『希望の大河』編

この旅は①


 東方アリウォンス王国には巨大な河がある。

 クレナ村を含む王国東部から、ひとまずの目的地である王都へ向かうにはその河を越えなくてはならない。

 村から唯一伸びる道を進んで、道中いくつかの村や町を挟み、町の先にある草原を抜けるとその河は現れる。

 

 溢れんばかりの水が流れる大河は、アルケディシア教から離別した人々に膨大な恵みをもたらしていた。

 まるで自分は病に侵されてなどいないと言わんばかりに、星は大河を中心に水と緑溢れる美しい地を作り出している。

 大河の名はナジェール。「我々はアルケディシア教から離れても生きていける」と王国の人々に思わせた、別名『希望の大河』である──

 

 

 ☆

 

 

 ナジェール河より遥か東方の地で旅は始まっている。

 

 「良いお天気ですねぇ」

 「暑くはないか?」

 「いえいえ! 丁度いい暖かさです」

 

 クレナ村を出たリーシュとルファの二人は隣町を目指して歩いていた。

 目的はいくつかあって、一つは旅の装備を整えることだ。

 リーシュは鎖帷子の上に魔術士が着るような丈の長い黒いローブを好んで着用している。

 

 袖口や裾は白い糸で意匠され、ローブの裏地は赤く、腰元は布ではなく革のベルトで留める。

 履いている靴は黒い編上げのブーツで、内側の爪先には鉄が仕込んであり非常に硬い。

 ローブで隠れていて見えないが腕だけは軽めのガントレットを着けてある。

 

 背に吊り下げた愛用の大剣を使って戦うにはかなりの軽装だが、まだリーシュが剣士になって間もない頃、周りに比べても線の細い体格を誤魔化すために緩いローブを着ていた名残だ。

 今では鎧を着ることの方が違和感を感じるので、剣を持つための腕を守るガントレットしか採用していないのだ。

 

 そんなリーシュの装備は良いが、問題はルファの方である。

 旅をするには遭難した時に着ていた修道服など勿論論外だ。一応持ってきてはいるが、アルケディシア教の勢力圏に入ってからしか使わないだろう。

 ならば今はどうしているかというと、リーシュのお下がりのローブを着ているのだ。

 

 リーシュが使っているローブとかなり似たデザインなのでお揃いのローブを着ているようにも見える。

 はっきり違うと分かる点があるとすれば、裏地の色が青なのとフード付きのローブだという事くらいだろうか。

 昔のリーシュは普通の剣を腰に差していたのでフードが邪魔にならなかったのだ。

 

 リーシュが使っていたローブなだけあってルファが着るには大きい。

 袖なんかはルファの手を完全に隠してしまうほどだ。

 当のルファはニコニコしながら「ブカブカです!」なんて呑気に言っていたが。

 

 装備の問題はとりあえず置いておいて、目的のもう一つは村長の奥さんから預かった手紙を町の商人へ届けること。

 手紙の内容まではリーシュもルファも知らないが、頼まれた時は二つ返事で了承した。

 村を出るときは未だかつてない程に心配されて大変だった。

 

 隣町での目的、最後の一つは移動手段の確保だ。流石にずっと徒歩で移動するのは無謀だし、今は殆ど手ぶらだがこれからは荷物も増えるだろう。

 リーシュは馬くらいは欲しいと思っていたが──

 

 「丁度いい暖かさなのはいいが……お前、本当に馬には乗れないのか」

 「はい……」

 

 ルファは馬に乗れないのが判明した。

 考えてみたら当然だ。彼女はシスターとして魔術の修行に明け暮れていたのだし、その前は一般家庭の娘だったらしい。

 

 「馬一頭だけ買っても荷物を持たせて二人乗りするとなると──」

 「ふ、ふふふふ二人乗りですか!」

 「そうだ。ふ、ふふふふ二人乗りだ。ただ馬への負担が大きすぎて速度は出せないな……別の方法を考えるか」

 「(ほっ……)」

 

