素直じゃない
ベルフィディアへ行くことを決意した次の日、リーシュが朝の鍛錬に出掛けた事を確認したルファは、掃除をするためという名目の下リーシュの寝室のドアを開ける。
昨日の夜にリーシュの寝室へと忍び込むのを決めたのだが、緊張して落ち着かなかったのを必死で表に出さないよう努めた。
家にいくつかある部屋の内ほとんどは、リーシュから開けてはダメだと言われている。
実はこの寝室もそのうちの一つだ。
掃除を始めた日、とにかく役に立たねばならないという気持ちが先走り何も考えずこの寝室に入ってしまった。それに気付いたリーシュに、
「……ここはしなくていい」
といつもより僅かに低い声で言われてしまった。
それからは言われた通り勝手に寝室へ入ることは無かったが、今こうして言いつけを破ってまで忍び込んだのには勿論理由がある。
前回ここを掃除していた時に、机の上に地図のような物が置いてあったのを見たのだ。
ベルフィディアへ行くにあたって、少なくともこの辺りの地形だけは把握しておきたい。
寝室にある地図がクレナ村周辺のものだったら良し。
違ったらその時はその時で別の手段を考えようと思った。
ルファが心の中でリーシュに何度も謝りつつ机に近付くと、そこに地図は無かったが手記が開かれたまま置かれているのを見つける。
悪いとは思いながらもページが開いたままの手記があれば好奇心が疼く。
リーシュは出掛けたばかりであるし少しだけならと、全くもって無意味だが両手で顔を覆って指の隙間から手記を読むことにした。
『王都からラズバリヨン公国領へ行くには砂漠を抜けなければならないのが面倒だ──ミオ=ソウェイル=ステラ』
『砂漠が面倒なのは同意するが機嫌が悪いミオお嬢様も面倒なんだよな──ダジャ=スリザス=ステラ』
『王都を発ってからミオがずっとリーシュ坊を苛めてる。可哀想に──アヌワ=ウル=ステラ』
『リーシュは貴様達と違い可愛い。リーシュに恋人ができた時はまずこの私が相手になろう──ミオ=ソウェイル=ステラ』
『殺す気かよ。おっかねえ姉貴だな──ダジャ=スリザス=ステラ』
手記というより、交換日記だろうか。日記にしては一度で書いてある文が短い気がするが。
しかしリーシュの名前が出ていることにより、ルファの好奇心は更に膨れ上がってしまった。
『本格的に砂漠に入る前に水を準備せねば──アヌワ=ウル=ステラ』
『おい、また私に回ってきたんだが。他の連中はどうした──ミオ=ソウェイル=ステラ』
『他は飽きたんだとよ。リーシュ坊っちゃんに無理矢理渡すぜ──ダジャ=スリザス=ステラ』
『この落書き、まだ続いてたのか。アンタ達暇なんだな──リーシュ=ティール=ステラ』
『砂漠に一番近い町に着いたが様子がおかしい──アヌワ=ウル=ステラ』
『オアシスの町がドラゴンに襲撃されたなんて信じられねえな──ダジャ=スリザス=ステラ』
「──ドラゴンに襲撃された……?」
続きが気になるが次を読むためにはページを捲らなければならない。
後で忘れずに元のページに戻そうと決めて交換日記に手をかけたところで──
「他人の落書きを覗き見るなんて、案外悪趣味だな」
「!?」
背後から部屋の主の声がして、急いで振り返るとそこには当然眉をひそめたリーシュが立っていた。
まだリーシュが出掛けてから殆ど時間は経ってないはずなのにと混乱するルファ。
「お前、昨日から妙にソワソワしてたな。気になって早く帰ってきた」
リーシュにそう言われて彼の鋭さに驚く。
思えばリーシュは最初からそうだった。
名前を聞く時も最後まで言わなかったにも関わらず教えてくれたし、居場所が欲しくて家の事を手伝うと申し出た時も、最初は首を傾げていたがその後は全て何も聞かずに許可してくれた。
彼はこちらの感情や行動を内心で理解して動いてる節がある。
