リーシュとルファの2週間

 

 ルファが目を覚ましてから十四日──二週間が過ぎた。


 修道服を着て伸び放題だった庭の雑草を無心でむしるルファの後ろ姿を、リーシュは茶を飲みながら窓から見つめる。


 朝から草むしりをしていたルファを見てついさっきまではリーシュも共に作業していたのだが、ルファは昼を過ぎても、夕方になってもペースを崩さずむしっているので、昼になる頃には飽きていたリーシュはついに作業を止めた。



 「(まさか草むしりもアルケディシアの修行の一つだったのか)」



 なんて阿呆な事を考えるくらいには疲れている。主に精神的にだ。

 ぼんやりとルファを見ながら、そしてルファも草むしりをしながら二週間前からのことを思い返す。

 

 

 

 ☆



 

 ──あの日、夕陽が差し込み橙色に染まる部屋でルファは慟哭の声をあげた。


 ドラゴンの襲撃を語るルファ。

 最初は溢れる涙を堪え、声を震わせながら静かに語っていたが、次第に熱を帯びていき遂にはそのよく通る声を荒げ泣き叫ぶという状態になってしまう。

 

 無理もないかと思い、リーシュはあえて止めなかった。

 一度全て吐き出させたほうが楽になるかもしれないと思ったのだ。



 「わ、わたし! なにも……出来なかったんです! メノエが……メノエが居る部屋が襲われてるのに! いっぱい修行したのに! メノエを見殺しにしたんです! なのに何で私は生きてるの!? だって──」



 ルファはドラゴン襲撃時の事を鮮明に思い出す。



 「そう、あの時船が壊されて私は宙に投げ出されて海に落ちた。そこからここに流れついたはず……でもあり得ない! それならこうして生きてるわけが無い! どうして私だけ……なんで……」


 「(お前が無事だったのなら他にも生き残りがいるんじゃないか)」



 リーシュはそう思ったが、口には出さなかった。

 逃げ場の無い船上でドラゴンに襲われて生き残るなんて、よほどの奇跡が起こらないと無理だ。

 それにルファの親友が居た部屋を襲ったというし、見殺しにしたと言っているからには決定的な何かを見たのかもしれない。


 ルファはついに口を閉じ、ソファの上で膝を抱えて泣き出してしまった。

 涙は夜更けまで止まることはなく、流す涙も枯れ果てたあとは泣き疲れて眠ってしまうのであった──



 ──あれから二日間、ルファは食事も喉を通らないほど塞ぎ込んでいた。


 また倒れられても困るとしびれを切らしたリーシュが、雑な味付けのスープを作り半ば無理やり飲ませると、彼女は「不味いです……」と正直過ぎる感想を述べ、リーシュを軽く落ち込ませる。

 別に料理が上手いとは思ってないが、不味いと言われるとそれはそれで複雑な気分なのだ。


 不味いスープを我慢して口にした翌日から、ルファは自分が食事を作ると言い出した。

 そんなに不味かったのかとリーシュがまたしても複雑な気分になり返事をしないでいると、



 「あの、迷惑だったでしょうか……?」



 とルファは恐る恐るリーシュの顔色を窺った。

 ルファの瞳に若干の怯えの色を感じ取りリーシュは首をかしげる。


 ここ二、三日は塞ぎ込んでいるルファに朝と夜の挨拶と、食事が出来たことを伝える以外の余計な言葉はかけずにいたはずである。

 考え込むリーシュを恐る恐る見ていたルファは、怯えと不安から体が震えだす。


 二日間、散々涙が枯れるまで泣いては眠りを繰り返し、そして少し気持ちが落ち着いた時、ふと今の状況を冷静に考える事が出来るようになった。

 今の自分はリーシュに救われて、しかし流れついたこの国はアルケディシア教を良く思ってないと聞く。


 もちろんこの国に知人など居ない。お金になりそうなものは一つだけ持っているが文化も常識も知らない。

 塞ぎ込んでいた時、呆れずに黙って見守ってくれたリーシュに見捨てられたらと思うと怖かった。


 だから居場所を作ろうと考えた。リーシュにとって自分が邪魔な存在になってしまわないように。

 リーシュが教国人だという事と今の特殊な状況とが合わさって、ルファは彼をすっかり自分の味方だと認識している。


 複雑な表情をされたが幸いにも食事を作る役割を許され、他にも掃除やお茶くみ等、自分にやれそうな事は積極的にやった。

 料理もお茶を淹れるのも、教会に引きとられる前に家事の手伝いをしていたおかげでなんとかなった。



 そうやってまた数日経つ。

 ルファは相変わらず積極的に働いていたが、この数日間で何個か疑問ができた。


 リーシュが毎朝手入れしている大剣のことや、同居人が居ることを匂わせていたがその姿を見たことがないこと、早朝に鍛錬に行くと言って出掛けるが、帰ってきたあとはずっと家に居ること。

 他にも細かい疑問が何個かあるがリーシュは口数が多い人では無かったし、表情も普段からあまり変わらないので機嫌が分からず聞きづらい。


 一度だけ女医が様子を見に来た時に、少し鬱陶しそうにしていたけれど。


 リーシュの方はというと、自分の状況を理解した上で行動するルファを見て悪い人では無さそうだなという感想を持った。

 特に必要以上の詮索をしてこないのが好ましい。


 かつて仲間達との共同資金で買った家であるから、勝手に部外者を住まわせる事には抵抗があるがルファの境遇を考えると仕方ない。

 ずっと住まわせるのは無理だろうが、彼女が自分の道を見つけるまでは出来る限りの協力をするつもりだった。


 そしてまた数日が経つ。その日は朝から小雨が降っていた。

 リーシュはいつもの様に鍛錬しに砂浜へむかう。


 裸足になった時に砂浜に流れついた木材の上に靴を置いておくのだが、その日は小雨だったので雨粒から靴を守る為に分厚い布を持って来た。


 最近見つけた少し上等な木材に靴を置こうとして寸前で止める。

 木材の表面が小雨で薄っすらと濡れていたので、まだ濡れてなさそうな裏面を使おうと何となく思いひっくり返すと、そこには絵が描かれていた。


 リーシュはその絵に見覚えがある。



 「(星を抱く女神の絵……アルケディシア教の紋章か)」

 

