剥き出しの悪意

「響くんが悪いんだよ。彼は、あの施設で死んだ子たちの遺したものを残らず喰らってたんじゃないかな。おそらく江坂くんや弥生ちゃんも――だからこんなに大きくなった――」


「でも君だって、まったく関係の無い人達を巻き込んで、その化け物に喰わせている」


 宗谷の言葉に、桜花は眉を上げる。


「まず、君は睦月を殺した」


「わかってるよ――だけど、約束は守らないといけないからね」


 唐突に、気怠さの中にあって僅かな熱を帯びた口調で、桜花は言い放った。


「あたしは約束したから。千早ちゃんと“約束の場所で会おう”って。一年後はとうに過ぎてしまったけれど――あの時の仲間で、もう生きているとしたら、あの子しかいない。だから、あたしはあの約束の場所で、あの子が来てくれるのを待ち続けるしかない」


 宗谷は顔を顰めた。その背中で縋るように佇んでいる少女が、言葉もなく酷く震えているのがわかったから。


「池田くんの件は、あたしも悪かったと思ってる。そもそも、あたしの足がこんなになっちゃったのがミスの始まりだった。


 あなたが――御影くんが、どうやら“これ“”の“餌”を見ることができるみたいだと気付いた時、あたしは様子を見ようと“これ”をけしかけた。でも、あんなに暴れるなんてのは想定外だった。やばいと思ったよ。知っての通り、あたしは足をやられて病院送り。これじゃ、約束の場所にも行けないじゃない?


 だから池田くんを使うことを思いついた。“これ”の力を見せつければ、脅すのは簡単だった。彼には“約束の場所”で、あの子を――千早ちゃんを探してもらっていた。“これ”は見張りだけのつもりだったのに、彼がその場から離れただけで、まさか喰い殺すなんて」


 桜花は顎をくいと上げる。嗤っているかのように、わさわさと触手は揺れる。


「“これ”って、“餌”が足りないと、あたしの言うことちゃんと聞いてくれないんだよ」


「だから君は――この街の、死んだ人たちの遺した意識を喰らっていった。そういうこと?」


「ええ。でもまだ足りない。“餌”はあたしには視えないからね。だから、“餌”を見ることのできる君がいれば、より効率よく“これ”の腹を満たすことができると思った」


「どうして――、一体、君は何のためにこんなことを」


 宗谷の問いに、彼女は口許から噛み締められた白い歯を覗かせた。その頬は引き攣り、背中に背負った獣よりも鋭い視線で彼を睨みつけた。


「どうして――? さっき言わなかった? まだ解らない?


 これは復讐のため。あたしたちをこんな目にあわせた、施設の連中への復讐のため。あたしは、あいつらを“これ”でバラバラにして、噛み砕いて、喰い殺してやらなきゃいけないの。


 そのために、あたしは“これ”を完全にコントロールしなきゃいけない。死んだ人間なんてもう死んでるんだからいくらでも喰らってやる。生きた人間の一人や二人くらい間違って喰い殺したところで知ったことじゃないわ」


 剥き出しになった憎悪。桜花の溢れ出る憎しみを具現化させたかのように、黒い獣と触手は黒々とした粒子を吹き出させ、彼女の周囲を黒く染め上げる。


「それなら、なぜ最初から素直にそう、僕に言ってくれなかったの」


「無駄だと解っていたからよ」

 桜花は鼻で嘲笑う。

「“視える”力を持つ人間と出会ったのは、あなたが最初じゃないの。だから、そういうのが無駄で無意味なことだって知ってるの。


 あの男は塚本と名乗っていたかしら――彼もまた、あなたと同じように“視える”力を持っていた。彼は能力のことを研究していて、あたしの“これ”を“視て”、声を掛けてくれたのよね――あたしは逆に彼の“視える”力を利用して“餌”を喰らいつくそうとお願いしたのだけど、それは断られてしまった。それもそうよね――彼自身が“餌”を飼っていたんだもの。下手に生かして復讐の邪魔になっても困るから、仕方なく飼っていた餌ごと彼も喰らってやったわ。


 あなたには“視える”から、それを“喰らう”ことを許しはしない。あたしにとっては死人の残りカスで単なる“餌”であっても、あなたのような“視える”人間からしたら、それは生きた人間と同じように“視える”のでしょう? だったら、それを喰らうために協力してなんて言ったところで、それはあなたにとって“生きた人間を喰らうと言っているに等しい“、そんなの拒否されてしまうに決まっている。違うかしら――?」


「それは、そうだけど――。なら、睦月の時みたいに僕を脅して――」


 その時、不意に背後から澄んだ声が聞こえた。


「若葉ちゃんに、それはできなかったと思います。だから、こんな回りくどいことを――」


 羽衣千早は震えながら、宗谷の背中を握りしめながら独り言のように呟いていた。


「宗谷さんは、江坂くんに似ているから――そして、若葉ちゃんは江坂くんのことが――」


 千早は声を震わせながら小さな呟きを続ける。思わず宗谷は少女の方を見ようとした。


 その時だった。振り返りつつある宗谷の視界の中で桜花の姿が外れる直前、黒の粒子の中で彼女は満面の笑みを浮かべていた。これまでとは異なる貼り付けたような白の笑み、咄嗟にその笑みの意味に気づき、彼は息が止まるのを感じた。


「そこに――いるんだね?」


 桜花が言うか早いか、彼女の背中から、そこに覆い被さった黒い獣から、無数の触手が溢れ出た。それらは即座に、宗谷の視線の先に――彼の背後に佇んでいた羽衣千早の胴に巻き付き、手首足首に絡み付き、まるで磔にでもするかのように宙へと持ち上げた。触手はさらに千早の首筋にも纏わり付くと、まるでこれからの食事をじっくり楽しもうとでもするかのように、その華奢な喉元をゆっくりと締め上げる。


 困惑と恐怖の綯い交ぜになった表情に顔を引き攣らせ、千早は呻きとも悲鳴ともつかぬ声を漏らして必死に手足ををばたつかせて藻掻いていた。しかしその足掻きも虚しく、触手のは黒くぬらぬらと照り光る表皮は、少女の小さく白い身体へと徐々に喰い込んでいく。


「見つけた――御影くんが大事に隠して飼っていた“餌”」


視えていない筈の千早を見上げるように顔を上げ、桜花は仄かに頬を紅潮させ上擦った声で囁く。荒い息。喉元は不気味に動き、口の端からは僅かに涎が滴っていた。


「とても――“濃い中身”を感じるよ――これを喰らえば――満腹に――」


 桜花の頭上で、化け物は口を開いた。裂けたように開かれた口内には無数の牙、その奥には底の見えない黒い澱み。触手に絡め取られた少女は、拘束するものの隙間からグロテスクな闇を見やり、それがじわじわと自身を呑み込もうと近づいてくることに気づき、鳴き声にも似た悲鳴を上げた。

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