「あの、私……ごめんなさ──」
「やりたい事でも出来たのか?」
謝罪はリーシュの声にかき消される。ルファは戸惑いなにも言えずにいると、
「その落書きは俺達の傭兵団〈ヴィクトリア・ステラ〉の奴らが書いたものだ」
リーシュが交換日記の事を語りだす。
その声音はルファが今まで聞いたことが無いくらい柔らかく、優しかった。
「最初は団の奴ら全員で回してたんだ。馬鹿馬鹿しいこと、やった事や起こったこと、思ったことや感じたこと、その時の感情を書き殴って……老後に皆で読んで、恥ずかしさに震えようぜって言ってな。本当に馬鹿だろ?」
「……素敵だと思います。仲良しだったんですね」
「そうだな。気のいい奴らだった……俺は団の中では最年少でな、俺が十二のガキだった頃から一緒に居たせいか勝手にアイツ等の弟分にされて色々と大変だったが、それでも愛情を向けられることが嬉しかったんだ」
それは読んでいて何となく分かる。
特にミオという人はほんの少し読んだだけでリーシュを可愛がっていたのだろうと伝わってきた。
苛めてるというのが具体的に何をされてたのかは少々気にはなるが。
リーシュはルファの隣まで来ると、彼が『落書き』と呼ぶ交換日記を手に取る。
彼が今何を思っているのか少しでも感じとりたいと思ったルファは、隣に立つ頭一つ分高いリーシュの顔をそっと窺う。
ルファは驚く。リーシュが微笑みを浮かべていたのだ。
二週間同じ家で過ごしたが、彼が笑っているところを見たのはこれが初めてだった。
男性に言うことでは無いかもしれないが、微笑みと中性的な顔立ちとが相まってとても綺麗だと思う。
「凄腕の奴ばかりでな、俺なんてアイツ等の足元にも及ばなくて悔しかった。そして模擬戦で負けて拗ねる俺を見て『可愛い奴だ』って言って笑ってたよ」
「リーシュさんは、とても愛されているんですね……」
「そうかもな……」
そう言ってリーシュはページを捲る。先程ルファが気になって捲ろうとしたページだ。
しかし次のページには何も書かれていなかった。
「そういえばお前、歳は?」
「へっ?」
ルファは何の脈絡もなく年齢を聞かれて戸惑い、訳もわからないままに答える。
「えっと、今年で十九になります」
「そうか……俺達がドラゴンに遭遇したのも、俺がお前の歳の頃だ」
「……っ!」
初耳だったルファは思わず息を呑んだ。
ドラゴンに遭遇したと言っているのに、リーシュの声音は変わらず柔らかく穏やかなままだ。
「ラズバリヨン公国領へ向かう道中の砂漠にそいつは現れた。驚いたよ……ドラゴンなんて出現した記録が無さすぎて最早空想上の怪物だと思っていたからな」
「……はい」
「さっきも言ったがアイツ等は凄腕の奴ばかりだったから、最初は善戦してたんだ。アイツ等程の実力がない俺は後ろから見ていることしか出来なかった」
パタンと音を立てて交換日記を閉じる。
そしてリーシュは今度は自嘲の笑みを浮かべ、ルファの目をしっかりと見つめて話す。
それも、いつもは数秒経ったら目を逸らしがちなリーシュにはとても珍しい事だった。
「お前風に言うとな……俺は見殺しにしたんだよ」
「っ!」
「最初こそ善戦してたアイツ等も負傷した仲間を庇い合って戦う内に徐々に押され始めて──親父が……団長が俺に言った。『お前は町に戻って援軍を呼んで来い』ってな」
「そんな……」
「戦闘では役に立たないくせに、頭だけは冷静だった。分かってしまったんだ……ここで俺一人が残って戦うよりも、援軍を呼んで味方を増やした方がアイツ等が助かる可能性が高いと」
リーシュは手に取っていた交換日記を机の上にそっと置いた。
「だから町に戻った……けれど俺達なんて所詮は傭兵だ。町の偉い奴に頼もうとしてもまともに取りあってくれる訳がない」
