棄てられた時間の中で


「あの、一つ訊いてもいいですか?」


 唐突に瑞穂が問い掛けてきた。宗谷が、蹲ったままでいる千早の様子を伺おうと、瑞穂へ背を向けた直後のことだった。肩越しに彼は、瑞穂へと視線をやった。少女は口許に手をあて、何かを考えているような表情を作っている。宗谷は背を向けたまま頷いてみせた。


「先程、遊園地で宗谷さんは呟いていましたね。あれは一体、どういう意味ですか?」


 何のことを言っているのか咄嗟には解らなかった。宗谷が黙っていると、瑞穂は続けた。


「言いましたよね“あの化け物は、千早ちゃんの友達、響くんって子の力によるもの”って」


 確かに言った。何故そんなことを口走ったのか、彼は思い出さなければならなかった。あの時は混乱していたから。そうだ、と彼は気付く。獣に襲われた直後、千早は動揺し呟いていた。


 音がした、と。雷鳴のような獣の鳴き声のことを指して。そしてその音は、千早の親友であった九条響が――彼もまた、能力者だったのだろう――その能力を、何かしらの強力な破壊の力を、行使する際に発せられた音と、とてもよく似ていた、と。


 さらに千早はこうも言った。響くんは怒っているのかもしれない、と。自分が約束を破ったから。それは、赦されないことだから。だから、あの“力”で自分を襲ったのではないか、と。


「あの時、音がしただろう? あの雷のような耳障りで大きな音。あの音だけは、あの化物の咆哮だけは、僕以外の人にも、化物の姿が視えない人にも聴こえただろう?」


 瑞穂は頷く。

「ええ、もちろん。化け物の姿を視ることのできない私が、あれの気配を探り、居場所を知るための唯一の手段ですから。というかあの音、化け物の叫び声だったんですか?」


「そう、君には視えていなかったと思うけど、あの音は獣の鳴き声なんだ。そして、千早ちゃんはさっき、あの音を以前にも聴いたことがあると言っていた」


 宗谷は語った。羽衣千早の過去を。彼女の親友、九条響が何らかの能力者であることを。九条響が能力を使う際に千早が聞いた音が、雷鳴の如き獣の咆哮に酷似していたということを。


 瑞穂は愕いたように、大きく瞳を見開いた。息を呑み、少女は静かに口を開く。


「羽衣千早さん――でしたよね。それは、本当ですか?」

 瑞穂は千早へと問い掛けた。


 千早は力なく顔を上げ、瑞穂の方へ視線を向ける。宗谷は二人の少女の顔を交互に見やった。


 二人はお互いを見てはいなかった。瑞穂は千早の姿を視ることはできないし、悪い想像に苛まれ冷静さを失っている千早の暗い眼差しもまた、瑞穂の姿を捉えてはいなかった。


「そう、だよ」

 小さな声で、千早は呟く。

「あの音は、響くんが“能力”ってのを使って、何かを壊すときに聞こえてくる音にそっくりだった」


 宗谷は、千早の言葉を瑞穂へ伝えた。瑞穂は頬に手を当て、何かを思案しているかのように目を瞑りながら、一言一句、ゆっくりと確かめるように言った。


「つまり千早さんの友達である、九条響という人は、化け物の操り人である可能性がある、と」


「でも、千早ちゃんの友達が、そんなことをするとは思えない」

 宗谷は思わず口を挟む。

「いくら大事な約束をしていたからって、それで、あんな非道いことをするなんて――」


 瑞穂は宗谷の方を向き、口許を緩めた。


「でしょうね。宗谷さんと大樹くんが“同じ能力”の持ち主だったのと同じように。私の追う操り人と、九条響さんが同一人物とは限らない」


 ただし――と彼女は続ける。

「確認する必要はあります。可能性がゼロでないのなら」


 瑞穂は再び視線を千早の方へと向けた。


「千早さん、生年月日を教えてくれませんか?」


「え?」

 千早は怪訝そうな面持ちで瑞穂を見た。

「どうして、そんなことを訊くの?」


 宗谷も千早と同じ疑問を抱きながら、瑞穂へその言葉を伝えた。


「九条響さんの年齢を確認するためです。その人は、千早さんと同じ年齢なんですよね?」


「そう――だけど」

 千早は気乗りしない様子で、とても小さな声で、自身の生年月日を呟いた。


 その言葉を瑞穂に伝えるため、宗谷は千早の発言をそのまま声として発しながら、しかしその意味を理解するにつれて視界が揺れ、口の端が引き攣るのを感じた。


「それは、どういうこと?」

 思わず彼は、千早に問い返していた。


「どう、ってそのままの意味ですよ」

 千早の代わりに、瑞穂が素っ気なく応えた。


「千早さんは、宗谷さんと同い年ってことです。ずっと宗谷さんと千早さんの会話を見ていましたけど、たぶん宗谷さんには千早さんの姿が、幼い子供に視えているんじゃないですか?」


