脱いじゃえ脱いじゃえ

 アッシュを追う。

 細道を出て塔の根元が見える広場に出た。かなりの広さがある。

 ここは……。鬼の拠点だ。廃屋からかき集められた椅子やソファ、机にテーブルがあちこちにある。火のついたかまど。干された草と、動物用の囲いまであった。

 アッシュは広場の中心で戦っていた。取り囲む鬼の数はいくつほどだ。既に倒れている鬼だけで30体はいる。それでも取り囲んでいる鬼は倒れた鬼の倍の数はいるだろう。敵数を読み違えたのはここが拠点で家々の中から増援が来たからだと思う。

 

 アッシュは、やはり戦闘面において俺たちより一段高い次元にいるようだった。

 超至近距離で殴り合い続けている。拳速は目で捉えきれないほど早く、蹴り出した足に当たった者は嘘のように吹っ飛んだ。剣をかわし、槍をへし折り、殴って蹴って、掴んで投げて、彼の一歩の間に必ず一人は倒れ込む。全方位を敵に囲まれてそんな芸当が出来るのか、真後ろから飛んできた矢をかわし、射手を見ようとこちら向きに反転したのだろう。結果的に俺たちを見つけて笑ってみせた。

 「思ったより早いじゃねえか! 言ったろ!? 俺らは強い! ちなみに俺は――」

 アッシュが鬼の一体を掴んで振り回す。即席の武器は取り囲む鬼を10体は蹴散らした。

 「俺は最強だぜ!!」

 もうどちらが鬼か分からない。


 「行きましょう! アッシュくんには当てないよう端っこの鬼から倒しましょう」

 一人のアッシュにさえ歯が立たない鬼たちは遠距離からの魔術攻撃になす術なくやられていく。

 「お前ら! こいつらは俺のだろうが! 欲張るのはよくねーぞ!」

 えー……。誰もそんなことを思って戦っちゃいない。

 「アッシュってほんとアホだよね……」

 俺も含めて全員が頷く。

 「聞こえてんだよフーディ! 後で泣かすからな!」

 

 ふざけられるくらいには余裕が感じられる戦闘だった。俺たちを押しつぶせるような鬼の数は簡単に溶けて消え、血の匂いだけを跡に残した。


 「横取りすんなって言ったろうが」

 アッシュはふんふん怒ってこちらに詰めよって来る。

 「まあまあ、押さえて下さい。あれ以上アッシュくんがやっても同じことですよ。ここの鬼たちじゃアッシュくんには逆立ちしても敵いません。アッシュくんは一番強いんですから、私達にも練習させてくれてもいいじゃないですか。ね?」

 「……ほう」

 ほう……って、分かり易いなこいつ。


 カトレアの見え見えのお世辞に急に気を良くしたアッシュはそれ以上何も言わなかった。なるほどこういう扱い方があるのか。

 「お前らもけっこう戦ったみたいだな。そういや後ろって何体くらい居たわけ?」

 「30もいかないくらいですかね」「ふーん、まあそんなもんか」情報共有というか、戦いの後の雑談が始まると俺の方にポンと手が置かれた。フーディだ。

 「またサボったな~、ヴィゴ!」

 あ、そう言えばまた戦いそびれた。俺が戦える距離は後衛のやつらほど長くない。アッシュの元へ行く前に大部分が片付き、いつ飛び込もうかと身構えるうちに結局あっさりと終着してしまった。


 「はあ? サボり!? おいヴィゴ! それは無いわお前、ひくわ」

 「いや待て、サボってたわけじゃ――」

 「そうなのアッシュ! わたしなんておでこ叩かれたよ」

 「……クロエ、よく分かんねえけど、それはたぶんお前が悪ぃと思う」


 え、なんで!? とクロエがうろたえて皆が笑った。

 俺は、一人だけどうにも複雑だった。この冗談について腹を立てたりはしないが、なにかこう……疎外感を感じる。無理にでも戦闘に参加しておくべきだったろうか。微妙な引け目を感じてしまうのだ。とりあえず弁明を――。

 「待て」

 ぴしゃり。


 アッシュの短い一言で場の空気が一変する。彼の視線の先を追えば理由が分かった。鬼が一匹、監視塔の入り口から出てきたのだ。ただの石の小鬼ではない。見た目からして違った。肌の所々が鉛色に変色し、背が高い。上背のあるアッシュと並べても見劣りしなさそうだ。アッシュが鼻を鳴らす。


