……殺しちゃった

 「お前らも戦えって……あんたが自分一人でやるって言ったんでしょーが」

 合流した途端にアッシュの放った言葉へ真っ先に反応したのは、やはりフーディだった。


 「こっから見てたんじゃやっぱ分かんねぇか……」

 「なにそれ、どういう意味?」

 「戦った方がいいって意味だよ」

 「だからそれの意味を――」

 「いいから、聞けよ」


 いつもより静かに話すアッシュの姿に何か感じるものがあったのか、フーディは噛み付くのを止めて「分かった」とだけ答えた。

 

 「ちょっと長くなる。上手く言えるかもわかんねーけど……」

 アッシュはポツポツと話し出した。


 初めに感じたのは、石の小鬼を殴り飛ばした時。固めた拳が小鬼の頬を叩く感触。打てば強ばる肉の感触、おそらくその一撃で小鬼の頬骨は折れたと彼は言う。固いビスケットを叩き割ったような感じがした。


 「正直に言って、気持ち悪いと思った。喧嘩で、喧嘩相手の顔を殴る時とはまったく違う感じがした。まあ転生前のことはほとんど覚えてないけどな」

 だが明確に違う。アッシュはそう言い切る。


 喧嘩をする時は相手を殺そうと思って殴らない。殴る力に大差はなかったとしても。だが、さっきのは違った。地続きに相手の死が見える。アッシュは殆ど殺すつもりで……今から攻撃する奴が別に死んでもいいという気持ちで殴った。それで、腹の中から気持ち悪くなった。吹っ飛んだ地面に転がった小鬼の顔が赤黒くなってどんどん腫れてくる。手には重たさが残っている。

 

 「手で殴っただけでこんだけ驚いたわけだ。刺したらどうなるのか気になった。どっちかっていうと殺したくなかったけど、今ここで明確に殺しておいた方がいいと思った。だから矢で刺し殺した。経験すべきだと思った」


 分かるか?と最後に一言を付け加えて話は終わった。先ほどまでの闘いの熱はどこかへ消えてしまった。しんとした静けさと、各々がアッシュの説明を反芻する時間が続き、フーディがおずおずと声を出す。


 「あのさぁ……そんな話されたら余計に戦いなんてしたくなくなるんですけど」

 「やりたくねーからこそ、やっとくんだよ。特にフーディ。お前は絶対やっとくべきだ。俺らの中で1番チビで、ビビりだ。石の小鬼程度なら死ぬことはまず有りえねーと思う。事故る確率の少ない今ここで、慣らしとく方がいいんだよ」

 「……魔術で戦うんじゃだめなの?あたしなら離れてずっと戦えばーー」

 「駄目だ。平常はそれでいい。けどな、魔力が切れたらどうなる? 速い奴に距離を詰められたら? 不意打ちだってある」


 こと戦闘となれば人が変わるのか、アッシュは冷静な話し方で、それはほとんど諭すようにも聞こえた。

 「フーディだけじゃねぇ、お前ら全員に必要なことだ」

 異論はなかった。

 何を馬鹿なと少しは思うところもあったが、反論に足るほどの気持ちは沸いてこない。アッシュが言うこの非日常の極致のような経験は、あまりにも生々しく真実味があった。


 「ちょうどいいのが近くに来てるな」

 誰の物言いも待たずアッシュは建物を後にした。目当ては言うまでもなく練習台の鬼たちだろう。先導する彼がよどみのない速度で歩を進めていく。なるべく細い路地を選んで向かっていく。


 「たぶん。俺らはこうして生きていくしかない。なにも傭兵になって血塗れになれって意味じゃねえが、戦闘と無縁ではいられないと思うぜ。地下施設から上がってきて、初めに見たのがあの小鬼だ。武装してるし、言葉は通じねえし、襲ってくる。ここはそういう世界なんだろうな。そんで俺らには力がある。現時点ですら雑魚の立ち位置には居ない気がする。お前らもそれは何となく分かってるだろ」


 それきりアッシュは喋らなくなった。全員が押し黙ったまま一列になって歩き続け……。止まった。着いたらしい。


 「ここの角を曲がったら五体いる。俺を除いて一人一体だな。もし危なくなったら助けに入る。たぶんそんなことも起きねーだろうけどな。それと……必ず殺せ」


いくぞ、小さな号令が聞こえて、それからようやく心が準備を始めるのが分かった。いま、たった今ようやく心臓が馬鹿みたいに早く動き出した。もうあと一歩で、曲がり角から顔が出る。俺の少し先を行くアッシュは、すでに顔を横に向けて敵をその目に捉えたらしい。


