第7話 告白は 翠の袖に守られて 【改稿版2】

 6日間も寝込んでしまった私は、今やすっかり元気になった。今日も変わらずお城のお掃除を頑張っている。


 “ 普通 ” がこんなにありがたいなんて、

 私はずっと知らなかった。


 少しだけ動かすのが億劫おっくうになった体にムチ打ち、水のなかで手を動かして洗濯物をもみ洗い。

 視線を上にあげるとさらさらと流れる水面みなもが光りに脈打って、ため息をつくくらい綺麗だった。


 目の前に流れるこの川の精霊が、眠っていた間の出来事を全て打ち明けてくれた。私が無事に戻ってきてくれた事を、とても嬉しいと笑いながら。


 私はそれを思い出すたびに、ほほが熱くなるのを感じてしまう。

 その照れ臭さを隠すためにも、勢いよく手を動かして服を洗うことに専念した。

(彼の顔を見たら、今度こそ心停止ね。きっと神に召されるわ)

 私はそうならないためにも、出来る限りラウールさんを避けて過ごしてきた。出会い頭に会いそうなときは、突き飛ばして逃げたりもした。

(だってこんな顔、見せられないもの)

 波紋の合間に映る私の真っ赤になった顔が、恥ずかしさにゆがむのが映る。

 

 私は川岸に腰を下ろし、両手をついて水面をのぞき込んだ。

 今はもう慣れてしまった長くて白っぽい髪の毛は、自由気ままに広がって地面に流れる。

 緑の瞳も、前と同じように世界を映す。

 川の水面みなもに映った自分の顔は時よりもきっと、ずっと深い赤。


 その鼓動の速さに、

 ほほの熱さに、

 私の心を写す表情に、

 今ならば自分の顔だと、

 嘘偽り無く言えるだろう。


 私は全身で感じていた。

 水をかき回す指先の感触も、この目で見ているサイル川の流れも、草の上に座ったときの青い匂いとか、風が吹いたときにもっていかれる髪の毛の感覚も。


 今は全てが私に繋がっている。

 最初からこの体で生まれてきたかの様に。


 後ろから草を踏む軽い音が響いて、私は振り返らずに背中の方へ注意を向ける。小さな警報が、私の胸の中にともっていた。

(とうとう、来たのね)

 私は顔を上げて、覚悟を決める。

 深呼吸をしてから立ち上がった瞬間、川の精霊イシュルゥナからの警告が心の中に飛び込んできてとっさに横に飛び退いた。

「うわっ!! ちょっと待って!」

 危機一髪、顔にかかる風を感じて私は一気に背筋に寒気が込み上げた。

 そのままへっぴり腰で逃げる私を、笑顔で彼女は追いかけてきた。


 その手には、綺麗な小刀が握られている。


 私はその光る切っ先に震える声を張り上げた。

「話し合おう! ね!? 落ち着こう!」

 バクバクと脈打つ動悸どうきを感じながら両手を前につき出して、落ち着く様にとさとしながら私は静かに話しかけた。


 小刀を握る、ミーヤに。


「話す事など……でも一つだけ。私ユリエ様がこの城にいらしてくれて嬉しかった。この手で夫のかたきを取れるんですもの」

 そう言って笑うミーヤの顔がとても美しくって、私はじっと見つめていた。


 彼女の足取りはとても軽く、嬉々として語る彼女の言葉は夫への愛で縁取られ、手に持つ小刀の光を更に際立きわだたせていた。

 その小刀の切っ先きっさきを私に向ける。首を少しかしげた彼女は、困った顔を私に見せた。

「でもユリエ様ったら全然死なないし、毒だってきかない。もう私、自分の手を汚すしかないじゃないですか?」

 彼女はにこりと笑ってささやく。

 けれど目の色が変わったかと思うと、小刀をしっかり握り直し再度私めがけて襲いかかって来た。

 私は素早く体を引いて横へけた。

 その後私が元いた場所へ、ゆっくりとミーヤが駆けてくるのが見えた。


 そして、疑問は確信へ。

(どうやら、この世界って前の世界よりんだわ)


 私はミーヤに注意を払いつつも、自分の足元を見下ろした。

 ラウールさんを突き飛ばせたのも力加減が上手くいかないせいだと気付く。

 こうして病み上がりの私が凶刃きょうじんから逃げられるのも。

(ホントに夢じゃ、無い。別の世界の現実なんだわ)

