苗は良く奥様たちに、隣の人と仲が良いのねぇ、と切り出され、いつの間にかお付き合いの程を聞き出されるのだった。その時の奥様たちの連携プレーは舌を巻く程に素晴らしい。


「お茶会の時、千葉さん、何か言ったりしていなかったの?」


 奥様の問いに首をかしげて考える。葵子とお茶をしている時、いつも何を話していただろうか。初めてのお茶会の時は、互いに家のことを話した気がする。一年前に引っ越してきたばかりで知り合いに不動産屋さんが居たからちょっとだけ安くしてもらったんですよー、とか、賃貸なんであんまり文句は言えませんけど隙間風が酷くて困っているんですよー、等々。

 特にこれといった会話はあまりしていないですけど、と返すと、奥様はちょっと残念そうにため息を吐いた。二人の間に居たラッキーも大きな口をあけてあくびをこぼす。


「そうじゃなくて……ほら、旦那さんのこととか話していなかった?」

「旦那さんって……うちのですか?」

「ああんっ、違うわよ! 千葉さんのところ! 旦那さんのことで何か悩んでる様子とかなかったの⁉」

「ああ、そっちですか」


 そうですねぇ、と腕を組み脳内で記憶をまさぐる。そういえば、葵子とはあまり家族についての話をしなかったように思う。記憶の壷から出てくる映像は、大抵その日に起こった出来事を話し、他愛のない話題で笑い合い、二人でお茶を啜ってのんびりと過ごしているのがほとんどだった。

 早苗の様子に話の種を聞き出せないと悟ったらしく、次は大げさにため息を吐いて奥様は肩をすくめた。ラッキーはもう一度、つまらなさそうにあくびをする。


「あー……引き止めてごめんなさいねぇ。周々木さんの方が今は大変な時なのに……」


 奥様の言葉に、現実へと戻されたような気がした。このまま家に帰れば、スーパーへ来る時と同様に報道陣に囲まれ葵子について訊かれるだろう。テレビカメラやマイクを向けられた時、自分はちょっとした有名人にでもなった気分を味わったが、報道陣たちの間を抜けるのには一苦労した。もみくちゃになりながらも抜けたのは良いが、お陰でセットした髪がくしゃくしゃになってしまった。内心では愚痴をこぼしたが、自転車に乗ってしまえば同じようなものだった。


「もしなにかあればすぐ、うちへ来なさいね。愚痴でも何でも聞くから」


 その後はどうせ言いふらすんでしょ、と早苗は口の中で呟いた後、それじゃあ、と笑顔で告げ奥様と別れた。自転車に跨りペダルを漕いだ瞬間、背後からラッキーに一声吠えられた。


 体で風を切りながら、ふと奥様との会話を思い出す。


『あなた、千葉さんと良くお茶会をしているって前に言ってたわよねぇ』


 葵子と週に一度と言って良い程、頻繁ひんぱんにお茶会をしていたのは確かだ。何が縁で仲良くなったのかは忘れてしまったが、葵子は姉のような存在だった。実際、早苗は一人っ子で姉とはどんな存在かを知らないが、母と呼ぶには少し違う。やはり、姉という言葉がしっくりときた。


「葵子さんと話したこと、か」


 横断歩道の信号が赤に変わり自転車を止める。流れるとように走っていく車をぼんやりと眺めながら、もう一度、お茶会で話した何気ない会話の数々を思い出していく。

 カレーにハチミツとソースを入れればコクが出るの。洗濯物をする時は、シャツや下着はネットに入れてまわした方が良いわよ。私お菓子作りが好きなの、興味があるのなら今度、一緒に作りましょう。紅茶はね、茶葉を入れた後、少し蒸らしてからの方がおいしいのよ。ねえ早苗さん、もし旦那様が浮気をしたらあなたはどうする?

 信号が青に変わり、それを知らせるメロディーが流れる。待っていた人たちは交差点を渡りだす。早苗はその場にたたずみ、更に深く記憶の壷の中を探った。

 あれは――そう、最後にお茶会を開いた時の会話だ。


 二週間前、いつものように葵子の家にお邪魔し、リビングでお茶会を楽しんでいた。今日は友人が贈ってくれたというローズヒップティーと、お菓子はまるでお店で出てくるような本格的なアップルパイ。もちろん、葵子の手作りだ。

 早苗はローズヒップティーを飲むのは初めてだった。砂糖を入れずにそのまま飲んでみると、ふわりと鼻腔をくすぐる香りとは正反対に、口内に酸っぱさが広がり思わず顔を顰める。あらあらと笑いながら、葵子は角砂糖を二つ入れてくれた。これで飲んでみてと言われ、もう一度チャレンジしてみると、ほんのりと甘く舌の上に広がる心地良いローズの香りに早苗は口元を緩めた。

 しばらく、二人で今日の出来事を話し合う。交わす言葉がなくなり、お茶を啜りお菓子を食べている時、葵子はおもむろに口を開いた。


「ねえ早苗さん、もしも旦那様が浮気をしたら、あなたはどうします?」


 そうですねぇ、とお菓子を頬張りながら早苗は答える。


「もし旦那が浮気をしていたら……あたしなら、殺しちゃうかもしれません」

「あら、どうして?」

「あたしっていう者がいながらーっ! て。勢いとか、その時の気持ちもあるとは思うんですけれど……たぶん弾みで、包丁グサーッてやっちゃうかも」

「理由も何も聞かずに殺してしまうの?」


 葵子の問いに、二、三度目を瞬く。お茶で口の中のものを流し込むと、ちょっと考えてから口を開いた。


「うーん……まあ、そういう選択肢もあるってことですよ。きっと」


 と、笑って誤魔化した。葵子は、そう、と頷くとそれ以上何も聞いてこなかった。なんとなくその後は居心地が悪くなり、早々に退散した。


 まさか葵子さんはあの言葉を鵜呑うのみに――? 

 いやいや、と慌てて首を振る。葵子に限ってそんなこと、あるわけがない。葵子に限って――……果たして本当にそうだろうか。

 葵子はしっかりと物事の善悪を考える、まっすぐで純粋な人だ。花に詳しくはないが、例えるならきっと純白な白い百合に違いない。人を惹きつける甘い香り、しかし、どこか上品で近寄りがたい、乱暴に触れれば儚く散ってしまいそうなイメージだった。


「あたしの所為……?」


 ぽつりと呟いた時、信号は再び赤に変わった。

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