肉と魚と野菜、かな

 石の小鬼という山を越え、俺たち六人は近くにあった損傷の少ない小屋で休んでいた。ティントアの胸で泣いていたフーディはいつもの調子を取り戻し、そろそろ移動しようか、という話をしていた。


 主に俺とカトレアで大まかな動き方を決める。

 「少しは戦いもしつつ探索すべきかな」

 アッシュの言う通りに命の取り合いをしてみて実感したが、俺たちには経験がまだまだ足らない。余裕の持てる範囲でなら戦うための意識を持ってもいいだろう。


 「良いこと言うじゃんヴィゴ。少しじゃなくって全員ぶっ飛ばして進もうぜ」

 「それは流石に頷けません。戦闘行為のストレスはさっきフーディちゃんが身を持って証明してくれました。もしあの後すぐに誰かと連戦していたら、次は誰がどうなっていたか分かりませんよ」


 カトレアの反対意見にアッシュはすぐに口を開いたが、彼女はそのまましゃべり続けた。

 「それにこの街は広すぎます。そこそこ歩きましたが街の終わりがまるで見えません。どこの廃墟にも食べられそうな物は残ってませんし、二日分にも満たないこの食料でどこかの街へたどり着けなければ痩せて死ぬのみです。アッシュくんもそれは望むところではないでしょう? 街についてからいっぱい喧嘩してください。ね?」


 アッシュは何か言いたげだったが、結局のところ頷くことにした。現状あまりに見通しが立っていないことが分かったのだろう。俺もカトレアの意見に危機感のレベルを引き上げて捉えることにした。ほとんど賛成だが、一つだけ、もう一度だけ腕を試してみたいことを話題に上げる。


 「カトレアに大賛成だが、俺はもう一度だけ戦うのもアリだと思う」

 「なぜです?」

 らしくないですね、とカトレアが眉根を寄せて俺の顔を見てくる。


 「俺たちはまだ自分の得意分野で敵と戦ったことがない。アッシュはまぁ素手でいいだろうけど、俺は短剣でもあればもっと楽に戦えると思う。カトレア、ティントア、クロエ、フーディなら、魔術の攻撃がどれだけ効くのか、一度くらい試しても損はないと思う。どうしても戦わないといけない時がきて、技の実践経験が無いのは怖い」


 カトレアは目を瞑って唸った。

 「んー……確かに……。どうしましょう? どっちがいいんでしょうか。多数決でも取ります?」


 「そだな。じゃあ俺の意見に賛成の人」

 挙手は俺を含めて五人。意外にも対案を出していたカトレアまで手を上げていた。

 「私も自分の力を試したい気は、少しありますから」


 なるほど。完璧に安全策で一辺倒というわけではないらしい。

 そして一人、何故か手を挙げていない赤髪の男がいる。


 「ハイ! 俺は全員倒して進むほうに手を挙げるぜ。ちなみに俺は一人で十票の効力があるから5票:10票で俺の――」

 「却下で~す! はい皆さん、それでは出発しましょうか」

 あからさまにぶうたれるアッシュへ「アホ」とフーディが呟いた。

 「なんだと、この泣き虫ちゃんが!」

「アホ! 赤猿アホアッシュ!」と何度か見た小競り合いが始まった。フーディも元気を取り戻したようで良かった良かった。


  俺たちは隊列を組んで進んでいく。

  先頭はアッシュ。二番手にクロエとカトレアが横並び、三番手はティントアとフーディが並んでいる。そして殿は俺だ。鼻の利くアッシュと気配を探れる俺を両端にするのは当然だが、間に挟まれる奴らは正直どんな並びでも良かったはずだ。ただ何となくこの並びになった。


 俺は腰のベルトを通す輪に抜身の剣を差していた。小鬼が使っていた石の剣だ。あの体躯で扱う剣なので人間が持てば短剣に近いサイズだ。石を削って作ったらしい刃は大した切れ味も出ないだろうが、素手と比べて振り回せる棒があるだけ遥かにマシだった。アッシュは何も拾っていかず、いまだに素手でやっていくつもりらしい。


 隊を後ろから見ていて気付くことがあった。

 フーディのティントアに対する信頼の置き幅が大きく増していた。それもそのはずだ。あれだけあやして貰えば懐きたくもなる。今も何かと話しかけている。


 「ティントアってさぁ、好きな食べ物ってなに?」

 「……迷う。ひとつだけ?」

 「みっつまでおっけー」

 「迷う……。肉と魚と野菜、かな」

 いや広いな!

 後ろで聞いていて思わずツッコミそうになった。普通は料理名だろう。


 「分かる。全部おいしい」

 まったくその通りだとフーディは頷く。

 「私はねー、ごはんは何でも好き!」

 「いっぱい食べて、はやく大きくなるといい……」

 「まだ背、伸びるかなぁ……。背高いほうがいい?」

 「どっちでも。フーディはフーディ」


 何とも中身のない会話だ。だが、無駄話だと注意するような気も起きない。一応は警戒しつつ移動中だが、話声が聞こえる範囲に気配は感じられなかった。常に身構えて心がすり減るよりずっといい。


 会話はそこで切れて、手持無沙汰になったのかフーディはティントアが着ているカーテンの端で遊び始めた。無造作に体へ巻き付けただけのそれは、ところどころから布が垂れ下がりふらふらと揺れているのだ。

 「くすぐったい……少し」

 身をよじる様子にフーディが小さく笑う。

 まるで妹が姉にじゃれ……兄か。

 後ろから見ていると兄妹のやり取りに見えた。ちょっかいを出す妹と、相手をしてあげる兄。揃って金髪のため余計にそう見える。

 

