第6話 契約歌【改稿版2】

 毎日人間関係を着々ちゃくちゃくと築き上げる中でも、魔法の実技訓練は相変わらずの滝修行を続けていた。


 庭師には植え込みが枯れるからこれ以上水はらんと怒られ、ラウールさんには見られるたびに大げさに溜め息つかれるし、女官長さんには濡れる度にごむたいされる。

 一生懸命やっていても結果に繋がらないこともある。

 世の中そんなに甘くは無い。

 

 そんな中、私に小さな異変が起き始めた。


 最初は、服の中の一本のまち針。

(痛った!)って思ったのは一瞬だったから大したことは無いと思って女官長さんにはナイショにしたの。

 でも、これはさすがに隠せなかった。


「ユリエ様。これはちょっと……黙っておくには厳しめですよ?」

 ベッドに座って大人しく手を差し出す私に、床にひざまずいて包帯を巻くララが顔をしかめていさめてくる。

 ララの部屋で巻いてくれた右手の中指の包帯は、ほんのりとあかに染まっていた。

(ちゃんと痛いのは夢じゃない証拠かな)

 私は痛む指に顔をしかめながらも、笑って答えを濁すしかなかった。


 部屋のドアノブに、刃物。

 百合恵わたしを狙ったイタズラだ。


 私のはぐらかす笑顔を見て、あきれ顔のララの表情には『仕方がないわね』と『本当に大丈夫?』の感情が浮かび上がっては消えてゆく。


 私はズキズキとうずく指をさすり、彼女のベッドに座りながらお願いお願いと、顔の前で手を合わせていた。

「油断しただけ。次はちゃんと気を付けるから! 」

 そうして合わせた手の隙間からララの顔を盗み見る。

 それを見て、はぁぁっと深いため息をつくララが私の隣に腰を下ろす。そうして私の手をそうっと包んだ。


(このお城の中に犯人がいるのは確か。だけど私はまだ皆を信じたい。だから私は自分の目で見た事を信じる事にする。私を受け入れてくれた人達だもの)

 しかもラウールさんにバレてしまえば、冷酷無比れいこくむひなあの人の事だ。きっとただじゃ済まされない。

 私が何とかすれば、穏便にすませることが出来るだろう。

 仲良くなった人々の顔を思い出しながら、手を繋いでいてくれているララの顔をおずおずと上目使いで見上げる。


 魂年齢(ややこしいわね)で6才年上の彼女は、今や私にとってこの国でのお姉さん的な存在だ。

(……今、頼れるのはララしかいない)

 そんな気持ちが通じたらしく、軽く笑う年上侍女メイドは私に「しょうがないですわねぇ」と優しくささやいた。

「女官長様には黙っときますから、早くお部屋へ引っ込んで下さいね」

「ありがとう」

 真面目に言い聞かせるはずのララのしかめっ面が笑っていて、思わず私も笑みがもれる。

(私は弟しか居ないけど……お姉ちゃんがいたら、こんなにもくすぐったい気分になるのかな?)

 こんな経験が出来るなんて、この世界に来た甲斐があったのかもしれない。


 そのあと二人で口裏を合わせた女官長さんへの言い訳を考えて、私の部屋がある屋根裏への唯一の階段を登ろうとしたその時、私は階段に塗られた油に足を滑らせ落っこちた。






 この城の主は夜遅くに帰って来たとたんに、厄介な案件が耳に入った事に気分を悪くした。

「怪我? あいつがか? 」

 側に立つ侍女メイド達にローブ類を脱いで渡していきながら、女官長の報告に思わずトゲトゲしい声を返す。


 アダンテの面影がある奴が居る城になぞ帰りたくもなかったが、ここは元々我が城だ。帰るたびに不愉快になるのに、その報告で更に自分の不快度指数は跳ね上がる。


 主のその不愉快を敏感びんかんに感じとる優秀な女官長は自分に向かい、深々と頭を下げる。

「申し訳ございません。わたくしの落ち度でございます」

「……あいつの自作自演では?」

(それだけあいつは信用が出来ない人物だったのだ)