 「へぇ。ちょっとは強そうじゃん」

 当然にアッシュが迎え撃とうとする。一瞬で脳みそが戦闘態勢へと切り替わるのか、仲間と話している時とは目の光が根底から違うのだ。揺らめく炎を奥に宿すかのようだった。


 「俺にやらせて欲しい」

 アッシュの一言で変わった空気が、俺の言葉でもってまた色を変えた。四人の驚きと、一人は怒り。短い付き合いだが、今のやる気の彼に「待った」をかけるのがどれほど怒らせることか、分からないわけではなかった。


 「おいおいおーい、ヴィゴ。ボケたか? すっこんでろ!」

 アッシュはこちらを見もしない。お前の常識ではそうなんだろう。事実、殴り合って誰よりも勝率が高いのはお前だよ。それは認める。ここで真っ向から言い争ってもアッシュは絶対に引かない奴だ。要は、カトレアの要領でやればいいわけだ。


 「アッシュ、俺は別にサボってたわけじゃない。本当にタイミングがなかっただけだ。お前なら分かるだろ? 戦いたくても一度も戦えてないんだぞ? 俺だって自分を試したかったさ」ちらりと仲間に視線を送る。いや違うクロエ、お前じゃない。ウィンクするな。


 「確かにヴィゴくんは一度も戦えていませんね。運が悪かったんですよ。ちょっと可哀想じゃないですか? ね、アッシュくん」

 さすがにカトレアは察しがいい。

 「……そう、なのか。んー……まあそれはちょっと、悲しい感じだな」

 「そうそう、ヴィゴずっとサボっ――」

 ティントアがお子様の口を強引に閉じてくれて本当に助かった。

 「しゃーねーなー。ちょっとあんまりにもカワイソーだし譲ってやるよ。お前死ぬなよ? 死んだらぶっ殺すぞ?」


 なんだその哲学みたいな激励は……。

 アッシュは手を挙げる。俺も手を挙げる。

 パン! と良い音がして選手交代。

 「ありがとうアッシュ。恩に着る」「おう。着ぶくれするぐらい着ろ」

 

 さて、どうにか代わってもらえた。

 五人の視線を背中に受けながら、大将らしき鬼の元へ向かう。途中、石の剣を捨てて落ちていた短剣に持ち替えた。この短剣も石で出来ている。切れ味に大差はないだろう。わざわざ小さな武器を選んだのには理由がある。この方がたぶんやり易い。


 向かい合ってみたら、鬼はなかなか強そうだった。雑魚の鬼と違ってしっかりと筋肉がついている。他の鬼と違って武器も大きい。廃材を集めて作ったようなハンマーを手にしている。もしあれが直撃したら痛いどころでは済まないだろう。腹の中から緊張がこみ上げてきた。


 アッシュならすぐにも走り出し、最速でこいつを倒すだろう。

 派手な一撃必殺は……無理だ。

 俺は、ゆっくりと歩き出す、大鬼は待ち受けるつもりらしく、武器を構えたまま動かない。都合がいい。

 歩く、歩く、距離を詰める。


 歩幅に緩急を、体の中心にあるはずのバランスをわざとずらす。手の振り、腰の切り方、足の付け根から意識を持って、一歩を繰り出す。効果はすぐに出始めた。

 「なんだか、ヴィゴくん……変じゃないですか? なんていうか……。ぼやけて……」「……うん。あたしにも見えてる。なんか……姿が二重に……」


 さあ、お前に見切れるか。

 俺の本領は腕力にない。アッシュと組み合っても絶対に勝てないだろう。

 それはよく分かった。他の奴らが始めから魔術が使えたように、そう、俺は――。

 姿がダブるような錯覚を覚えさせる歩行の技術で、最後の、仕上げ、膝の力を抜く。


 すると俺は。

 「……消えた」

 誰かがそう呟くのが聞こえる。

 派手な一撃必殺は……俺には無理だ。

 だが、命を奪うのに派手さはいらない。

 大鬼の背後に回った俺は手早く首をかっ切った。

 これが俺の技。これこそ我が本領。


 「なるほど、それがお前の適正ね。隠密の技。たしか……瞬断一足しゅんだんいっそくってやつだったか」

 驚いた。

 よく技の名前を知っていたな。俺も使ってから名前を思い出したのだ。この辺の知識はいつ得たのだろうか。今まで知らなかったことを昔から知っていたような、この妙な感覚は……。