 ルファは内心でホッと息を吐いた。幼少期は親友のメノエとばかり遊んでいて、教会に入ってからは修行に明け暮れていたため男性への耐性が全然ないのだ。

 なのにリーシュのような綺麗な男性と馬に同乗するなんて、想像しただけで緊張でとうかしてしまいそうである。

 

 「荷馬車でも調達できればな」

 「荷馬車ですか? お高いんじゃ……」

 「まあ安くはないな」

 「やっぱり私の宝石を──」

 「いらん。まあ、道中で仕事はしてもらうかもな。行商の護衛でも出来れば良いんだが」

 

 旅を始めるにあたって、問題になったのは足の確保だけでなく資金の問題である。

 当然だが資金無しでベルフィディアへ行けるほど甘くない。

 宿代も食事代も莫迦にならない額がかかるだろう。

 

 そこでルファは修道服の内ポケットに隠し持っていた物をリーシュに渡した。

 渡された物を見たリーシュは思わず目を丸くする。目利きの素人である彼ですらひと目見ただけで非常に高価な物だと分かったからだ。

 ルファが渡したものは赤い宝石。紅き星であるアルケディシアを信仰する人々が多いこの世界では、赤色の宝石というだけで信心深い好事家達が高値で買い漁っているため価値が高い。

 

 赤い宝石というだけで高いというのに、宝石には星を抱く女神の意匠がされていた。アルケディシア教の紋章である。

 ルファ曰く、ベルフィディアで修行する事を認められた者にだけ渡される物らしい。

 特例とはいえルファも資格があったため渡されたそうだ。

 

 『(こんな物どこで換金しろと……)』

 

 リーシュは思った。そこらの店では扱いきれないだろうし、それ以前にベルフィディアに辿り着いたとき宝石が無かったらルファの身分をどう証明しろというのか。

 結局リーシュは宝石をルファに突き返し、当面の資金は全部払うと決めたのであった。

 

 「私、お仕事、ヤリマス!」

 「なんで片言なんだ」

 「あの……私に出来る事なんてありますか? やる気はありますよ? でも……」

 「お前一人にさせる訳じゃ無いんだ。この旅はお前の為にってだけじゃない、俺自身の為でもある。当然俺も精一杯働かせてもらうさ」

 「へ? えっと、リーシュさんは何のために旅を?」

 「あの家で立ち止まってた俺と違って、前を向いてるどこぞのシスターの力になりたいって思った。力になって俺自身が満足するために同行してる。とりあえずはそんな所だ」

 「とりあえず? うーん、でもリーシュさん労働に対する対価とか言ってませんで──」

 「他に理由が必要なら後で考えておく」

 

 リーシュはそう言って話を切り上げた。

 少し気恥ずかしくなったので、顔を見られないようルファの数歩前を歩く。

 そんなリーシュの内心を察してルファはクスリと笑った。

 

 最初は表情があまり変わらなくて感情が分かりづらいという印象だったが、こうやって会話が増えると意外と分かりやすい人なんだなと思う。

 

 『(リーシュさん可愛いなあ)』

 

 馬に同乗するかもとなった時は緊張しまくっていたくせに、年上の男性に対して余裕のある大人の女性みたいな感想を抱くルファであった。

  

 

 ☆

 

 

 「私このローブ気に入ってるんですよ!」

 「いや、自分に合ったのを買ったほうがいい」

 「買ってもこれを着ますからね? 無駄遣いになりますよ!」

 「なんでだ……新しい服の方が良いだろ」

 

 昼を過ぎ夕方にさしかかった頃、クレナ村の隣町に着いた二人は服屋の前で揉めていた。

 宿を取って村長の奥さんから預かった手紙を届けようとしたが、届け先の店が閉まっていたので買い物を先に済ませてしまおうと服屋に来たのだ。

 だがそこでルファが新しいローブはいらないと言い出してリーシュは困惑する。

 