 いまだに疑わずにはいられない。だが用心にこしたことはないと言う意味で言ったのだが、女官長は驚いて少し攻める口調で反論してきた。


「殿下、ユリエ様はその様な器用な事が出来る方ではございません。あの方はあまりにも素直すぎます。この城に住む者はもう皆、知っております」

 目の前の女性が、口元を押さえてしとやかに笑った。

 ラウールは信じられないようなものを見た顔で、そんな彼女の次の言葉を待っていた。

「ただ、ご自分でどうにかしようと思い始めると少々厄介かも知れませんわ。ユリエ様は、真っ直ぐに突き進む御方ですので」

 困った顔で微笑む婦人は、いとも楽しげにを語る。

 その姿にラウールは素直に驚いた。女官長がここまで彼女の事を気にかけているとは。

「ユリエ様の足の怪我が完治するまで、一階のお部屋を頂戴いたします」

 そんなラウールに気づくこともなく、有無を言わせずに女官長は押し通していく。


 女官長が去った扉を呆然と見つめたラウールは、王宮の地下で見た彼女の姿を思い出していた。

 不安で一杯の、あの美しい緑の瞳を。



 ……良くも悪くも変わってしまった。

 この城も、住人達も。

 あいつがこの世界に来てからは、

 水の波紋が広がる様に。





「いてててて」

 夜になって右足の捻挫ねんざが熱を持って痛みだした。

 何とかしようとたどり着いた川のほとりで、私は水の流れに足を遊ばせる。

「あー……極楽」

 その冷たさにほっとした私は空を仰いで月に向かってため息を吐いた。

 夜の空気はだいぶ暖かいけれど、水はとても冷たくて気持ちがいい。

 ふと、この前水の中で見た光景が頭に浮かんだ。


 初めて精霊を見たのもここだった。

 清らかな水の乙女

 私は歌を捧げて

 彼女はタリナイとかえした


(あの時は、ただのハナウタ

 ならこれはどうかしら?)


 想いは言葉に

 願いはメロディに

 夜の空に流れる歌声は

 水の乙女の元へと届く


 ―――それは 精霊との 契約歌――


 蒼い彼女は水から生まれる

 彼女の名前はイシュルゥナ

 百合恵ゆりえの歌にこたえた川の精霊ウンディーネ

 この世界からの百合恵ゆりえへの祝福

 いつか一面の青の中で見た、水の乙女。


『ありがとう、ユリエ。

 わたしをあなたに捧げるわ』


 透き通る彼女の青いアクアキス。

 私の心に彼女が宿る。


 こうして、私は精霊と出会った。







「契約には二種類ある。1つは魔法を使う瞬間の単純な契約。もう1つは魔法使いが命尽きるまで、その魔法使いにのみ契約する、とわの契約だ」


 落ち着いた彼の声は、どんな時でも私の中に落ちてくる。

 いつの間にか私の後ろにその彼が立っていたけれど、今はそんなこと全然気にはならなかった。

 私はイシュルゥナの柔らかく笑う瞳に、自分を映して胸がいっぱいになっていたから。

 私と隣に寄り添うイシュルゥナは最初からそうであったように、もう心の一部分を共有してる。


 彼女の喜びは私の喜び。

 私の幸せは彼女の幸せ。

 離れることなんて、想像出来ない。


 イシュルゥナはうなずいて、再び川に帰っていった。

 それでも常に、私はイシュルゥナと一緒だった。

 自分の胸の、奥の方。

 私はそこに、そっと手を置く。


 離れていても、心の一部に彼女の居場所は出来ていた。


「ラウールさん。これで私も魔法使い?」

 私は思わずうれしくなってはしゃいでラウールさんを見上げると、彼もじっと私を見てきた。

 目付きの悪さは変わらないのに。


(うわ……瞳が深い青)


 まるで夏の森の中。

 その瞳が見えなくて、少しさみしかった。

 凄く優しいキス、だった。

「まだまだ甘い。それとこれとは話が別だ」

 私、薄い夜着パジャマ一枚だから、きっとこの心臓の早鐘こどうが伝わってしまった。

 だからもう観念して、何も言わないでそのまま彼の腕の中にいた。





 足の捻挫ねんざが治るまで、百合恵ゆりえの周りは常にララとミーヤが付き従った。

 その為かイタズラは息をひそめていつもの失敗で笑われる人数が増える位だった。いくら精霊イシュルウナの専属契約を取っていても、私が駄目なら駄目らしい。



 その日も着替えをしたあとで、お城の厨房でコック長特製のスープを作ってもらった。今日は付き添いのララの分もあって、彼女が私の分も用意もしてくれた。

 私は美味しそうな匂いに待ちきれず、手をあわせてから口に運ぶ。

「いっただきまーす!」

 コック長が心を込めて作ってくれるからか、食べたあとはいつも幸せ。


 でも今日は違っていた。


 食べた瞬間、私は首をかしげてしまう。

(……にがい? おげなんて珍しい。……だけど)

 突然襲う寒気さむけ動悸どうきに私はハッとして固まる。

(おかしい。なんかヘン)

 ララが、スプーンをとるのが目のはしに見えた。


(……食べちゃ、ダメ!!)


