第9話 回収

 罠がない赤くて長い長い回廊だった。他の部屋とは一線を果していて、向こうに重厚な扉が見える。


 しかしそれは荒々しくも開け放たれていた。


 「もう近いと思うか?」エドガがベイクに訊いた。


 「分からんが、終わりにして欲しいよ」ベイクも自分の集中力が持つかどうか心配だった。何より信用ならない者達との共闘に疲れてきていた。


 ザンは口をつぐんで後ろから歩いて来ていた。彼自身精神が疲弊してきているらしい。


 「ベコベコ団がいるだろう。油断してはならないな」エドガは帯を締め直した。 


 幅の広い扉をゆっくりと抜けると、やはりベコベコ団が2人おり、どちらも背を向けている。1人は他の者と同じような見た目をしていたが、片方は体に毛が少なく、白くて猪というより普通の豚に似た容姿だった。そしてひと回り大きく、背中には大型魚を下ろせるくらいの巨大な曲刀を背負っていた。


 「奴がベコベコの首領だ」ザンがベイクに呟いた。


 吹き抜けの広い部屋に立つ2人の前には意味の分からない荘厳な装飾が施された祭壇があり、天井までの高さがあった。よく見ると無数の小さな羽根の生えた悪魔が群がる彫刻が施されており、どれを見ても薄気味悪い笑みを浮かべている。


 赤い部屋には黄色い絨毯が敷かれていて、部屋を照らし出す燭台は女体の形に頭が炎になるような造形で、趣味が悪い以外の何ものでもなかった。


 「来たな」白い首領は背を向けたままこちらに言った。気付いている。そして振り向いた。


 「随分手下を酷使するじゃないか」ベイクは首領に言った。


 白い首領の目は垂れていて、鼻は平べったく桃色をしていた。やはり口が、上の方についている耳まで裂けていて、全てを憎んでいるような捻くれた顔をしている。


 「メーケルの手下か。一足遅かったな。見ろ」首領が指差した先には鏡のように磨かれた台があり、そこには古びていて分厚い本が置かれている。それは真っ赤な表紙をしていて、何の装飾も施されていない地味な書物に見えた。


 「遅くはないさ。3対2だ」ベイクが腰の刀剣に手をかけようとした時だった。肩に感触があった。剣の刃だ。


 「2対3だ」エドガが言った。隣のザンの顔が青ざめた。


 「内通者は貴様だったのか」ベイクは冷静な顔をして言った。


 「助かったよ。ここまで来るのに世話になった」エドガの口調は冷たい。


 首領は背中の巨大なだんびらを手に持ち替えて、こちらに歩いて来た。


 「おい、本を持て。ここをズラかるぞ」首領はベイクを真正面に見据えていた。「悪いな。話している時間はねえよ」


 背後のベコベコの部下が本を持ち上げたその時、鏡になった台が発光源が不明の光を反射し始め、部屋中が眩しい光に満ち始めた。


 一面が真っ白で、その場の誰1人とて目も開けられず、その部下は写本を床に落としてしまった。


 それがどれくらい続いたのか分からない。


 エドガと首領ベコベコが視力を取り戻した時、1人いた手下は背中を切りつけられて死んでいて、ベイクとザン、それに魔神の写本は消え失せていた。



 麻薬を摂取した作用を神殿に入り込んだ者に与える、物理的な方法か術を受けたのだろうか。ベイクとザンが帰る道は何の変哲もない赤い部屋が続いていた。


 全て幻覚だった。だとすると。


 帰り道にベコベコ団員とバルックが倒れていた。死んでなどいなかった。巨大なニワトリも、それに飲み込まれたという事でさえも幻で夢だったのだ。


 「どうする?バルックを起こしますか」ザンが早口で訊いた。


 「時間がない。あちらの部屋にでも放り込んでおけ」本来の神殿は一本道ではなく枝分かれしていて、1つの部屋に幾つかは扉があった。「それに彼が裏切り者かどうか分からんしな。そうでなかったら追手に見つからない事を祈ろう。まあこの本を追うのを最優先にしてくると思うが」


蛆虫に喰われたと思われていた兵士も2人、倒れ込んでいた。


 写本は大きさの割に他の本よりは重く、ベイクの背中には滝のように汗が流れた。ザンが扉を開け、ベイクが飛び込む。


 部屋数は来た時より増えていた。そろそろだろうと思っていた矢先、兵士1人と副長シュレンナーがいる部屋に辿り着いた。


 その向こう側は幸いにも外が見えるアーチがあった。


 兵士はまだ気絶していたが、シュレンナーは座り込んでいて、頭を抱えて意識を取り戻しかけていた。


 「どうする」ザンはシュレンナーを横切りながら、ベイクに相談した。ベイクも座り込む彼を通り過ぎた。


 シュレンナーはそれに気づき、アーチに立つ2人を見た。空な目をしていたが、ベイクが手に持つ本を見た瞬間、目が血走って顔が歪んだ。


 ベイクはそれを良く解釈しなかった。


 ベイクとザンはそのまま神殿の外に飛び出ると、馬に飛び乗って、縄を切りつけて、飛び去るように滑走した。


 「写本をよこせええええ」背後からシュレンナーの怒号が聞こえた。

 




 

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