 俺は、俺は……。何の準備も出来ていないような気がした。敵の前に姿を晒して尚、いまからこいつらと戦う覚悟が出来ていないことに痛感する。

 「ちょっと、ちょっと待ってよ! ほんとに!? だって、あたし……!」

 「うろたえんな! 喋る暇あるなら叫んでみろ! いくぞお前ら!」


 俺は無理やりに叫んだ。自分の大声が何もかも誤魔化してくれるように、必死に腹から声を出した。気付けば全員が自分を鼓舞するように叫んでいた。合戦の時に兵士が雄たけびを上げて突撃する意味がよく分かった。これだけでだいぶ体が動く。


 まず始めに星を上げたのは俺だった。

 石の小鬼が武器を構えるより懐に入り、どてっぱらに蹴りを突きこむ。膝を折っている無防備なところを叩き下ろすように殴りつけ、最後に顔へ目掛け振り抜くように拳を見舞った。あり得ない角度に首が曲がる。間近で聞く骨の折れる音に総毛立つ気がした。わずか三撃で命を断てたが、余裕はなかった。ほんの数秒のことなのに息が上がっていた。いつの間にか狭まっていた視界がゆっくりと広くなる。他人の荒い息に気づいてそちらを見た。


 ティントアは鬼に馬乗りになっていた。長い髪が乱れ、似合わない汗を額に浮かべている。組み伏せられた鬼はまだ辛うじて息があった。気管に血が入って上手く息が吸えないのだろう。胸を上下させるたびゴボゴボと気味の悪い音が鳴った。


 「ティントア、楽にしてやれ」

 アッシュの視線を浴びて、わずかな逡巡の後、覚悟を決めて拳は振り下ろされた。鬼はもはや手で防ぐほどの気力もなく、叩かれた振動に体を震わせただけだった。

 そのまま、ただ何となくティントアを見ていると目が合った。

 何か声をかけた方がいいような気がする。そして俺も何かを言ってもらいたかった。それが何を言えばいいのか分からず、互いにただ視線だけが交差している。


 つんざくような叫び声が響いた。

 弾かれたように顔を向ければ、それは鬼の断末魔だったと分かった。地面に体を投げ出して仰向けに倒れている。そのすぐ近くにカトレアが立っていた。一瞬、負傷したのかと思ったが、それは相手の返り血だった。鬼の死体を見れば右目が潰れている。カトレアの指は真っ赤に染まっていた。


 いつの間にかクロエも倒し終わっている。カトレアほど派手な結果は見えなかったが、殴りつけたらしい右手は、解くのを忘れたように握りしめたまま手が白くなっている。


 最後にフーディ。

 彼女はいま、鬼の首を両手で絞めているところだった。

 鬼はほとんど抵抗できないでいた。膝立ちになり、絞められ細くなる首に少しでも隙間を作ろうとフーディの手を剥がそうとするが、小柄な彼女の腕力にも敵わないでいる。石の小鬼はその程度の強さしかない存在だった。


 圧倒的な優位に立つ者に、余裕はなかった。今にも泣きだしそうな顔で生き物の命に手をかけている。ゆっくり、命が萎んでいくのが分かった。鬼の顔色が赤黒く変色してきた。抵抗も虫の息、そうしてついに、全身がだらりと垂れ下がる。ようやく首を放し、その手を見つめ、大粒の涙が手のひらに落ちた。


 「……殺しちゃった」

 掠れたフーディの声が、いやによく聞こえた。


 恐怖が遅れてやってきたのか、奪う体験に興奮が押さえられないのか、彼女は手指を細かく震わせ始め、それは腕に及び、肩、そして全身でもって震え出した。いつの間にか、短い呼吸が絶え間なく続いている。


 「おい、大丈夫か? ……ちょっとやばいか、過呼吸っぽいなこれ。だれかいい感じの袋とか――」

 すぐさま動いたのは驚くことにティントアだった。

 そして更に驚いた。フーディを包み込むように抱きかかえてしまったのだ。


 「フーディ、もう、終わった。俺も同じだ。大丈夫だ。大丈夫」

 くったりと無抵抗のまま抱かれている。小さな頭はすっぽりと抱えられ、優しい声が「大丈夫」だと、何度も何度もかけられた。いつの間にか鼻をすする音が聞こえてきて、フーディはティントアの背に手を回し、じっとしていた。

 

 「ちょっと休憩すっか」

 この調子では移動もままならないためアッシュは提案したんだろうが、俺たち全員はそれを待ち望んでいたように地面にへたり込んだ。

 

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