それは微笑みから溢れる殺意

 つられるように頭を下げ、宗谷は女の子の姿を眺めた。女の子は「瑞穂と呼んでください」と言いながら頭を上げる。思わず、彼女と眼があった。女の子は、まるで人形のような、円らで澄んだ蒼い瞳をしていた。相変わらず精巧で、しかし作ったような微笑みを浮かべている。


「そうなんだ、よろしく。僕は御影宗谷。宗谷って呼んでくれていいよ。それより――」


 言いかけて、宗谷は瑞穂の周りを見渡した。誰の気配も無い。宗谷はふと、疑問に思った。普通、こんな小さな子供が一人だけで引越の挨拶に来るだろうか。両親はどうしたのか、と。


「瑞穂ちゃん。おうちの人は、どうしたのかな?」


 宗谷は訊いてみる。その途端、瑞穂の表情が僅かに翳った。


「家族はいません。一年前に――」

 そこまで言いかけて口を噤むと、女の子は俯いた。


「いや、ごめん」

 宗谷は慌てて言い繕い、頭を掻いた。軽率な質問をしてしまったと、その辺りの事情は察して然るべきだったと後悔しながら

「無神経なことを訊いちゃったね」


 瑞穂は顔を上げ、静かに首を横へと振った。


「気にしないでください。ちゃんとした説明も無しに、いきなりお邪魔してすみません」


 そう言って、少女は宗谷へと微笑んで見せる。だが、それは先程までの一分の隙もない笑顔と少し違っていた。緊張が解けた直後に浮かべるような、どこか疲労の色を帯びた笑みだった。


「あ、それと」


 たった今、気がついたかのように声を上げると、瑞穂は持っていた紙袋へ手を突っ込んだ。


「つまらないものですけど、どうぞ」

 と、彼女は紙袋から紅葉饅頭の箱を取りだした。


「ありがとう。いただくよ」


 礼を言い、宗谷は饅頭の箱を受け取る。その時、土産を手渡す瑞穂の手が、宗谷の目に留まった。雪のように白く、柔らかそうな少女の掌は、彼が思っていたよりもずっと小さく幼く、頼りなさげだった。ふと、宗谷は不安な気持ちに駆られた。


「でも、大丈夫なのかい?」


 つい今し方感じた不安を、彼は口にした。「今の話からすると、瑞穂ちゃんは一人で住んでいるんだろう? もし、何かあったりしたら、危なくないのかな」


「大丈夫ですよ」


 彼女は拍子抜けするくらいに、あっさりと言い切った。「だって、危ない人に襲われたときは壁を思いっきり叩いて、宗谷さんに助けを求めますから」


 瑞穂は大きく目を見開いて、食い入るように宗谷の顔を見つめる。


「何かあったら、助けに来てくださいね。でも、良かったですよ。隣の部屋に住んでいる方が、こんなに優しくて、頼りになりそうな人で」


 にっこりと瑞穂は笑った。綺麗な白い歯が覗く。宗谷は曖昧に頷きながら、彼女の年相応な子供らしい笑顔をやっと見ることができたと、なぜだか安堵にも似た感情を覚えていた。


 瑞穂は挨拶を終え、隣にある自分の部屋へと帰っていった。彼女の小さな後ろ姿を、宗谷は扉の隙間から心配げな面持ちで眺めていた。こんな幼い子供の、それも女の子の独り暮らしは、やはり危険ではないのだろうか。大丈夫だろうか。そんなことを朧気に考えていた。


 心配げな眼差しに気付く様子もなく、瑞穂は自分の部屋のドアノブに手をかけていた。扉を開け、部屋の中に入ろうとしている。その一瞬、宗谷の視線が、少女の横顔を捉えた。


 それは、子供の顔では無かった。


 自分が見たものを、宗谷はすぐに信じることができなかった。少女の表情は、白く凍てついていた。仮面のように微動だにせず、円らで澄んでいた筈の瞳は、焦点すら合っていなかった。


 放心しているかのようにも見えた。しかし眼を凝らすと、その中で頬と口許だけが、堪えきれぬようにひきつっていた。口許から僅かに覗く白い歯は、まるで牙の如くきつく噛み締められ、微かに震えている。静と動の混在した異様な、とても子供とは思えぬ表情。宗谷がそこから読みとれるのは、強い怒りと憎しみ。僅かながらも、殺意すら。


 これなのか。いきなり横っ面を張り飛ばされた衝撃にも似た閃き。突然に彼は悟った。顔を合わせた直後、瑞穂から感じた危険な“何か”。それは彼女の感情ではないのか。自分の能力が、彼女の内に巧妙に隠された怒りや憎しみを、殺意を鋭敏に感じ取っていたのではないのか。


 忘れたはずの、消えたはずの彼女への警戒心が、残像を空に描きつつ、ブーメランのように彼の元へと戻ってきた。疑念の刃は胸の奥に突き刺さり、その先端は再び黒々と燻り始める。


 瑞穂は、宗谷に見られていることに気付かぬまま、部屋の中へと消えた。ドアを閉め、鍵を掛ける音が聞こえると、宗谷は誰にも聞こえないほど静かに、しかし急いで自分の部屋のドアを閉め、その内側にもたれ、胸元を抑えた。


「ね? 宗谷さん、変な子だったですよね」


 同年代の子供だから、それとも霊であるからか、千早も何か感じるところがあったのだろう。千早は、宗谷の腰に縋って不安げに呟く。そうだねと宗谷が頷くと、彼女は言葉を続けた。


「あの子、宗谷さんの留守中、二分おきぐらいに来ていたんです。せっかちにも限度がありませんか? いくらなんでも、普通じゃないですよ。見た目は大人しそうな子なのに――」


「確かに、何だか変わった子だったね。何だか理由がありそうだけど」


 そうは言うものの、瑞穂から発せられる殺意のような感情の原因は、小さな女の子があそこまで異様な表情を浮かべなければならない理由は、宗谷には想像すらできなかった。


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