 私の意志が振り払った手に伝わり、水球がララの持つスプーンを弾き飛ばす。ララはビックリしてその場に硬直していた。


「ユリエ様!!」


 遠くで聞こえるひっくり返ったララの声。

 心臓が、冷たい。

 また……あの暗闇の中に落っこちる。










「タルダージャの毒にございます」


 ユリエは静かに眠っていた。

 女官長はずっとユリエに張り付いる。彼女はもう3日も目を覚まさず眠ったままだ。

 女官長はユリエのひたいに浮かぶ汗を拭き、少しずつ水分を取らせている。その女官長が、深い憔悴しょうすいを顔に浮かべてつぶやいた。

「馬一頭、確実に殺せる量でございました」


 薄めれば強心薬に、

 原液ならば心臓を止める猛毒に。


 契約精霊イシュルゥナによって毒は体から排出されたが、すでに体に取り込まれた毒素で高熱を出すユリエの意識が戻らない。

 怒りと焦りを持て余し、組んだ腕を指の腹で叩きながらいまだにユリエの側に座る女官長に鋭く詰問きつもんした。

「犯人の目星は?」

 女官長に落ち度が無いことなどはなから解ってはいたが、それでも問いたださずにはいられなかった。

 王宮預りのユリエの身に何かあれば、陛下に合わせる顔もない。

(いや……それ以前に……)

「……証拠が、ございません」

 首を振って申し訳なさそうに彼女がささやき、ユリエの側を自分に明け渡す。

 後ろに下がった女官長の目が疲労にくすんでいるのが見て取れた。ユリエの事が心配で、ずっと眠れていないようだった。

(解毒薬も意識が無い以上少しずつしか与えられない。これ以上は、何も出来ない)

 異常な程に熱くなったユリエのほほを指の背で、そっと撫でた。


 とわの契約を終えた後の輝く笑顔。

 一瞬で、心臓が握りつぶされたような感覚。

 思わず精霊ウンディーネにまで嫉妬してしまう程。

 それをこのまま、手放すのか。


 高熱で赤くなった顔はもう苦痛の表情さえ写していない。

 乾いた唇から吐く息はだんだんと弱くなりつつある。

 ラウールはきつく目をつぶり、覚悟を決める。後ろで女官長が息を飲んだ音が聞こえた。


(本当に大切なものだから、なりふり構ってはいられない)


 ぐったりと横たわるユリエの上半身を抱え、解毒薬を自分の口に含む。

 唇と唇をぴたりと合わせて少しずつ流し込むと、ユリエも生きようと飲み込んでくれた。


 やれることは、やるだけだ。

 後はユリエの生命力に賭けるしかなかった。







(……まただ。このまっ暗闇)

 私は今度も、ゆったりと漂っていた。

 ただ……少しだけ闇が濃くなっているような気がした。


『またここに来てしまったの?』


(来たくて来た訳じゃあないんだけど)

 どこからか声が聞こえてくる。

 でも、そんな事はどうでもよかった。


『まあ不安定だからしょうがないけどね』


(どうしよう。出口ってどこかな?)

 早く、帰らなければいけないのに。


『君はどっちに帰りたい?』 


(……どっち?)


『あ、でも呼んでるよ。迎えにきたね』


 その言葉に淡い水色の光が私の胸にともる。

 私はこの優しいあかりを、ずっと前から知っている。


(イシュルゥナ!)


“ やっと見つけたわ! 早く帰らないと戻れなくなるわ……!”


 いつの間にか暗闇の中で、私とイシュルゥナは抱き合って漂っていた。

 上も下もわからない。

 右も左も区別がつかない。

 あたりは変わらず、真っ暗に閉じ込められていた。


『よかったね。絆があれば戻るのは簡単だから』

 その声は明るく笑いながら語りかけてくる。それに答えるように不安に潤んだイシュルゥナの瞳が、私を映してうったえる。


“ 急いだ方がいいわ。弱ってるのに魂が抜けていては体が長くは持たないの ”


 イシュルゥナに有無を言わさずに引っ張られて、私は暗闇を後にする。

 振り返ると、うっすらとに灯りが見えた。


『絆を大切にね。君は必要とされているんだから。ま、ここでの記憶は無くなるけどね』

 私はその言葉に、手を伸ばして答えを求めた。


(あなたの名前、まだ……)



「聞いてない……」

 目の前の、ぼやけた顔のラウールさんに問いかける。

 目を見張って驚くラウールさんに私は背中を支えられて抱っこされているらしかった。

(以外と力が強いんだなぁ。それに、何だかフワフワして心地がいい)

 すごくまぶたが重くなって、まわりの音が小さくなっていく。

(体が熱い。頭が痛い。喉もカラカラ。駄目だ、もう、……眠)





 規則正しい寝息に変わったユリエを横たえて、女官長と顔を見合わせて共に安堵あんどの表情を浮かべた。

 まだ高熱にあえいではいるが、顔に生気が戻って来ていた。


 ラウールは女官長に後を任せ、部屋を後にする。

 彼女の唇の感触が鮮やかによみがえって、思わず足がもつれかかった。

 熱で潤んだ瞳の中に自分が映ったときなど、女官長が居なければどうなっていたかわからない。

 ラウールは頭を抱えて、深いため息を吐いた。

(……危険な兆候ちょうこうだ。自分の制御ができていない)

 自分もユリエのだった。

 彼女の波紋に、飲み込まれていくのを感じる。


 それが彼にとって心地が良いものだと知るのは、もっと先の事だった。














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