After Story 夏凛と喧嘩

 とある日の昼休み。


 普段なら夏凛と非常階段の踊り場で昼食を取っているはずなんだが、今日からは教室の端で1人寂しく食べている。


 そんな俺を見かねてか、恵さんが椅子を180度回転させて机の上にパンをドサドサっと落とした。


「珍しいね、あんたが夏凛と食べないなんて。今日はあの子休んでるの?」


「……いいや、そう言う訳じゃないんだ」


 重苦しく答える俺に、事の重大さを察した恵さんが少し声を潜めて聞いてきた。


「もしかして……おめでた?」


「んなわけないだろ!」


「ん~だよねぇ~。どこまでいってるのか知らないけど、あんたっていつまでもキス止まりで先に進みそうにないし」


「えっ、あ、そう……だな……」


 敢えて言わなかった。付き合ったその日に濃厚接触し、金曜の夜には定期的に1つになっているなど、言えるわけもない。


 他の高校生と違って同じ家に住んでいるから、そういう機会が多く、家族ルールという形で規制しないと本当に新たな生命ができかねないからだ。


「それが原因なんじゃないの? せめて一緒にお風呂に入るとか、そこまで踏み込まないとダメでしょ」


「あ、ああ……善処する。てか、理由はそれじゃねえよ。土曜日の朝にさ、シーツを洗おうと思ったんだけど、夏凛と取り合いになったんだ」


「そんなことで喧嘩になったの!?」


「ああ、夏凛は自分が汚したのだから自分で洗いたいって言ってたんだけど、俺は彼氏として気を利かせたつもりだった」


「ふーん、まぁどっちの言い分も正しいけど、あの子ってそんなことで喧嘩になるような子だったかしら……」


 少し踏み込んで説明したけど、恵さんが純粋でよかった。何がどうやってシーツが汚れたかを説明したら、今頃顔を真っ赤にして教室を走り去っていたかもしれないし。


「じゃあ、土曜日の朝からずっと気まずい状況?」


「一応昼食と夕食は一緒だけどな。一言も話してくれないんだ。俺……このまま自然消滅するのか?」


「あたしに聞かれても。なにもしなくても、自然と元の鞘に納まると思うけどなぁ……」


 恵さんは簡単に言ってくれる。今までのちょっとした喧嘩とは違うんだ。目を合わせてもくれないし、お昼の弁当もないし、ベッドがやたら寒いし……。


「……俺、夏凛に嫌われたのか。もう旅に出るしかないよな」


「待って! そこまで思い詰めなくても! ほら、マリトッツォをあげるから、それ食べて落ち着きな」


 今話題のスイーツが机の上に置かれた。恵さんの心遣いが骨身に染みる。いつか買おうと思ってその機会を失っていただけに、本当に嬉しかった。


 これを食べてる間だけは、この悲しみから目を背けることができるのだから。


「黒斗、口に出てる。あんたは失恋した女子か」


「うるせえ。マジで美味しいぞ、これ」


「はいはい、それは良かったねぇ。……それはそうと、この状況を打開する方法があるんだけど、あたしの策にのってみない?」


「策って、なんだよ」


「あたしの家に遊びに来るだけで、アンタ達は今日中に仲直りできるはずよ」


「んなバカなこと……あり得ない。今回は少し根が深いんだぞ?」


 恵さんが根拠のないことを言うので、マリトッツォを吹き出しそうになった。土日だって、何度も仲直りを試みたけど……全くの無視で取り付く島もない状況。


 恵さんの家に遊びに行くだけで改善されるとは思えないんだが……。


「とにかく、放課後は一緒に帰るわよ!」


「お、おう……わかった」


 承諾すると、恵さんも何故か嬉しそうにガッツポーズをしている。恵さんからの告白を断ってからは遊ぶ機会もなくなっていたから、気分転換も兼ねて遊ぶのはいいかもしれない。


 受験や就職、それぞれの進路が決まった3学期。午後の授業はほとんど消化試合に等しく、体育の授業に映画を観たり、数学の授業は図書室で自習だったり、あってないような受験内容ばかりだった。


 キーンコーンカーンコーン。


 午後の授業が終わり、恵さんと共に駅前に向かう。恵さんの家は隣町なので駅を経由しないといけない。


「黒斗、この時間人が多いから気をつけてね」


「お、おう。わかった」


 会社員、学生、様々な人間が電車に殺到する。不意に恵から手を繋がれて、そのまま引き込まれる。

 俺を引っ張る恵さんは、人の奔流の中で苦もなくスイスイと進んでいく。


 人混みを抜ける技術は圧巻の一言。3年間で培ってきた技術の結晶。俺はただ、翻弄されながら恵さんに牽引されることしかできなかった。


 痴漢はダメという標語を目にした俺は、せめて出来ることがないかと考えた。恵さんをドア側に、俺は恵さんを覆うような立ち位置を取った。


 恵さんと向かい合わせになり、そのまま密着している。


「黒斗、あたしなら大丈夫なのに」


「本当に大丈夫なのか? これだけ人が多かったら痴漢だって……」


「エロ本の読みすぎ」


 そう言って、恵さんが俺の背中に手を回した。密着度が激増し、大きな胸が俺の身体に押し付けられて潰れていく。


 さすがに恋人のいる身でそれはマズイと感じた俺は、恵さんを引き離そうとする。だけどそれはホールドされた腕に阻まれてしまった。


「ちょっと、恵さん!?」


「隙を見せたあの子が悪いのよ。大丈夫、本気じゃないから、これも作戦だから……んっ」


 恵さんが俺の両足を割り、身体を更に密着させてグリグリと擦り始めた。


 ────キンッ!


 一瞬、背筋が冷たくなった気がした。


「どうかした?」


「いや、なんか背筋が冷たくなったような……気のせいかもだけどな」


「そう、じゃあ作戦は成功しつつあるわね。それに、わかったことがある」


「わかったこと?」


「アンタが旅に出ても多分無駄だってことがわかったわ」


「なんだよ、それ」


「知らなくていいことよ」


 さっきから恵さんは意味深な事ばかり言ってくる。何の事を言ってるかわからないが、今のところ作戦は上手くいってるらしい。


 電車に乗っていた時間はそれほど長くはなかった。恵さんの住む町で降りて家に向かう。


「確か……普通のマンションだったよな?」


「ええ、ここよ」


 恵さんが唐突に立ち止まる。右手には超巨大なマンションが、左手には一般的なマンションが建っている。


「左のやつか?」


「ううん、右のやつよ」


「タワーマンションだよな。これ」


「あたしから見て右だって!」


 あ、そうか。恵さんは振り向いて右といってるから、俺から見たら左手だった。


「ほら、行くわよ」


 ゆるふわ茶髪ロングを揺らしながら恵さんは入っていく。


 俺は遅れないように彼女の後を追いかけた。


※次回、今月中にはアップ予定。

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