第52話 前提崩壊の夢枕(ラブラブカップル編)

 いつの間にか真っ白な部屋にいた。どこが壁かもわからないほど真っ白で、唯一白ではない存在と言えば俺と目の前にある2つのドアだ。


「ここは……夢、だよな? てか、夢ってわかるってことは"明晰夢"ってやつか」


 ドアに近付いて裏を見ると、どこにも繋がっていない。ただただ存在するドアに俺は困惑するばかりだった。


「うーん、確か俺が観た直近のドラマや映画とかが再現されるって話しだったよな。こんな感じのやつ観たっけ?」


 よく考えると明晰夢って怖いよな。だって、夢からの脱出方法がわからないし、時間の感覚がかなり長くなるだろうし。


 このままではどうしようもないので、とりあえずドアを調べることにした。


「ん? 何かドアに彫ってあるぞ。"夏凛"と"恵"……? なんで2人の名前が彫ってんだろ……」



 意を決して少しだけ開けてみた。


 ──ガチャ。


 隙間から中を覗くと、目がイカれそうなほど光に満ちていて向こう側は見えなかった。


「仕方ねえ、夏凛のドアに飛び込んでみるか!」


 埒が明かない、そう思った俺は覚悟を決めて中へダイブした。


 ☆☆☆


『あれ? ここは────』


 本日2度目の見知らぬ空間、先程と違って"空虚な白"ではなく、人が大勢いる街中であることがわかる。


「黒斗くーん!」


 どこかで聞いたような声に呼ばれて振り返ると、夏凛が手を振りながら近付いて来るのが見えた。


「黒斗君早いね、結構待った?」


「いや、今来たところだよ。にしても今日の夏凛、俺好みでめっちゃ可愛いね」


「ホントに!? 良かったー、黒斗君の為にかなり頑張ったんだぁ~」


「マジかよ、俺の為にありがとな」


 夏凛を抱き寄せて頭を撫で撫でする俺……。


『口と体が勝手に動いてるし、それになんだあの歯の浮くような台詞は!? キザったらしくて頭が割れそうになったわ!』


 ただ、腕の中の夏凛がめっちゃお洒落していて、いつもより可愛いというのは同感だった。


『状況から見て、これ……恋人って設定だよな。俺、こんなドラマ観たっけ?』


 思考とは裏腹に、状況は刻々と変化していく。完全自動化された俺の体は自然と手を差し出し、夏凛はそれを躊躇することなくやんわりと握る。


『あ……夏凛の手、柔らか──じゃなくてっ! 一体どこに行くんだよ、俺達!!』


 夏凛は柔らかな笑顔を向けてくる。初々しいカップルみたいに俺の頬が熱くなる。


「黒斗君、映画行こっか!」


「そうだな、ホラー映画だから夏凛苦手だろ? 怖かったら俺に抱き着いて良いんだからな?」


「ありがとー、頼りになる彼氏がいて私は幸せ者だなぁ~」


 頭抱えてじたばたしたいくらい恥ずかしいのに、それを体が許さない。てか、ホラー苦手なのは俺! 夏凛は逆にスーパー得意だからっ! 設定ミスってるからーーーー!




 その後も歯の浮くような台詞を連発しながら映画館に入り、ポップコーンやらジュースやらを買う段階になった。


「キャラメル味で良かったか?」


「うん、黒斗君も同じのが良いんだよね?」


「ああ、お互い甘いの好きだもんな。じゃあ、すみませーん! キャラメル味の────」


「待って、黒斗君! 私に注文言わせて、お願い」


 後ろはずらーっと並んでおり、店員も早くして欲しいくらいなのに、ここでも訳のわからない会話が始まった。


「良いよ夏凛、何か欲しいモノでもあるのか?」


「うん、これなんか……どうかな?」


 夏凛の指は俺の想像を超えたものを指していた。


「おお、良いねぇ! どうせ一緒の物を食べるんならこっちの方が夏凛と近くにいる感じがしそう!」


「でしょ!? あ、店員さん。この"ラブラブカップルセット"で飲み物はコーラ、ポップコーンはキャラメル味でお願いします」


 そう、夏凛が提案したのはカップル専用のセットメニューで、2人で1つの物を食べるタイプだった。


『いやいやいや、これ容器1つしかないやん! なんでストローが2つで容器は1つなんだよ! てかポップコーンの入れ物デカっ!! この夏凛役の人、滅茶苦茶グイグイ来るなぁ~』


 勘定を終えて、思考は色々と突っ込みを入れつつ、体は強制的にシアタールームへと入っていく。





 口から出る俺とは思えない台詞にもかなり慣れてきた。さすがに映画が始まると2人はスクリーンに夢中になる。


 喉が渇きを訴えてストローへ口をつけると、夏凛も同じタイミングで口をつけた。ストローは長めになってるけど、それでも顔が至近距離になってしまう。


 目と目が合って吸引という"共同作業"が始まる。そして口を離すとお互いに微笑み合う。


「黒斗君、ちょっとだけ恥ずかしいね」


「だな! だけどなんか、一体感を感じて嬉しい気持ちになる」


『おかげで映画が怖く感じないほど甘いけどな……』


 微笑んだ夏凛はハッと何かを思いつき、キャラメルポップコーンを1つ手に取ってこっちに向けてきた。


「黒斗君、あーん」


 ──パクッ!