 私は唇を噛み締めながら、小刀を握り返したミーヤの暗い瞳を見た。


 私の力加減が上手くいかないせいで、色々と『ドーン』とやらかしてしまうのに、いつも優しく話しかけてくれていた彼女の面影は今はもう、どこにもなかった。


 私をにらむ彼女の顔は、

 見たこともない位の憎しみが支配していた。


 私は悲しみに胸が傷むのを感じて胸に手を当てた。

 あの優しさは全てが復讐このためだったのかと、なおも込み上げてくる悲しみをおさえた。

(ならば、私が受け止めなくちゃ)

 私は優雅に右手をあげて、ミーヤを真っ正面から見据みすえた。

 ミーヤは私の視線に目を丸くして動きを止める。



 蒼い乙女が唇に触れ、

 水は輝き空を舞う。

「ごめんね。ミーヤ」

 私のささやきが、その場に流れた。



 水に弾かれた小刀はミーヤの後方へ、いつの間にかそこに立っていた女官長達の元へと精霊達が運んでくれる。


 そこには友の裏切りに泣き崩れるララと、厳しい顔をしたラウールさんも離れて立ち私たち二人を黙って見つめていた。

 更に城の中には2人を見守る住人達の目が不安げに光っていて、私達を見守ってくれている。


 どちらも大切な仲間だから、

 どちらの味方も出来ないでいた。


 水が当たった右手を押さえて、ミーヤはそんな人々を呆然ぼうぜんと見て立ちすくむ。

 前に立つ私など見えていないように、暗い声で小さくつぶやく。

「……何よ、残念」

 その言葉に私は心配そうに眉根を寄せた。ミーヤの目からは光が去って、なにも見えてはいなかったから。

 そのまま彼女は黙ったまま、ポケットから小さな小瓶を取り出す。


 全てが終わったらその小瓶で夫の元へ旅立とうと、最初から決めていたようだった。



 愛する人がいない世界なんて、

 生き続けていく価値もないから?



 それに気づけた私はとっさに、彼女の胸めがけて飛び出していた。

 上を向き口をつける寸前で、私は思いっきり地面を蹴ってミーヤの体に突っ込んでいた。

 2人が倒れたその反動で小瓶は手から飛ばされて、草むらに転がり見えなくなる。


     ――ガリッ――


 痛みと共に私の額に紅い線がつけられた。

 私は無意識に顔を背けたけれど、なんとか両手を捕まえて爪の痛みから自分を守る。

「止めないでよ! あんたなんかに何が解るのよ! この悪魔!!」

 泣きながら、なお引っかきもがこうと体の下で暴れ続ける彼女は半狂乱になって叫び続けていた。

 そんな彼女を見るのが、私はすごく辛かった。

 だって大好きな人をこんなに思って、優しく笑う人だったから。

 私は歯をくいしばって尚も暴れる彼女の腕を押さえた。


かえしてかえしてかえして! 私の夫をかえしてよ!!」


 そう叫ぶ彼女の中には憎しみと、

 全ての悲しみが存在していた。

 孤独と、全ての苦しみが

 今もなお、彼女の心を傷つける。


 そんなミーヤを見ていられなくて。


 私は苦しみに顔を歪ませて精一杯の声で叫んでいた。

 その叫びに驚いてミーヤの動きが止まる。

「わからなくてもいい! ただ私はミーヤに死んでほしくはない!」

 いつも笑っていたミーヤの事が好きだったから。

 憎しみにゆがんだ顔のミーヤに馬乗りになったまま、百合恵ゆりえは歌に魔力きもちを込める。


 いつの間にか、

 光の雫が彼女達を包み込んでいた。


(どうか、どうか届きますように)

 百合恵ゆりえは想いを言葉につむぐ。

 ミーヤの心を救う為に。


    ―――――――――――



   光射ひかりさ水面みなものなか

   あなたは眠るの

   かなでる水音みずおと響く

   それは命の声


   思い出の中でいつも

   貴方あなたは 笑ってる

   私は貴方へのもと

   駆けて行きたい


   時はめぐる

   思い出は  明日あすへの希望

   愛してる

   願う心は永久とわの誓い




    ―――――――――――


 百合恵ゆりえは歌い、世界は応える。


 命をつかさどる水は、悲しみを洗い流して心を優しさで満たしていく。

 静けさがその場を支配して。


 ミーヤはきらきらと輝く世界に

 愛しい夫を見つけた気がした。


 もういいよって、

 優しく笑い返してた。


 ああ。

 どうしてかしら?