 「もうちょっとで着くね。登ったらなにが見えるかなぁ」

 目的地の塔を上目で見てフーディが言った。


 今の俺たちは監視塔を目指して進んでいた。ここらで目に付く一番背の高い建物だ。ここからでも分かるくらい傷んでおり、ところどころ外壁が剥げて斑になっているが、作りが頑丈なのか原型がほとんど欠けていない。


 塔に登って進路を決める。上から他の街が見えればいいが……。

 「俺は、海が見えたら、いいと思う」

 「そうなの?」

 「うん。見てみたい。見たことない」

 お前の希望かい。いい、なんて言うから現状の打開につながるのかと期待してしまった。


 この壁が途切れたら塔の根元が拝めるか、そんなところで一同は歩みを止めた。先頭のアッシュが右手を挙げて止まるようジェスチャーしたからだ。クロエが不安そうな声で聞いた。


 「敵?」

 「ああ、50体くらいか。匂いが多いから誤差はありそうだ、60くらいかもな」

 「……それはちょっと、戦いたくないね」

 「あの小鬼なら問題ねぇと思うけどな」

 「駄目ですよ。いくらなんでも数が違いすぎます。アッシュくん、絶対に飛び出さないで下さいね。いま一人で突っ走ったら見捨てていきますからね」


 「はいはい。分かってるよ。それよりどうすんだよ。迂回しようにも道がねえぞ。塔の周りは拓けてるっぽいし、ここ出たらすぐ見つかる。来た道戻んのか?」

 「どうしましょうか……。けっこう歩きましたしね。あんまり時間を使いすぎるとそろそろ日が暮れて――」


 突然、俺の背中がひくついた。肌がわずかに泡立った。これは……。

 「敵だ! 俺たちの後ろから来てる!」

 大声は出さず、静かに叫んで情報を伝える。

 「数は……分からない! たぶんこいつら走ってきてる。もうかなり近いぞ!」

 「……やるしかねぇな。まずは後ろの奴らからやるか、確かに走って来られると人数が分かり辛いな。匂いがブレててはっきりしねぇ。まあ多めにみて20くらいか?」


 アッシュは既に肩を回して戦闘態勢の顔つきをしていた。いつの間にか俺のすぐ横まで来ていて、今にも走りだしそうだ。


 「ダメだよ! アッシュ!」

 もはや駆け出す寸前だったところをクロエが飛びついて停止させる。羽交い絞めのような形で意地でも行かせないつもりだろうが……。

 「あのなクロエ、これがどんだけ無意味か分かるだろ。お前の力くらいで俺が止ま……わけ……」


 止まった。

 「……おまえ、胸、わざと当ててる?」

 数秒、時間が止まった。

 「えっ、あっ、これは、え? 当たってた?」

 赤面してすぐ手を離すところを見ると、本人に自覚はなかったらしい。


 「あんだけ興味津々で人の●●●見といて、そういうの気にすんなよ……。なあ、せこくね?」


 分からんでもない感じはする。……いや、じゃなくて!

 「後でやれ! とりあえずそこの屋根に登ろう。傾斜があるから伏せてればやり過ごせるかも知れない」


 俺は急いで指示を出した。この場でとれる回避策はこれくらいしかない。「しょうがねーな」と言いつつもアッシュは従ってくれた。戦う気を削いだのは偶然のハグだが、クロエの胸がいい仕事をしたわけだ。


 まずアッシュが一番に屋根に飛び移った。両ひざを屈め、一度の跳躍で簡単に体を持っていく。俺は壁を三回蹴って到達。クロエは銀の糸を屋根の突起に結び付けて巻き上げられるように登っていった。カトレアは家屋の脇に生えていた木の成長を促進させ、それに乗って屋根まで登る。フーディは転がっていた岩を浮かせそれに乗り、残る一人は……。


 「ティントア? お前、なにして……あ、そーか」

 そういえば扱える死体がそばにない。

 まずい、もうそれほど時間は残されていない。


 「そういうのはさっさと言えよ、このシャイボーイめ、ほら行くぞ」

 登ったそばからすぐ地面に飛び降りたアッシュはティントアを抱えて……お姫様抱っこして屋根に登ろうとしているらしい。確かにその姿勢が一番安全だろうが、横抱きのティントアはヒロインのお姫様に見えてきて少し可笑しかった。


 「ティントアくん、ちょっと似合いすぎますね、その感じ」

 カトレアも笑いをこらえながら言っていた。

 屈伸して、アッシュはもう一度跳ぶ。人一人を抱えてもまだ余裕がありそうだ。たぶん俺にこれほどの筋力はないだろう。差というものに少し胸がちくりとする。


 アッシュとティントアの着地を見届け――。

 木の折れる音が大きく響いた。

 アッシュの足が屋根に突き刺さっている。

 「は? あ、やべ、これ屋根っ――」

 老朽化した屋根が二人分の体重に負けて抜けたのだ。何本もの木材がへし折れながら二人が沈み込んでいく。とっさの判断でティントアを投げよこそうとしたアッシュだが間に合わなかった。二人してズボっと落ちていく。


 「痛っ……痛ぇ! イダダダ! やばいぞ! これ止まんねえ!」

 ガラガラ、ぐしゃぐしゃ……。大きな物音と叫び声は隠しようもない。


 辺りの様子は一変した。

 後ろからやってきていた者たちが足を止めた気配がある。

 前方の大群のうち、いくらかの人数がこちらに向かってくるのも分かった。


 戦闘はもはや避けられない。

 

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