第4話
テレビで見るよりも実物は小さいんだなあ、と千葉葵子は思った。交番で自首した後、現場検証の為、警察官に付き添われて一度自宅に戻った。そして部屋の中で動かなくなっている夫の千葉夏彦を見るなり、警察官はすぐに本庁に連絡を入れ、数分後にパトカーがやって来た。
パトカーに乗せられ警察署につれて来られるとすぐに取調室に入れられ、事情聴取が始まった。前の席にまだ若そうな強面の男性と、その隣に眼鏡をかけた黒色の手帳を持った中年女性が座っている。ドアの前には体のゴツイ男性と、その隣には椅子に座り会話を記録している初老のヒョロイ男性。主に質問をしてくるのは強面の方で、何度か同じ質問をされたが、その度に葵子は笑顔で答えた。
「それで、お前は何で千葉夏彦を殺したッ?」
「私だけのものにしたかったんです。私だけを見ていてほしかったんです」
「だったら殺す必要もないだろうッ」
「引き止めなければ、あの人は私が出かけている間に別の女の人のところへ行きましたわ。行かないでと言っても、あの人は聞いてはくれませんもの」
「むぅ……けどなッ、」
「
「しかしッ」
「同じことを調書に書くつもり?」
中年女性の言葉に、強面は舌打ちすると机の上にある数枚の紙にちらっと目を通した。襟の黄ばんだ白シャツの胸ポケットからくまの絵が書かれたボールペンを取り出し、一文一文に乱雑にだが印をつけていく。
「あー、それじゃあな……」
「千葉葵子さん、質問をしてもよろしいかしら?」
強面の言葉を遮る様に中年女性が口を開く。どうぞと頷いた。
「あなたは美学か何かを追及しているのですか?」
「あら、どういう意味ですか?」
首をかしげると、中年女性は感情を押し殺した口調で続ける。隣では、強面があうあうと口出しして良いのかと悩んでいた。
「夫である千葉夏彦さん殺害後、あなたのした事は、まるで昭和に起きた
葵子はじっと中年女性に目を向けていたが、ふいと視線をそらした。姿勢を少し崩して息を吐く。強面がちょいちょいと中年女性の腕を突き、阿部定って何? と尋ねる。中年女性は無視して無言で手帳をペラッと捲った。
「あなたの鞄の中に入っていたものを鑑識が調べた結果、千葉夏彦の局部が包丁と同じようにタオルに包まれて入っていた……どうしてこんなことをしたの?」
「局部って、チンポ切ったのか!?」
「向坂、ちょっと黙っていてください」
強面が口を閉じた直後、葵子は優雅な口調で話す。
「先程から何度も答えているように、彼を私だけのものにしたかったんです。ですから、彼の大事なものは私にとっても大事なもの」
「だから切り取って持ち歩いた、と?」
「ええ、その通りです」
屈託のない笑みを浮かべる葵子に、こいつ頭がおかしいんじゃないか、と強面は密かに思った。
「……話を変えましょうか」
中年女性の顔からは血の気が引いていた。ページの捲る音が取調室に響き、コホンと咳払いをすると再び話を始める。
「千葉夏彦が浮気をしていると、どうしてわかったのですか?」
葵子は人差し指で頬をとんとんと叩きながら、ええと、と紡ぐ。
「たまたま携帯電話を見たから……では、ダメかしら?」
「どういう意味?」
「ですから……うーん。なんて答えれば良いのかしら」
本気で悩んでいる様子に中年女性は顔を顰める。
「おい、はっきりと答えやがれッ」
自分の出番が来たといわんばかりに、強面が声を上げて詰め寄るも、特に効果はなかった。
「本当に偶然なのですわ。あの人が浮気をしているって悟ったのは。だから、あの人がお風呂に入っているときに携帯電話をこっそり見て、ああやっぱりなあって」
淡々とした口調で答える為、強面は動きを止め、この後どうすれば良いのかと中年女性に視線を向けた。すると、口を挟まないでください、と頭を抱えながら言われてしまい、強面は肩を縮めてそれから口を閉ざした。
「あなたの夫である千葉夏彦さんの死因は、胸部を鋭利な刃物で一突きされたことによるショック死でした。これは、あなたが持っていた包丁で刺したことに間違いはありませんか?」
「ええ、間違いありません」
「では、彼の太ももと尻の肉を包丁でそぎ落としたのも、間違いありませんか?」
中年女性の言葉に、強面はぎょっと顔色を変えた。ドアの傍にいたデカヒョロもピクリと動きを止めて耳を傾ける。葵子は自然な態度で答えた。
「間違いありませんわ」
「いったい何のために、死んだ方の肉をそぎ落としたのです?」
負けじと中年女性は強気に詰め寄る。強面も唾を飲み、興味津々といった風だった。
「その時の心情をお話すると……どうしてかは良くわからないのですが、私以外の人にもあの人を愛してもらおうって思ったの」
「え?」
首をかしげる中年女性を他所に、葵子はお構いなしに繋ぐ。
「ですから、最後に私以外の人にも愛してもらえたら、あの人も幸せだろうなって考えたんです」
「つまり、その……どういう?」
くすっと笑って、葵子は答えた。
「そのままの意味ですわ」
ひゅっ、と誰かの息を呑む音が聞こえた。中年女性はあわてて手帳に視線を落とし、文字を目で追う。そしてある一行を見つめるなり動きを止め、まさか、と呟いた。
「――なんちゃって」
茶目っ気たっぷりに葵子は結んだ。取調室は一瞬、重く静かな空気が流れたが、強面がドンッと机を叩き、掴み掛かるかのような勢いで立ち上がった。
「貴様ッ! 舐めた態度を取るのもいい加減にしやがれッ!!」
「向坂、落ち着いて!」
「うるせぇ! お前、実はシャブでもやってんじゃあねェのか! ああッ!?」
「向坂っ!」
中年女性がドアの前に立っていたデカに目配せすると、急いで強面の背後に回り両脇の下に腕を入れて押さえた。中年女性は大きくため息つくと、外に連れてって、と手で合図をした。デカにずるずると引きずられ部屋を出る間も、強面は職業にそぐわない汚い言葉を吐きかけた。しばらくしてデカが戻り、再びドアの前に立った。
「ごめんなさいね。彼、まだ若いものだから」
「いえ、お気になさらず。刑事さんって、あのような方ばかりですの?」
「彼は特別です。それよりも、話を続けていいかしら」
「ええ、構いませんわ。どうぞ」
視線を手帳に落とし、中年女性は問いかける。
「先程の続きだけれど。あなた昨日、何を食べました?」
「昨日ですか? ええと……白いご飯とあさりのお味噌汁、トマトサラダにコロッケと……ああ、後は肉じゃがを少し」
「そうじゃなくて、」
一度、言葉を切ると中年女性は深呼吸を一つし、気持ちを落ち着かせた。
「誰を食べたの?」
唐突に空気が張り詰める。葵子と中年女性はじっと対峙する。デカヒョロはまるで一心同体とでも言わんばかりに、目だけを動かし女性二人を交互に見た。しばらくして、口を開いたのは葵子だった。人差し指にちょいと髪を絡め、愛らしく首をかしげて微笑む。
「黙秘します」
中年女性は机を叩いた。
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