 そこでリーシュはルファの話を思い出した。

 ドラゴンに襲われた船は無惨に破壊され、どういう経緯でそうなったのかは不明だがルファは小舟に乗ってここに流れ着いた。

 ルファがここに流れ着いたという事は、乗っていた船の破片も漂着していても特におかしくは無いはず。

 

 

 「この木材はまさか──」 


 「リーシュさん?」


 「!」



 背後から聞こえた声に驚きつつ振り向くと、今まで一度もこの砂浜に足を踏み入れたことが無かったはずのルファが傘をさしてそこに立っていた。

 波音すらも怖がっていたルファが何故ここに、しかもよりによって何故このタイミングで来てしまったのか。



 「傘、勝手に使ってしまってごめんなさい……上着を持ってきたんです。リーシュさんが傘を持たずに出掛けたから心配で……迷惑だったでしょうか……?」


 「別に迷惑じゃないさ。それよりもお前、ここに居て大丈夫なのか? 海を見て気分が悪くなったりは?」


 「へ、平気ですよ? お気づかいありがとうございます!」



 リーシュがルファと数日間一緒に過ごして気付いた事だが、彼女は普段会話する時には真っ直ぐに相手と目を合わせて話す。

 横並びで座っている時も、話す時はわざわざ覗き込むように身体を捩って目を合わせようとしてくる。

 それが何だかやりにくくて、いつもリーシュのほうが目を逸らすのだ。


 しかし今、リーシュの問い掛けにルファのほうが目を逸らして答えた。

 たった数日間の付き合いだが、それだけで彼女が強がっているのだと分かる。



 「(嘘つくのが下手なタイプだな)」



 なんてことを思ってルファに家に帰ることを勧めようとしたところで、彼女の目が大きく見開いた。

 視線の先を追うと、先ほどリーシュが見つけたアルケディシア教の紋章。

 ルファが目を逸らした先にたまたまそれがあった。



 「あれってまさか船の……」


 「…………」


 「やっぱりそうですよね。現実なんですよね。夢なんかじゃ、ないんですよね」


 「…………」


 「私、心の何処かで思ってたんです。夢であって欲しいって思ってたんです、思い込もうとしてたんです」



 ルファはそう言って紋章が描かれた木材にゆっくりと近付き、その側にしゃがみ込んで細い指先で紋章を撫でた。

 ルファの声は数日前泣き叫んだ時とは違いとても静かで、しかしその音色はあの時よりも酷く物悲しい。



 「だっておかしいじゃないですか。ドラゴンなんて書物でしか見たことがないような怪物に襲われて、船が壊されて、海に落ちたはずなのに小舟に乗ってここに流れ着いて……小舟に乗った記憶なんて無いんです」



 紋章を撫でていた手を固く握りしめる。



 「ここで過ごしていればあの船に乗っていた誰かが、私と同じように流れつくんじゃないかって……そんな期待もしてました。でも、もしそうだとしてもこれだけ時間が経ってたらその人はもう……」



 無事ではないだろうと、最後まで言うのは抵抗があった。

 ルファは言葉を飲み込んで立ち上がり、何も言わずに話を聞いていたリーシュを見つめる。



 「リーシュさんは優しい人ですね」



 突然そう言われたリーシュは全く意味が分からず、思わず「は?」と聞き返す。

 その反応にルファは僅かに微笑んだ。



 「前もそうでした。こんな私の話を否定も肯定もせず聞いてくれます」


 「かける言葉が無かっただけだ」


 「私が料理や掃除をやるって言いだした理由、気づいてますよね? それでも私の好きなようにさせてくれます」


 「断る理由が無かっただけだ」


 「さっき私がここに来た時、リーシュさんは少し焦ってたような気がします。私にこれを見せたくなかったんじゃないですか?」


 「…………」



 確かにあの木材を見せるかどうかを考えるタイミングでルファがここに来たことは事実だった。

 思わず黙りこむリーシュを見てルファは先ほどの問いが正しかったのを確信する。



 「そんなリーシュさんの優しさに甘えて、未来のことを考えないようにしてたんです。でも、それじゃダメですよね。これからどうするか、ちゃんと考えます」



 そう言ったルファの瞳は僅かに涙で濡れていたが、今までに無かった力強い輝きに満ちていた──

 

 

 

 ☆

 

 



 ルファがこれからのことを考えると言ってからも、彼女が料理や掃除を止めることは無かった。

 リーシュとしてはありがたいが、彼女は自分の居場所が欲しいがためにそれを始めたのだ。


 そんな事しなくても追い出したりはしないとは言ったものの、彼女は『これくらいはさせて下さい!』と言って譲らなかった。


 そして今、ルファは頼まれてもいない草むしりをしながらある決意を固めていた。

 それは、長い修行を耐え抜いて手が届きかけたにもかかわらず、ついに亡き親友が果たせなかったもの。


 ──亡き親友の分まで、聖地ベルフィディアで星の未来のために祈りを捧げるのだ。


 ルファがやるべき事は、決まった。


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