第6話 共同作業 1
俺の目の前には夏凛がいた。スク水にパーカーを羽織った姿だ。急いできたのか息を切らしていた。
「ハァ、ハァ……兄さんだったんですね」
「夏凛って水泳部だったんだな」
「いえ、これは女子水泳部の助っ人で記録係をしていたので」
「そっか、とりあえず掃除行こ」
「そうですね」
剛田ことゴリラ先生に頼まれて今は使われてない部室へと向かった。部屋の中は元部室だけあってロッカーが立ち並んでおり、部屋全体には漫画やらユニフォームやらが落ちていて、まさにゴミ屋敷に相応しい様相だった。
隣に立つ夏凛は苦笑いで言った。
「これ、1日じゃ無理ですよね?」
「ゴリラの話しでは4日後に校長が進捗を確認に来るから、3日で片付けろって言ってたな」
「足の踏み場がないですね。仕方ありません、時間が惜しいですから早速取りかかりましょう」
こうして俺と夏凛は大掃除を始めた。
順調に片付けが進んでいくなか、背後で夏凛の悲鳴が聞こえて振り返ったらトサッ!と夏凛が胸に飛び込んできた。状況から察するに、何かに足を取られてしまったのだろう。
「……あ、あ……に、いさん……」
「ん?夏凛どうした?大丈夫か?」
腕の中の夏凛が少し震えてる。それに加え、僅かに頬が紅潮しているようにも見える。ただ、腕の中の夏凛がこんなにも華奢で壊れそうな感じとは思わなかった。
「大丈夫か?」
今度は更に優しく語りかけるかのように囁く。すると、シャツを掴んでいた夏凛の手が少しだけギュッと力が込められたような気がした。
「ご、ごめんなさい。なんか最近の私、少しおかしいんです」
「おかしい?」
「はい、今までフィルターとして除外していたものが、あの雨の日を境に急にフィルターが外れて色々なものが見えて、そして感じてきて……何がなんだか、もう」
大丈夫だから、そう言い聞かせるかのように少しだけ腕の力を強めた。
「あぅ……兄さん」
1分にも満たなかったが、俺たちはゆっくりと離れた。
「なんか、こういう温もりって落ち着くんですね」
「ああ、俺もなんか落ち着いた」
夏凛はそう言って少しだけ微笑んだ。なぜだろうか、その笑顔は決して作り物ではなく、太陽のような暖かさで俺の心の霜をゆっくりと溶かしていく、そんな感じがした。
☆☆☆
気づいたら空は真っ暗で時間は7時を越えていた。俺と夏凛は大急ぎで帰宅の途についた。
「兄さん、その……もしよかったらご飯、食べに行きませんか?」
やった!外食とはいえ家族で食事なんて俺の望みそのままじゃないか!
「行く行く!それで?どこにする?」
「ふふ、妹と食事するのがそんなに嬉しいんですか?」
「いや、だって……俺たちは、さ」
言いたいことがわかったのか夏凛は自嘲気味に笑った。
「そうですね……兄だから助ける必要も、妹だから助けられる必要もない。それぞれが自分で生きていかなくちゃ、そう思ってました」
両親は幼い俺たちを置いて出ていった。それも、それぞれ好きな人ができたからだ。最悪なのは、3万だけ渡して行方を眩ましたことだ。あの時、出ていく両親を見て俺たちは同じようにしなければ、とお金を切り崩しながら生活した。
身体は痩せ細り、水で我慢する日も続いた。だが、偶然叔父が訪ねて来たことで俺たちは救われた。俺たちは何故かこの家に残ることを頑なに譲らなかった。きっと、心の奥底であの二人が帰ってくるって思ってたからだろう。
そして、あの紐を得るまで俺達は、幼い頃に刻まれた歪な生き方を貫いていた。さすがにおかしいと気づき、寂しさと変化を望み始めていたから、今の状況は何だかんだで嬉しいのだ。
☆☆☆
ファミレスに着き、俺は海老ドリアセットとドリンクバーを頼み、夏凛はハンバーグセットとドリンクバーを頼んだ。
「兄さんっていつも冷食ってドリアを選んでますよね?」
「あ、気付いてたのか」
「月1で叔父さんが訪問したときにそう言ってたので」
「そっか……。あ、グラス空だな。何か汲んでこようか?」
「じゃあ、野菜ジュースでお願いします」
「了解」
俺はおかわりを注ぐべく席を立った。
ああ、なんか普通っていいな。とても暖かい、これからは遅れた分兄妹として普通を探求していこう。そう思って野菜ジュースを夏凛の目の前に置くと、自分の席の変化に気づいた。
「なぁ、俺のドリア減ってないか?」
「あ、その。クラスの女子がこういうのやってたんで、私もしてみたかったんです。ほら、代わりに私のハンバーグを1切れ差し上げますから」
そう言って夏凛はフォークで刺したハンバーグを俺の口元に持ってくる。あれ?これって普通、なのか?
「はい、あ~ん」
「え、ちょ、はずいって──ムグッ!」
白い手で運ばれるハンバーグを口にいれた瞬間、肉汁がブワっと広がって口の中で溶けた。労働の後の食事だから美味いのか、それとも他に要因でもあるのかわからないが、最高の味わいだった。
「どうですか?」
「あ、ああ。美味しかったよ」
恐らく夏凛は特に考えてなかったのだろう。俺の口に入れたフォークでそのまま食事を始めた。その仕草に少しだけドキッと来てしまった。
「ん?どうかしましたか?」
「い、いや!なんでもないよ」
食事が終わり、夜の帰り道で前を歩く夏凛が唐突に振り返った。
「あの、ね。新しい家族ルールを追加しようって思うのです」
「いいけど、俺なにかしたっけ?」
「ううん、してないよ。もう、囚われる必要ないって思ったんです。これからはご飯は一緒に食べましょう?」
彼女の言葉がジンワリと俺の胸に広がる。その提案は俺が願ってたものだし、これから毎日冷たい家に帰る必要がなくなる。とても暖かく、嬉しいことだ。
だから俺は答える。
「これからよろしくな。夏凛」
「はい、こちらこそ」
たかがそれだけの事に畏まった俺たちは互いに吹き出し、笑い、いつもより軽い玄関のドアを開けるのだった。
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