「そうだよ」

 息を詰まらせながら、宗谷は応える。

「瑞穂ちゃんと同じくらいの子供に見える」


 子供呼ばわりされたせいか一瞬、瑞穂は不機嫌そうに眉を潜めたが

「恐らく、宗谷さんに視えている千早さんの姿というのは、亡くなったときの姿そのままなんですね。残留思念は心の塊です。肉体を持っていない千早さんの姿が、年相応に成長するなんて考えにくいですから」


 自分と千早が同じ年齢。考えてもいなかったが言われてみれば納得がいく気がした。喋り方や表情は子供そのものの千早だが、しかし残留思念の存在や、自身の境遇を語るときの諦めたような感じ、まるで他人事のような冷めた口ぶりは、今から考えれば確かに妙に大人びていた。


 と同時に彼は背筋が凍るのを感じた。それだけの長い間、恐らくは五年以上、千早はあの場所で、たった独りで、棄てられたように横たわっていたということなのだから。


「君は――」

 宗谷は震える声で、千早に話しかけた。

「このこと、解っていたの?」


「隠そうとしたわけじゃないんです」

 千早はぽつりと言う。

「ただ、十歳の子供の姿のままで、宗谷さんと同じ年齢だなんて恥ずかしかったから。だから、あえて言わずにいただけで――」


「そんなに長い間、君はあの場所で――」

 宗谷は言葉を失った。


 十歳の子供の姿。それはつまり七年もの間、あんな場所で、たった独りで、死の恐怖に固まったまま動くこともできずに取り残されていた、棄てられていたということ。


 彼は目眩と、言いようのない吐き気を感じた。自分だったら、耐えられない。耐えられるはずがない、と。思わず口許を抑えた宗谷を横目で見ながら、瑞穂は囁くように小さく呟いた。


「もしかして、こんな風に宗谷さんを心配させたくなくて、このことを言わなかったのかも」


 はっとして彼は千早の姿をあらためて見つめた。彼女は黙りこんだまま俯いている。その様子から彼は、瑞穂の呟きが的を射ていると思った。宗谷は振り向くと、瑞穂の横顔を見やった。


「まあ、その――とにかく、九条響さんは、宗谷さんと同い年であることは解りました」


 話を本筋に戻そうとするかのように言い切ると、瑞穂は宗谷へと向き直った。


「この事実を踏まえて心当たりはありませんか? 同級生や友人の中に、宗谷さんへ能力を感染させてしまうほど身近に、九条響さんではないかと思われる人物は思い当たりませんか?」


「そんな、急に言われても」

 と、そこまで言いかけて宗谷は、いや、と視線を床に落とした。


「心当たりが、あるんですね」

 瑞穂は身を乗り出す。少女の冷めた瞳が大きく見開かれた。


「ねえ、千早ちゃん」

 宗谷は千早に問いかける。

「君が“約束”した、待合せの場所だけど」


 宗谷は言いながら、壁に掛かった時計へと目をやった。時の針は、夜の八時を指し示そうとしていた。


「もしかして、“街の駅前”じゃないかな。そして待合せの時間は、夜の九時頃」


 千早は頷いた。そしてすぐに小首を傾げると。

「どうして、知っているんですか? あたしは、“約束”の待合せ場所や時間までは、まだ宗谷さんに話していなかったはずなのに」


 宗谷の思考は、一つの推測を導いていた。限られた情報の中で組み立てられたそれは、あまりにも突飛であやふやだったが、しかし彼は、その推測に一笑に付すことのできない確信のようなものを感じてもいた。そう、“あの時、あの場所で”何度か会ったのは偶然ではなかった。


 しかし宗谷は、自身の推測が間違いであることを、ただひたすら願っていた。彼は眼を瞑り、不吉なその推論を頭から追いだそうとでもするかのように、首を横へと振った。


 “彼”は九条響と同一人物などでは無く、ましてや化け物の操り人であるはずがない、と。


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