第3話 誰が裏切り者かは大した問題ではない

 ベイクは兵士に案内されるままに街の宿へと向かった。腰の曲がった愛想の良い店主の老婆に案内されたのは古びた部屋だった。部屋の角には雲の巣が張り、そこに埃が積もっている。


 ベイクは屋根があるだけありがたいと、バックパックと妖精石の剣を投げ出して、硬いベッドに寝そべった。


 ひび割れた木の天井を見ながら考えていたのは、領主メーケルの部屋を出て下に降りた時にすれ違った男の事だ。


 シュレンナー副長と呼ばれていたっけ。長い金髪を後ろに撫でつけていたが額が広くもっと後退しそうだった。目が小さい割に鼻が大きく、口に垂れ下がるほどだった。


 ベイクとすれ違う兵士達はジロジロこちらを見ているだけだったが、彼だけは違った。なんともこちらの実力を見定めようとする気配に満ちていて、殺気の一歩手前の敵意を剥き出しにしてきた。


 自分の主人の部屋から出てきた自分をどう見たのか、それで敵が味方か分かるだろう。しかし今は分からない。誰がメーケルの敵なのか。


 しかし問題はそこだ。今は味方でもいずれ敵になり得る。メーケルが言いたかったのはそこだろう。魔神の写本はそれだけ危険なのだ。


 ベイクはベッドの上で咳払いをした。別に咳払いがしたくてした訳ではなかった。何かがドアの向こうの廊下から伺っていて、床が軋んで、まさに狼藉にでも入って来そうなタイミングで警告を促したのだ。


 すると静かに殺気に満ちた気配が消えて空気が綺麗になった。元々職業病で深く眠りはしないが、中々タフな夜になりそうだと思った。



 翌朝、兵士のノックで起き上がると、準備をして外に出た。雨はすっかり上がっており、街が動き出す時間だった。


 農夫は街周辺の畑から帰って来たらしく泥だらけで家路についている。商売をする者は商品を並べており、それを利用する客達ももうじき出てくるだろう。大通りを行き交う人はまだ少ない。


 兵士の後について城に向かうと、正面の大扉を入る。1階の広間には武装した兵士が7人、それを取り巻く兵士が何人かおり、それらの違いは目まである金属のメットを被っているかどうかだった。しっかりと鎖帷子を身につけて、ここの象徴であろうか蒼い上っ張りを着ている。


 入ってきたベイクに全員が振り向いた。その向こうには木の椅子にメーケルが座っていて、蒼いガウンから覗く包帯を巻いた足が痛々しかった。


 メーケルはこちらを見て軽くうなずくと、集まった配下達に向かって喋り始めた。


 「皆の者、今回私が紅の神殿の探索を許可したのはそれをそっくりそのまま我らの利益に利用せんがためではない。その正体を見極めなければならない。その前に、神殿は大変危険な迷宮だと聞く。皆が力を合わせて困難を乗り切り、無事に帰還せん事を祈る」


 この言葉を聞いて、メーケルの探索における人選も何か意味があるものなのかと思わざる得なかった。


 しかし先入観は捨てねばなるまい。


 「それと」メーケルは続けた。「今回そちらのベイク氏に同行してもらう。私が信用する友人で貴殿達の力になってくれる。粗相がないように」


 広間は静まり返る。


 皆が装備をかちゃかちゃ鳴らしながら表に出始めると、メーケルはまたベイクに一瞥をくれて、誰も見ていない瞬間に深々と頭を垂れた。その表情は複雑で、ベイクには彼に対する深い罪悪感が見て取れた。


 彼の憂いを理解してしまったベイクにはそんな事は動機にならない。彼はすでに使命感と好奇心に満ち始めていた。退役してから、常に彼を突き動かす物はそれなのだ。何かの役に立ち、何か知らない物に触れて心を震わせ、常に緊張感と危険に身を晒す事だけが自分の生き方だと感じてきた。


 兵士がベイクに差し出した防具をベイクは断った。彼は呪われていて金属に触れることが出来ない。


 表に出ると自己紹介もせずに7人の兵士達は馬に乗り込んでいた。


 ベイクも用意してくれた馬に乗り込むと、朝日がさんさんと街の白壁を照り返す中、大通りを出発した。ベイクは最後尾から街の門を抜けて、マリアと出会った草原に差し掛かった。

 


 

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