 もっとあなたを見たいのに、

 あたりがかすんで、もう見えないの。


 歌声は世界を優しく包む愛。

 なんて神秘的な美しさ。




 「何よ ……夫を返してよ……」

 ミーヤは顔をおおって身をよじり、震えながらすすり泣いた。

 その声があまりにも私の心を締め付けて。

 私はそんな彼女を力一杯抱き締めた。

「ごめんね。私はアダンテのやった事は聞くことでしか知らないの。でも確かに、この体アダンテがやってしまった事だから今の持ち主の私が謝るべきじゃないかなって思う」

 私はゆっくりと、弟に言い聞かせるように話しかけた。

 ミーヤの背中をゆっくりと撫でながら、そっと、ささやくように話を続ける。

「だからこそ、私は今死ぬわけにはいかない。私にはやりたい事が出来たから」

 その言葉を静かに泣きながら聞いているミーヤにはもう、アダンテの亡霊なんかどうでもよかった。

 今は、百合恵わたしの声を聞いていたから。


 落ち着いて聞いていることを確かめて、私はミーヤの目を真正面から見据みすえて約束する。

 私が知ってる “ 指切り ” で。

「私はミーヤと約束する。私がアダンテの体にいる限り誰にも悲しい思いはさせないから。アダンテの罪は出来る限り私が代わりにつぐなっていくから」

 目を見開き、呆然ぼうぜんと見返してくるミーヤに私は笑い返していた。


 この言葉が、

 どうかミーヤを守ってくれます様に。

 優しくて悲しい魂がこれ以上、

 傷付く事がありません様にと、

 願いを込めて。



「だからもう、良いんだよ。

 苦しまないで、良いんだよ。

 よく頑張ったね」



 ミーヤは、声をあげて泣いた。


 魔女が憎かった。

 世界が憎かった。

 何も出来ない自分が憎かった。

 その憎しみを目の前の彼女が背負って持っていってしまったのが寂しくて、悲しかった。







 殺人は未遂に終わったけれども、ミーヤは王宮へ連行となってしまった。

 でもきっとラウールさんが陰で助けてくれることを、私は何となく感じている。


 私は芝生の上で建物の壁に寄りかかるラウールさんに手を振って合図した。

「最初からこうすればよかったんだよねぇ」

 もう一度ラウールさんに魔法を見てもらうために、私は空へ向かって右手を伸ばした。今はこれしか出来ないけれど芝生に水たまりを作ることはもうない。


 イシュルゥナのキスを始まりに、

 キラキラとした水の玉が

 辺りに楽しそうに、ふわふわと浮く。


 光を反射する水玉がとても綺麗で、私とイシュルゥナは顔を見合わせて笑いあった。






 ラウールは腕を組んで少し離れて壁に寄りかかりながらも、彼女の後ろ姿を目で追っていた。

 子供のように髪を振り乱して、楽しそうに契約した水の精霊と話をしている。

 その笑顔から目が離せないのは気のせいだと、ラウールは無理やり目をつぶり彼女の魔法の方に注意を向けた。

 彼女は詠唱えいしょう無しに水を操っていた。今見ているのもそうだった。


『呪文は命令でしょ? 誰だって命令は嫌だよね。ならお願いの方が良いじゃない』


 と、笑顔で言った彼女は光る水の球をいとも簡単に空へと散らす。

 ラウールは組んだままの腕をとんとんと指で叩き、軽くため息をついて苛立いらだちの原因を吐き出した。

(たった1ヶ月の訓練で、歌による未知の魔法の発動? 赤ん坊が魚を釣る方がまだ優しい。こんなこと聞いたこともないしあり得ない)


 それは新たな魔法の創造だ。


 ラウールはうらめしげに精霊と遊ぶユリエをにらんだ。

 彼女はそれに気付かない。


 彼女のまわりにはいつも笑顔が集まる。

 精霊でさえ、ユリエの歌声に祝福を与える。

 何かが始まる予感がするが、

 それが何かはわかるすべは今は無い。


 今度は大きなため息をついて、ラウールは自分に全く興味を示さない彼女を嫉妬しっとを込めて呼んだ。

「ユリエ、明日お前を王宮に上げる。女官長に仕度を整える様に伝えておけ。だがあくまで、お前は王宮の監視下かんしかに置かれていることを忘れるな」




 私はその声に振り替えると、ラウールさんが私を見ていた。

 目付きは悪く話す内容も不安要素が満載だけど、どことなく優しくなった青い瞳で。

 私は目を見開いて、胸一杯に息を吸い込んだ。


 いつも、突然わかるもの。

 名前を呼ばれて、しっくり来たの。

 恋って、きっとそういうもの!

 私は手を合わせてそう叫んだ。


「私、ラウールさんの事好きみたいだわ!」

 その発言に目を丸くして顔をひきつらせるラウールさんがホントに可笑おかしくて、私はイシュルゥナと一緒に大爆笑してしまったのだわ。


 いつかこの世界から帰る時がきても、絶対後悔だけは残さない。

 恋に、魔法に、約束に。

 全部一生懸命やればいい。


 



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