 「だって私を慮ってリーシュさんがくれたのに……」

 「修道服じゃ都合が悪かっただけだ。他意はない」

 「でも私は嬉しかったんです! それを買い替えろなんて酷いです、あんまりです!」

 「おい待て、声を抑えろ! 新しいのを買うと言ってるのに何故俺がイジメてるみたいになってるんだ」

 「イ、イジメですよ! 断固反対です! 断固拒否です! 断固です! 断固ォー!」

 「わ、分かった! 俺が悪かったから声を抑えてくれ……お前の声はよく通るんだよ」

 

 さっきから通行人がチラチラとこちらを見ながら通り過ぎていくのだ。視線が痛い。

 

 「ただローブの下に着るものは数着買うぞ。他にも必要な物は揃える」

 「それは……ごめんなさい、お願いします」

 

 払うお金が無いルファは申し訳なさそうに頭を下げる。

 ルファの声量が普通に戻って安堵したリーシュが店の扉に手を掛けようとすると──

 

 「──あの〜」

 

 と言う声と共に扉が内側から開いた。

 顔を出したのは茶色い髪の女性。恐らくリーシュより年上だろう。

 

 「さっきの声、店の中まで聞こえてました……ローブのサイズ調整しましょうか?」

 

 どうやらこの店の店員のようだ。先ほどの喧嘩(?)が聞こえていたらしい。

 

 「…………頼む」

 

 リーシュは恥ずかしさを堪えながら苦笑いを浮かべる店員に返事をしたのだった。

 

 ──店内に入るとルファは採寸をしに店の奥へと連れて行かれたのでリーシュは暫く暇を持て余した。

 他に揃えるものはあるか考えていたところで先ほどの店員と共にルファが戻ってくる。

 彼女は代わりに店から渡されたのか、灰色のローブを羽織っていた。

  

 「すいませんお待たせしました」

 「ああ、サイズの調整は出来そうか?」

 

 するとルファの代わりに店員がリーシュに答える。

 

 「今日中には流石に無理なので明日の昼頃に取りに来れますか?」

 「問題ない」

 「では明日までに仕上げておきますねー」

 「頼む、ああついでに──」

 

 ついでに村長の奥さんからの頼まれ事で預かっている手紙の届け先になっている商人の事を聞く。

 今は留守にしているようだが、いつ頃帰ってくるのか知っていたら教えてもらおうと考えた。

 

 「リカルドさんのところですか……そういえば最近ずっと閉まってますね」

 「ずっとか?」

 「ずっとです。一週間は開いてないかと思います」

 「こういう事は頻繁にあるのか?」

 「いえ、長くても二日ほどで……一週間なんて初めてのことです」

 「心当たりは?」

 「いえ、リカルドさんとはそこまで交友もないので……」

 「分かった、助かった」

 

 リーシュは礼を言うと情報料として少しのお金を払い店を出た。後ろから着いてきたルファが問う。

 

 「どうしますかリーシュさん。リカルドさんはいつ帰ってくるのでしょうか」

 「どうだろうな。頼まれた以上は手渡ししたいんだが……」

 

 しかしいつになるか分からない以上はどうしようもない。

 いざとなったら一度クレナ村に帰って報告するべきかと思う。

 

 「最初の目的地、ナジェール河はまだまだ遠いんだ。この手紙にかまけて旅の目的をおざなりにする事は出来ない」

 「私は時間がかかっても平気ですよ? 生きてベルフィディアへ辿り着ければそれで良いんです。旅をしながら修行もしますから!」

 「お前がそう思うなら別にいいが……なら三日待ってみよう。それでリカルド氏が帰ってこなかったら一旦クレナ村に戻る。それで良いか?」

 「はい!」

 

 旅は始まったばかりだと言うのに喧嘩(?)はするし、足止めはされるしで散々だなと先が思いやられるリーシュであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る