 「そう、瞬断一足」

 「どうやってんの!? 消えてたけど!? なんか気付いたら鬼の後ろ居たよね!」


 フーディが興奮気味に隣のティントアをゆすりまくる。ティントアは揺らされながらうんうんと器用に頷いた。

 「俺の目にはギリ見えてた。ほぼ影だけだが、目の前のあいつにゃマジで見えなかっただろな」

 「どうやってんの!? ねえ! どうやってんの?! それ! ねえって!」

 お子様はうるさいな。いま説明するから待ってくれ。


 「凄く簡単に言うと、歩き方に緩急をつけるんだ。ゆっくり、早く、一時停止、急停止とかを織り交ぜて――」

 「そんでだな。最後に膝を抜く。それも段階的に分けてな。消えたように見えるが目の錯覚だぜ」 

 いやなんでアッシュが言うんだよ! いまって俺の時間だよな?

 「えー! ちょ! やってみてほら! ヴィゴ! やってやって! はやくはやく!」

 わかったわかったわかったから近いなフーディ!


 瞬断一足を間近で見せる。

 俺は皆の視線から外れる……。はずだった。全員の死角となる真後ろに移動したのにだ。アッシュ、お前だけが俺の方へ顔を向けていた。目を見開き、何一つ見落とすまいと全集中をもって俺を捉えきってみせたのだ。


 「……。かなりの練度だ。まぁ、分かってりゃ対処可能だけどな!」

 こいつ……マジで化け物じみている。

 だが、今のはけっこう俺の矜持に効いたぞ。

 心の中でなにかグツグツと音が立つような感じがした。


 「アッシュ、俺は――」

 瞬時、完全脱力、手、腕、肩、両足、間接の全てにまで気を張って……。

 それから俺は完璧に、全員を置き去りにした。

 「――こっちだ」

 わざわざアッシュの真後ろを取ってやった。ここは俺の領域だ。

 「ほー……。ヴィゴ、おまえ中々やってくれるね。けっこうムカついたぜ?」

 ゆっくりと俺の方へ向き直る。


 上をいかれた怒りと、認めざる終えない技の切れに関心もあり、なにか一つ俺を認めるような視線だった。


 「そういうことされると試したくなるなぁ。お前もそう思うよな? なあヴィゴ」

 アッシュの吐く息が重みを増したような気がする。瞳の奥でちらちらと火が爆ぜて、大きくなりつつあるような、どちらが、どれだけ、どこまでやれるか。こうまで真っすぐ見られると応えたくなる。こいつはとんでもなく純粋だ。つい「そうだな」と言いそうになってクロエが口を挟んだ。


 「わぁー……。なんかいいね。こういうの、その、男っぽい感じ? ちょっとヨダレ出そう。ヴィゴも服とか脱いじゃった方がいいんじゃない? 動きにくいよね? ほら、脱いじゃえ脱いじゃえ」

 「ヨダレ出そうってか思いっきり出ちゃってんじゃねーか! もう口元べたべたじゃねーか!」

 「い、いいから、いいから続けて?」

 「良くねーよ変態! お前の見てる前じゃ絶対やんねー、帰れ!」


 え~……とかいう不満の声と、力のやり場を失ったとかいうか、根本からこそがれた感じのアッシュは大きなため息をついてみせた。

 危なかった……。つい乗せられるところだった。こんなところで俺とアッシュがやり合っても一切の特はない。今だけはクロエの変態性に感謝だ。


 「クロエ、止めてくれてありがとう。……危うかった。そっちはそんなつもりは無かったんだろうけど」

 「え、じゃあ、お礼に二の腕さわってもいい?」

 「…………まあ、腕くらいなら」

 後日、俺は後悔することになる。

 たかだか腕だと甘く見過ぎた。


 「そんじゃ、塔に登るか。何が見えっかなー」

 見上げる塔はなかなかに高い。この辺りが一望出来るだろう。人のいる街が見えてくれればいいが……。俺たちは今後の展望に期待を込めて監視塔を登るのだった。

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