 それを躊躇なく俺は受け入れて少し頬を掻く。さすがの主人公も恥ずかしかったみたいだな。


「じゃあ、夏凛も──はい、あーん」


 ──パクッ!


「えへへ、あーんしちゃったね!」


「しちまったな!」


 その後も似たようなやり取りを繰り返してようやくスクリーンに視線が戻る。


『……はぁ。もう内容が頭に入ってこねぇよ。てかさ、俺役のやつ──夏凛の胸チラチラ見すぎだろ!』


 まぁ、少しだけコイツ俺役の気持ちもわかる。俺だって……この間、温泉でかなり際どい部分見ちまったもんな、兄とはいえ……男ですもん、仕方ない。うん、それだけは仕方ねえよ。


 その後もド定番のイベントが起きた。ポップコーンを取ろうとして手が当たったあと恋人繋ぎで手を握ったり、びっくりするシーンで夏凛が抱き付いてきたり、段々俺もシンクロしてきたのか体との相違をあまり感じなくなった。


 ☆☆☆


 映画は終わり、遅めの昼食を取ろうと街でブラついてると、それは起きた。


 ────ドンッ!


「おい、嬢ちゃん。今、俺達にぶつからなかったか?」


「ご、ごめんなさい!」


 夏凛が謝ってるが、今のは明らかに向こうからぶつかってきたように見えた。


「待って下さい、どう見てもあなた達がいきなりこっちに寄ってきたように見えたんですが!」


「なんだぁ兄ちゃん。もしかして、この嬢ちゃんの彼氏か?」


「そうです、だからこうしてあなた方の前に立ってるんです。いや、もう敬語の必要ないな、あんたらがどう見ても絡んできたようにしか見えないんだよ。使い古された絡み方してないで、真っ当に働け、チンピラが!」


『……え、どうして煽るの? ここは手を引いて逃げるべきだろ!?』


「夏凛、下がってろ。あとは俺がなんとかするから」


「うん、ごめんね。黒斗君……」


「気にすんなって、彼女を守るのは彼氏の役目だろ?」


「──黒斗君」


『……はぁ。物語に文句言ってても仕方ないよな。これは現実として受け入れるしかねぇか』


 正直、今時こんなチンピラみたいな絡みあり得ないけど、夏凛を守るために動くってのは兄としてコイツ俺役に賛成だ。


「調子に乗ってんじゃねえぞ、クソガキ!」


 チンピラの咆哮と共に何故か喧嘩が始まった。しかも驚くことに、俺は達人のような動きで4人のチンピラを次々と倒していく。


『さすがは主人公ってやつか、正直殴られるの怖かったからマジで助かった……』


 全員倒したあと、夏凛の元へ向かう。


「夏凛、大丈夫か?」


「うん、怖かったけど大丈夫! 黒斗君、格好いい、ますます好きになっちゃった……」


「彼氏だから守るのは当たり前だよ。夏凛」


「黒斗君……」


 夏凛は唐突に目を閉じて顔を少しあげた。俺の顔も徐々に近付いていく……。


『おいっ! 待て待て、それはマズイ! ここまでしちまったら現実で夏凛をどう見ればいいか、わからなくなる! 頼むから、俺の中の"兄"を壊さないでくれーー!!』


 ────ブツンッ!


 意識がいきなり途切れ、気付いたらまた真っ白な部屋に戻ってきていた。


「少し頭痛いけど、助かった……」


 少し落ち着いて状況を確認する。周囲を見渡すと、夏凛のドアは消えていて恵と彫られたドアだけが残っていた。


「もしかして、こっちも行かないと戻れない感じか?」


 最初と同じく、少しドアを開いて中を確認する。夏凛のドアと同じく中は光で満ちていて先は見えない。


 待っていても戻れないのでドアを全開にして飛び込む体勢に入った。


「よし、こうなったら、とことん付き合ってやる! 行くぞーーーーっ!」


 こうして、俺は恵さんのドアに飛び込んだのだった。

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