嘘と約束の代償
それくらい酷い場所だったから。大人達は何かあると、あたしたちを追い込むかのように暴力をふるった。子供たちはただ我慢するしか無かった。
それだけならまだよかった。でも、あの施設には“検査”があった。
“検査”――不定期に実施されるそれは子供たちに最も恐れられていた。選ばれて“検査”に呼ばれた子供は、まともに帰ってくることができなかったから。ある子は心が壊れてしまって、またある子は身体が壊れてしまった――そんな時、あいつは――“幹部”って男は口癖のように言っていたっけ。
ヒトは――命尽きねば目覚めず、しかし目覚めなければ、ただ死ぬのみ――。
まるで実験台にされてるみたいじゃない。冗談じゃなかった。こんな場所でモルモットにされて終わるなんてまっぴらごめんだった。何としてでも、こんな場所からは逃げ出さなきゃって、江坂くんと相談していた矢先に――。
江坂くんが、“検査”に選ばれた。必死で抵抗したけれど連れて行かれて。戻ってきたときには、もう以前の彼ではなくなっていた。彼が彼でなくなる直前に言った、“みんなを頼む”って言葉が最期のヒトとしての言葉だった。
見ていられなかった。知的で落ち着いていてみんなに頼られていた江坂くんが、おかしくなって、動物みたいになって、みんなに――良くないことをしようとするのを放っておけなかった。だから――だから――。
間もなく、江坂くんは死んだ。
でも、それで終わるわけがなかった。次に“検査”に連れて行かれたのは弥生ちゃんだった。あの子はついに帰ってくることはなかった。大人しいあの子が、泣き叫びながら連れて行かれるのを、あたしと残された子たちは見ていることしかできなかった。
それから――数日後だったかな。ちーちゃんが――千早ちゃんが、偶然にも見つけてしまったの。変わり果てた姿になった弥生ちゃんを。
弥生ちゃんはロッカーみたいな小さな箱の中に押し込められて死んでいた。何がどうなって、あんなのの中に入れられていたのかわからないし、知りたくもない。ただ、普通の死に方じゃなかった。まるで解剖されて、そのまま棄てられたみたいな――あんなの――あんな死に方――ヒトの死に方じゃないって思った。
弥生ちゃんだったモノを見つけてしまった千早ちゃんは、“幹部”って男に見つかって、殺されそうになっていた。あたしと響くんは掃除から帰ってこないあの子を心配して、様子を見に行って、ちょうどその場に出くわした。
その時だよ。九条響くんが“能力”を使って、幹部って奴を吹っ飛ばして千早ちゃんを助けたのは。響くんは少し前から“流星の夢”を見ていたそうだから、覚醒していたんだろうね。
まったく――でも、今から考えたら、それは施設の連中の狙い通りだったのかもしれない。千早ちゃんを殺そうとしていた幹部って奴は、響くんの力で吹っ飛ばされて壁に叩きつけられてもなお、その口許は笑っていたんだ。そしてはっきりとこう言っていた。
ヒトは――命尽きねば目覚めず、しかし目覚めなければ、ただ死ぬのみ――新たな芽は出た。良き芽は管理せねばならぬし、危険な芽は刈り取らねばならぬ。伸ばせ蔓よ、散らせ種よ、収穫の日は近い。
ふざけんなって思ったよ。何の宗教だか言い伝えだかポエムだか知らないけど、こんなくだらないことで実験台にされて、こんな酷い殺され方をするなんて。
あたし達はそのまま施設から脱出した。響くんが“能力”で壁を壊し、追手を阻み、着替えもせずに夕闇の中をひたすらに走り、施設からくすねた僅かなお金で電車に乗り、街へと辿り着いた。
そこで響くんは言ったの。ここからはバラバラに逃げよう、と。このまま三人で逃げ続けるのは目立ちすぎる。いずれは施設の人間に見つかり捕まって連れ戻される、ってね。
あたしは嫌だった。反対した。せっかくみんなで逃げ出せたのに、離れ離れになるのは心細くて不安だった。でも響くんは聞いてくれなかったし、千早ちゃんもその方針に賛成みたいだった。
それでも渋るあたしに千早ちゃんは言ったんだ。
「一年後に会おうよ。ここで、この場所で、この時間に」
約束だった。再会の約束。千早ちゃんの真剣な眼差しを見て、あたしは二人の意見を受け入れた。あたし達は、一年後、この場所で、この時間に、再会することを誓って別れた――。
●●
「――その筈だった。あたしは響くんや千早ちゃんと別れて、一人で逃げる筈だった」
今里桜花の頬が自嘲気味に引き攣る。
「その筈――だった?」
誰にも聞こえない声で、千早が息を呑む。
「あたしはやっぱり嫌だった。一人になるのは。一人で逃げ切る自信なんてあるわけなかった。だから、こっそりと響くんの後をつけたの。“能力”のある彼と一緒なら、なんとかなると思ってね」
「若葉ちゃん――」
千早の声は、桜花には聞こえない。
「自分で言うのもあれだけど――狡い女だよね。でもね、狡いのは“私だけじゃなかったよ”」
「どういう意味なの」
宗谷は訊く。背後で千早の息遣いが速くなっていくのが感じられる。
「響くんだって、ずっと千早ちゃんの後をつけていたんだから。あの子に何かあっても、すぐに助けてあげられるようにね――」
何が可笑しいのか、桜花は鼻で嗤う。
「彼、千早ちゃんに気があったんだよね。ちーちゃんは天然だから気づいてなかったみたいけど。だからさ、背後から言ってやったんだ。“約束が違うじゃない”ってね。あたしの声に気づいて振り向いた時の響くんの顔は、声をかけたあたしの方が引くくらいに驚いていて――でも」
桜花の俯きに同調するように、彼女の背後で絡み合う触手が、その先端が一斉に裂け、針の如き無数の牙が露わになる。
「それが、響くんの最期の表情になった」
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