After Story 仲直りの仕方

 兄さんと喧嘩した。原因はどちらが汚れたシーツを洗うか……そんな些細なことだった。


 金曜日の夜、私と兄さんは兄妹という皮を脱ぎ捨てて、ただの男と女になる。

 薄暗い部屋で愛し合う男女が同じベッドを共にすれば、当然ながらそう言った行為は起きるもので……そういう事をすれば少なからずシーツは汚れてしまう。


 自分の責任でそれを洗うべきだ。そう考えて洗おうとしたら、兄さんが頑なにそれを拒否する。


 気付いたら言い合いになっていて、食事でも必要最低限以外の会話もなくなってしまった。


 とても寂しい、心が痛い。誰よりも近い場所にいるのに、誰よりも遠く感じる。


 日曜日が越えて月曜日となり、学校に行くのが酷く億劫な気分。


「なぁ、黒谷。水泳部、今日頼めないか? マネージャーが一人休んでてさぁ……記録係が足りないんだよ」


 女子水泳部の人が声をかけてきた。いつも通り、助っ人の依頼だ。


 気分だけで言えばやりたくない、だけど無理矢理にでも気分転換するべきじゃないか、そう思った私はその申し出を受けようとした。


「はい、わかりました……」


「うーん、やっぱやめとくわ」


「えっ、何でですか!?」


「いや、だってさ……辛そうな顔してるじゃん。金曜日はあんなに嬉しそうに下校してたのに、休みの間なにかあった?」


「ちょ、ちょっと色々あって。それよりも、私なら大丈夫ですから……記録係、やります!」


 食い下がったけど、水泳部の人は首を振る。そんなに酷い顔してるのか、後で鏡で確認しないと。


「先輩達が引退してさ、来年の春まで人手が不足してる。だけどそれとこれとは話が違う。同級生として、黒谷が心配なの。話すだけでも軽くなると思うからさ、言ってみ?」


 何故かその言葉が心に染みた。誰かに話すなんて全く考えてなかった。

 兄との話は伏せて、彼氏がいるという過程で話を聞いてもらった。


「ふーん、彼氏いたんだ。てっきり、温室育ちなお嬢様みたいな印象だったからさ。そっち関係の悩みかとばかり思ってたよ。ただ、彼氏の気持ちを代弁してやっても良いけど……それは違う気がする。あたしから言えるのは、話し合いなさい……これだけだね」


「話し、合う?」


「そそ。ツンケンするより、どう思ってるかを話し合う。それが結局、一番だと思うよ。まだ冷静に話し合いもしてないんでしよ?」



「そう、ですね。彼なら何でも理解してくれている、いつの間にかそう思い込んでいたのかもです。兄さん……驚いてたなぁ……」


「えっ、お兄さんがどうかしたの?」


「い、いえいえっ!! 何でもありません! とにかく、相談ありがとうございました! では私はもう行きますね!」


 危なかった。ついうっかり兄さんと呼んでしまった。普段なら絶対しないようなミスをしてしまう。

 それほど追い詰められていたということですね。何であれ、まずは兄さんと話さないと。


 放課後、兄さんと話し合うために教室に行ったけど、兄さんはいなかった。


 兄さんの机を指で撫でながらふと外を見ると、兄さんと恵先輩が二人して歩いてるのが見えてしまった。


 何か理由つけて妨害しないと、そう思って兄さんにRineを送ろうとしたら……恵先輩からRineメッセージが届いていた。


 "今日は黒斗と遊ぶから遅くなるわよ"


 心臓の鼓動が高鳴っていく。気付いたらもう走っていた。ただ本当に遊ぶだけかもしれない。だけどなんだかとても怖い……。


 兄さんと恵先輩が二人っきり……それを想像するだけで胸がとても痛くなる。


 兄さん達に追い付くのは思いの外、簡単だった。向こうは歩きで私は走りだから当たり前の事だ。


 電車の中、私は二人を観察している。時間的に退社の時間帯なので人がギュウギュウ詰め……視界が悪くて上手く見えないけど、なんだか二人の距離が近付き過ぎてるような気がする。


 暫く観察していると、兄さんが恵先輩を守るような体勢を取った。


 ムッとくる。そう言うのは私だけにして欲しいのに……。


 電車を降りた二人はマンションに入っていった。自動ドアが閉まる、そうなれば二人を追うことはできない。


「ちょっと悪い事しちゃうけど、ごめんなさい!」


 全力で駆け抜けた。閉まる自動ドアの隙間に、まるで猫の様に滑り込んで素早く身を隠した。


 音に兄さんが反応したけれど、恵先輩が先を促してくれたお陰でなんとか事なきを得た。


 兄さん達が降りた階を確認して私も後から追いかける。表札には『城ヶ崎』と書いてある……ここが恵先輩の家。


「はぁ、私なにやってんだろ……」


 途方に暮れてしまった。先を急ぐあまり、この先の展開について何も考えてなかった。


 恵先輩の家の前に座り込んでしまう。


「あら、あなた」


 話しかけられたので、見上げるとそこにいたのは恵先輩のお母さんだった。


「あ、その……私……」


 なんて言おう、咄嗟の事で上手い言い訳が思い付かない。恋人の兄が恵先輩と遊ぶのが嫌だから追いかけて来た? そんなこと言えるわけない、だって……まだまだ私達の関係は世界に認められるものじゃないから。


「ふふ、いいのよ。あなたもいらっしゃい」


 鍵を開けた恵先輩のお母さんは、私の手を取って立ち上がらせ、中へ案内した。


「少し二人を脅かしちゃおうか。夏凛ちゃんはドアの裏で待っててね」


「あ、あの! やっぱり私……」


「もう、遠慮しないの。お兄ちゃんを追いかけて来たんでしょ?」


 私は静かに頷く。多分、この人は兄を取られる妹が嫉妬のあまり追いかけて来た、そう予想してるはず。


 まぁ、ほとんど当たっているけど……。


「あらあら、恵帰ってたの?」


 恵先輩のお母さんは、いかにも気付かなかった風を装って部屋に入っていく。

 兄さんや恵先輩の声を間近で聞くと、胸が高鳴ってくる。


 そして私は二人の前に姿を現した。案の定、二人は驚いている。いや、恵先輩の驚き方は少し不自然に感じた。


 それよりも、兄さんと恵先輩の距離が近く感じ、心が苦しくなって目線を逸らしてしまった。


 恵先輩のお母さんは去ったあと、沈黙が場を支配する。


 あんなにも近かった兄さんが、川を挟んで対岸にいる……そんな感覚がとても嫌。

 だったら変わらなくちゃ! 水泳部の同級生の言葉を思い出した私は短くも長い沈黙を破るべく────立ち上がった。


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