「じゃあ兵隊さんは助けてくれなかったんですか?」
「そうだ。他にアテがある訳でも無かったし、俺が町に戻ったのは完全に無駄足だったってことになるな」
「…………」
「無駄足を踏んだだけの馬鹿な俺が再び戦場に帰るとそこには……」
「……そこには?」
「……なにも、なにも無かった。アイツ等もドラゴンもなにも残っていなかった」
ルファはその時のリーシュの事を考えるととても辛かった。
親しい人達を助ける為にと援軍を呼びに行って、何も出来ずに戻るとそこには何もない。
考えるだけで胸が締めつけられる思いがする。
ルファもそうだったのだ。ドラゴンの襲撃にただ呆然と立ち尽くすしか出来なかった。
何も出来ずに、親しい人を喪った。
「俺がこの家に居るのはな、もし団の連中が敗走して散り散りになった場合の集合地点がここだからだ……状況から考えてアイツ等が生きてる可能性は無いに等しいだろう。俺はつい最近まで受け入れられずにいたのさ、現実ってやつをな」
そう言って一度ため息を吐いた後、彼はルファの頭を軽く小突いて笑う。
「これは勝手に部屋に入った罰だ。だけど今、俺は勝手に自分の身の上話をした。こんな話を人にしたことが無かったが話してみると随分スッキリするもんだ」
「……はい?」
「罪には罰が必要なように、労働には対価が必要だな」
「は、はい」
リーシュは軽く頭を掻いて、困った様に眉を寄せる。
今日の彼はころころと表情が変わるなとルファは思った。
「お前は今、罰を受けた上で俺のくだらん話を聞くという労働をやったな。だったらそれには対価が必要だと思う……それでお前がやりたい事は?」
「!!」
つまりリーシュはルファがやりたい事を手伝うと言っているのだと気付いた。
随分と回りくどい言い方だが、付き合いの短いルファでも『彼らしい』と思った。
この男、いつもルファを思いやって行動しているくせにそれを素直に認めようとしないのだ。
しかしそんな彼をルファは今この瞬間、改めて味方だと思った。
それはリーシュが教国人だからでも、この環境がそう思わせているでも無くそう思ったのだ。
ルファは今、強がりを言える状況では無い。
異国にただ一人紛れ込んだ異分子である。
だから変な遠慮は必要無い。
誰かを頼らなければ何も出来ないのだから。
じゃあ誰に頼むのか、そんなの決まっている。
ルファの目の前には素直じゃないが優しく心強い味方が居るのだ。
「私……親友の……メノエの分まで、メノエの為にも聖地ベルフィディアへ辿り着かなくちゃいけないんです! 聖地で祈りを捧げること、星の未来を救う為に神使様に力を渡すことが私達の夢だったから! だから、お願いします……リーシュさん、私を聖地へ! ベルフィディアへ連れて行って下さい!」
ルファの願いを聞いたリーシュは問う。
「時間がかかるぞ? 船を出してくれる奴なんか居ないだろう。何ヶ月どころじゃない、数年かかる事だってあり得る」
「覚悟の上です」
「この国を抜けるまでにアルケディシア教のお前が嫌な思いをすることだってあると思うが?」
「些細な事です」
「道中は危険なことも多い。巨大な河を渡り、霊峰を登り、大森林を抜け、砂漠を越えてもなお、聖地は遠いんだ。お前は平気か?」
「リーシュさんと一緒なら平気です」
そう言ってルファは少し意地悪な笑みを浮かべた。
こんな質問をしているが恐らくリーシュの心は決まっているのだ。
「──分かった。〈ヴィクトリア・ステラ〉の名にかけて誓う。俺がお前をベルフィディアへ連れて行く……必ずな」
『仲間』になった二人の旅が始まる。
傭兵とシスター。二人は遠いベルフィディアに向けての一歩を踏み出した。
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