After Story 追跡者
恵さんとエレベーターに乗り込んだ時、入口の近くでガコンッという変な音が聞こえてきた。まるで何かが無理矢理通過したような、そんな音だ。
「なぁ、今の音……何の音だ?」
エレベーターから出ようとすると、恵さんが俺の手首を掴んで引き戻した。
「きっと自動ドアの調子が悪いだけよ。早く上に行きましょう」
「それはそれでセキュリティに問題あるだろ。なんの為にカードキーが────」
「もう! ゴタゴタ言わないでってば」
俺は奥に押し込められ、恵さんはひたすら閉じるのボタンを連打している。
何かに対して必死になっている気がするが、突っ込まないのが得策だろう。遊びに来て機嫌悪くするのもアレだしな。
エレベーターは7階で止まり、通路に出た俺は街を一望できる景色に思わず嘆声が漏れてしまった。
「そんなに珍しい?」
「一軒家だとまずお目にかかれない光景だしな。これを毎日見れるなんて、羨ましい」
「そう? 慣れたら逆に一軒家のが良いって思えるわよ。入口ではカードキー使わないといけないし、そこからエレベーターに乗って自宅のドアを開けるのにかなり時間かかるじゃない。家に着いたらすぐにバタンキューできる一軒家の方が、あたしには羨ましいって思う」
「まぁ、隣の芝生は青く見えるってやつなのかもな。俺もマンション住んでたら同じ意見だったろうし」
「そうね。結局物珍しさから羨ましいって思えるのかも。それよりも、着いたわよ。ここがあたしの家」
鍵を開けて恵さんが中へ入っていく。
風がフワッと鼻先を掠め、恵さんの家の匂いがした。他所様の家はやっぱり匂いが違う。それになんというか、少しヒンヤリしてる感じがする。
「ほらほら、突っ立ってないで入りなさい」
「お、おう。……お邪魔しまーす」
「あ、言っとくけどお母さんいないからね」
────ドクン。
その言葉に心臓の鼓動が少し高鳴った。俺はてっきり、あの明るいお母さんが出迎えてくれるとばかり思ってた。
茶髪美少女の家、親は不在、2人っきり……。
「おじさんは……帰ってこないのか?」
「お父さん? うち離婚してるからその心配はないわ」
そういえば、恵さんのお父さんの話は聞いたことがなかった。体育祭でも、文化祭でも、いつもおばさんが来ていたから……きっと忙しいんだと思ってた。
「わ、悪いな……踏み込んだこと聞いて」
「あ、うん。気にしないで、不仲ってわけでもないし、月に一回は3人で食事に行ってるから。そこまで暗い感じじゃないの」
「そ、それならいいんだけど……」
「もう、暗い空気はやめよ? 今日はアンタの為に気分転換しようって誘ったんだから。お父さんは帰って来ないし、お母さんも仕事で遅くなる。気兼ねなく遊べるわ」
恵さんはそう言って俺を家に引き込んだ。
両親がいないという問題を棚上げして、毒を食らわばの精神で恵さんの部屋に入場。
「ここがあたしの部屋よ。好きに座ってて、ジュース持ってくるから」
「あ、はい。お構いなく〜」
定番の台詞を言うと、恵さんはパタパタとリビングへと向かった。
ピンク色の壁紙と、かわいい人形ばかりの夏凛とは真逆の内装。ベージュの壁紙に薄緑のカーテン、本棚には小学校から中学校までの教科書が並んでいて、娯楽というものが微塵も感じられない。
机の上に目を向けると、ようやく見つけることができた。
机の上には
ジャンルは多種多様、少しだけホラーが多い感じだ。
さて、そろそろ目を背けていた物について直視しなければならない。
窓辺に吊るされたある物。それは白だったりピンクだったり、上下セットで着用すべき女の聖域。
俺には夏凛という恋人がいる。勿論、それを目にする機会は非常に多い。だけど、男はそれに弱い……光に群がる虫のように目を引かれてしまう。それが男の性というものだ。
気付けば、一歩、また一歩と前に進んでいた。
「黒斗ー、コーラしかないからコーラで良い?」
運が悪かった。そうとしか言いようがない。振り返った俺は窓辺に吊るされたそれに手を伸ばしていて、明らかに変態にしか見えない。
まぁ、考えが足りてないというのが1番の理由だろう。ジュースを持ってくるなんて、そんなに時間はかからないのだから。
恵さんはお盆にコーラを2つ乗せたまま固まっている。いや、少しだけ震えている。それは叫びの前兆だった。
「きゃああああああああっ!!」
インパクト、叫びと共に窓がカタカタと震えているような気がした。女性特有の高い悲鳴が耳を
ここで男が取れる行動なんて1つしかないわけで、その行動の名は────ジャンピング土下座。
「すまん! つい、出来心で! だけどまだ触ってない、それだけは信じてくれ!」
頭を地面に擦り付けてひたすら謝った。
「い、良いから! 向こう向いてて!」
「本当にすまない!」
恵さんの言うとおり、聖なる布に背を向けて念仏のように「ごめんなさい」と唱え続けた。
どのくらい唱え続けただろうか、恵さんが肩を叩くまでそれは続いた。
「もう良いから。この場合、どう見てもあたしが悪いよ。こっちこそ、叫んでゴメンね」
大切な友人を失うかもしれないって思ってた。安心感から何故か涙が出てきた。
茶番かもしれない、一人相撲かもしれない、だけど涙が出てきたんだ。
恵さんが俺の肩を抱き、慰める。夏凛との不和でだいぶ心が弱ってたのもあってか、それが暖かく感じた。
───ガチャ。
「あらあら、恵帰ってたの?」
居ないとされていたはずの人物が、恵さんの部屋のドアを開けた。
「お、お母さん!? 今日仕事って……」
「何故か今日は早退しないといけない気がしたから、帰って来ちゃったのよ。そしたらこんな場面に遭遇するなんて……」
「うぅ、まさか帰って来るなんて」
「それよりも、黒斗君大丈夫? 恵から何かされたの?」
「あ、いえ。ちょっと色々あって……。だけどもう大丈夫っす!」
「そう、男の子だから立ち直りも早いのね。私はてっきり……恵があなたを襲ったのかと思ったわ」
正直なところ、おばさんの登場で驚きのあまり色々とふっ飛んでしまった。
恵さんは「お母さんっ!」と抗議している。
「襲うとか……そんなわけないじゃない」
「そうよね、あなたは奥手だもの。できるわけないわ。それよりも……どうせ遊ぶならこの子も混ぜなさいな」
おばさんはそう言って部屋のドアを完全に開いた。そこに立っていたのは夏凛だった。
夏凛は申し訳無さそうに目を伏せて、モジモジしている。
「家の前で寂しそうに待ってたから、入れてあげたの。じゃ、お母さんはもう疲れてるから、あとは頼むわね」
夏凛の背中をトンと押して恵さんの部屋に入れたあと、おばさんは自分の部屋に戻っていった。
気まずい空気が流れる。おばさんは知らないだろうが、俺と夏凛は恋人で、そこに恵さんがいるというのは……浮気現場を見られた彼氏の構図みたいなもんだ。
長い沈黙のあと、先に口を開いたのは夏凛だった────。
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